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東日本大震災から6年 あの日の教訓は生かされているか

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あの日の教訓を、今、私たちは生かすことができているでしょうか。
東日本大震災以降も、熊本をはじめ日本各地で地震が相次いでいます。そして、2016年11月の福島県沖を震源とする地震では、広い範囲で津波が観測されました。
いつ起きてもおかしくない地震や津波から命を守るために。11月の福島県沖の地震の事例で考えます。

2011年3月11日 あの日何が起きたのか
佐藤さん一家の行動

東日本大震災の教訓
地震が起きたら、まず海のそばから離れる。
津波からどうやって逃げるのか、家族と常に話し合っておく。

佐藤克美さん(56) 福島県いわき市

海岸から30メートルほどの場所で食堂を営んでいた佐藤さんは、6年前の地震のとき、ちゅう房で調理をしていました。テレビで大津波警報に気付き、すぐに家族と車で避難を始めましたが、一人暮らしをしている足の悪い親戚の安否が気になり、家に立ち寄ります。そのとき、車ごと津波にのまれてしまいました。
車の中で身動きができなくなってしまった佐藤さんたち。そして…

photo 津波は佐藤さんの車のすぐ近くまで迫っていた

果たして2016年11月22日の地震で教訓は生かされたのか!?

佐藤克美さんはどんな行動をとったのか?
教訓を生かして避難

佐藤さんは、6年前の経験から、地震の際にどこに逃げるのかを家族で話し合っていました。去年11月の地震の時、あらかじめ決めてあった避難場所に家族と一緒に車で向かいました。長く過酷な避難所生活でひざを痛めていた佐藤さんは、当然のように避難に車を使いました。

新たな課題・大渋滞で進めない!

ところが、家を出発してすぐに、大渋滞に巻き込まれます。自宅から3キロほど離れた避難場所に向かおうとしますが、なかなか前に進めません。
「歩いている人に追い越されたんです。車の中で、これは歩いた方が速いのかなと思いました。」

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いわき市内 午前6時30分ごろ

佐藤さんは、いつ来るかわからない津波に恐怖を感じながら、普段5分ほどで行ける避難所に、30分以上もかかって到着しました。
「震災後、生活手段として車は必要だと思いました。自宅も車もダメになったら今後の生活にすごく支障をきたしますから。でも、今回、車で避難したことで、いろいろ考えさせられるような状況になりましたね。」

村上幸一さん

東日本大震災の教訓
災害時に“絶対に安全”という場所はない。
津波に対して油断せず、まず高台へ避難する。

村上幸一さん(58) 岩手県陸前高田市

村上さんは、6年前、海から1キロメートルほど離れた公民館に避難しました。過去に一度も津波が来たことはなく、地域の避難所に指定されていたからです。
ところが、津波は川を逆流し、堤防も乗り越えて押し寄せてきます。村上さんは、その場所に避難していた人たちを軽トラックの荷台に乗せて林道を走りました。
「波ががれきを押してくる音と、杉を倒してくる音のバリバリバリってすごい音で。ものすごい恐怖を感じました。」
最初に避難した公民館は津波に飲まれていました。ぎりぎりのところで難を逃れた村上さんたちですが…

photo 津波はものすごい勢いで迫ってきた

果たして2016年11月22日の地震で教訓は生かされたのか!?

村上幸一さんはどんな行動をとったのか?
いったん避難したものの…

津波が油断できないことを身をもって体験した村上さん。去年の地震の時も、家族を軽トラックに乗せて高台の公民館にすぐ避難しました。そこで、近所のおばあさんが避難していないと聞きます。その家に行くためにはもう一度、震災のときに津波で浸水した地域に戻らなければなりません。
「やっぱり一人で置いておけない。じゃあ、俺が行ってくると。」

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避難場所の公民館とおばあさんの家
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村上幸一さん

危険覚悟で お年寄りを助ける

村上さんは、震災の教訓から「一度、高台に避難したら、戻ってはいけない」と肝に銘じていましたが、おばあさんを見殺しにはできないと、危険を覚悟で助けに戻りました。
近所のお年寄りや体の不自由な人をどのように助けるのか。答えは見つかっていません。

「避難済み」示す 白いタオル ~“教訓”を生かした高齢者の避難~

去年11月の地震の際、宮城県山元町では、多くの家の前に「白いタオル」が結ばれていました。その家に住む高齢者が「避難した」ことを示すものです。
この方法を考えたのは花釜区の菊地慎一郎さんと仲間たち。この地区では、6年前の東日本大震災で、150人もの犠牲者を出しました。その多くが65歳以上の高齢者です。菊池さんたちは震災後、高齢者の避難について検討し、避難訓練を重ねました。
避難したのかどうかの確認に時間がかかると、呼びかけに行った人も津波に襲われてしまう可能性があります。そこで、確認が短時間で行えるように、避難した人には「白いタオル」を掲げてもらうことにしたのです。家に誰もいないことがわかれば、助けに行った人が犠牲になるリスクを減らすことができます。
取り組みの一例ですが、手助けを必要とする高齢者や身体の不自由な人をどのように避難させるかは今後の課題です。

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仲間たちと“教訓”を生かした菊地慎一郎さん

阿部さん

東日本大震災の教訓
どこにいても常に避難方法をシミュレーションする。

阿部澄子さん(65) 宮城県石巻市

阿部さんは6年前、娘の家にいたときに津波に襲われました。慣れない土地で避難場所もわかりません。2人の孫を連れて逃げ惑った阿部さん。しかし、3人とも津波に飲まれ、1人の孫が流されてしまいました。そして…

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果たして2016年11月22日の地震で教訓は生かされたのか!?

阿部澄子さんはどんな行動をとったのか?
避難しなかった

6年前の震災で、壮絶な体験をし、九死に一生を得た阿部さんですが、この日は避難しませんでした。
宮城県に「津波注意報」や「津波警報」が発令されましたが、いま暮らしている仮設住宅が海から離れた高台にあること、津波の高さが低いと感じたことなどが理由です。それでも、万が一に備えて、テレビで最新情報を収集しながら、いつでも逃げられるように準備は怠っていませんでした。

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いつでも逃げられるように準備した阿部澄子さん

あの日の教訓を生かした“備え”

阿部さんは、東日本大震災で得た教訓「常に避難方法をシミュレーションすること」を普段から心がけています。「津波が迫っている場合は走って1~2分の3階建てのビル」、「時間に余裕があって車で逃げられる時は丘の上の火葬場」というように、様々な状況を想定して避難先や避難の方法を考えています。
また、避難グッズを入れたデイバックを常に準備しています。中身は缶詰、スナック菓子、防寒用の上着、新聞紙(胴体に巻くと暖かいので防寒用に)、ろうそくなどです。

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