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明日へ つなげよう
Iターン女将(おかみ)の“結(ゆい)”日記~福島県楢葉町~

放送予定 :
【総合】12月15日(日)午前10時05分~10時48分

原発事故による避難が解除された楢葉町にできた一軒の小料理屋。店主の古谷かおりさんは、 日頃は付き合いのない帰還した住民と、町外から来た人々をつなごうと店を立ち上げた。
「結(ゆい)のはじまり」という店名は、震災前にあった人々の結びつきと助け合いを復活したいという願いから。原発作業員、除染関係者、ボランティア学生、専業農家、大工の棟りょうなど客同士の飲み話から始まった、町おこしと古谷さんの奮闘日記。

(放送後はNHKオンデマンドでご覧いただけます)

12月16日(月)14時から。

→NHKオンデマンドはこちら

番組公開ライブラリー

証言記録・東日本大震災 第59回

「宮城県 仙台市」
~動物園の“いのち”を守る~

「宮城県 仙台市」~動物園の“いのち”を守る~

仙台市の八木山動物公園。東日本大震災で、電気・水道・燃料、エサの供給がストップ。約500匹の動物たちは、日ごとに追い詰められていった。チンパンジーの“チャチャ”は、地震のストレスでエサを口にできず意識不明に。温水プールで飼育しているカバの“カポ”は水が不足し健康状態が悪化、飼育員は死を覚悟した。そんな動物たちの危機を救ったのは、生鮮食料品を差し入れたスーパ-などの地元の人々。そして、全国の動物園からの救援物資だった。人の保護なしには生きられない動物たちの“いのち”を救った人々の思いを証言でつづる。

証言記録・東日本大震災 第41回

「宮城県石巻市雄勝町」
~子どもたちを守れ
 決死の救援要請~

「宮城県石巻市雄勝町」~子どもたちを守れ決死の救援要請~

宮城県石巻市東北部、雄勝湾と山に囲まれた雄勝町。あの日、巨大津波で平地は完全に水没した。危ういところで山の上の清掃工場に避難した雄勝小学校の児童と教員は、段ボールで寒さをしのぎ、飲まず食わずで一夜を過ごす。救援を求めたいが、電話はつながらず、町の外に通じる道路も通行不能。やむなく教員たちは使われなくなった旧道で山を越えるが、その先も津波で堤防が決壊し海のようになっていた。一方、町の外から雄勝町に向かって、冬期閉鎖された峠道を懸命に開く町民たちもいた。孤立した子どもたちと町を救おうと、命がけで救援要請を行った教員と町の人々の証言記録。

証言記録・東日本大震災 第38回

「宮城県女川町」
~「巨大防潮堤は要らない」
 決断のわけ~

「宮城県女川町」~「巨大防潮堤は要らない」決断のわけ~

東日本大震災で住民の1割近くが犠牲となった宮城県女川町。震災直後、住民の間から巨大な防潮堤を作って海と町を遮断しようという案が出てくる。「海なんて敵だ!」悲惨な体験に基づく思いがこもった案。その一方で、津波を体験したからこそ、人工の巨大な壁の効果や海が見えなくなることに疑問を持つ人々もおり、町当局は巨大防潮堤建造より住宅の高台移転をすすめようとしていた。やがて明らかになった巨大防潮堤案の大問題。番組では巨大防潮堤なしの復興方針が決まってゆくまでを女川町の人々の証言でつづる。

証言記録・東日本大震災 第36回

「福島県新地町」
~津波は知っているつもりだった~

「福島県新地町」~津波は知っているつもりだった~

100人余りの犠牲者が出た福島県新地町。大津波警報が出ても多くの人が逃げようとせず、地震の後片付けをしたり、海岸に津波見物に行っていた。津波を警戒しなかった理由はこの町が唯一経験した1960年(昭和35年)のチリ地震津波の体験にある。人々の記憶には被害が少なかった津波ではなく、水が引いた海岸で魚や海藻を取った思い出ばかりが残っていた。今回の津波でも、人々はチリ地震津波を越えないと勝手に思い込んでしまった。番組ではひとつの集落の人々の行動をつぶさにたどりながら、過去の津波体験に基づく思い込みが多くの犠牲につながっていった仕組みを証言で綴る。

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地方から見た戦後
三陸・田老
大津波と“万里の長城“

三陸・田老 大津波と“万里の長城“

1933年(昭和8年)の大津波で911人が亡くなった岩手県宮古市田老(たろう)。24年をかけて巨大防潮堤を建設し、その姿は「万里の長城」と呼ばれた。1960年のチリ津波特別措置法の制定にあたっては、津波対策のモデルとなった。田老にも第二の防潮堤が建設されたが、東日本大震災で は破壊され、多くの犠牲者を出した。戦後日本の津波対策を田老の防潮堤を軸に人々 の証言で描いた。
放送:2014年1月11日

地方から見た戦後
福島・浜通り
原発と生きた町

福島・浜通り 原発と生きた町“

福島県東部の浜通り。原発事故で、多くの人々が避難生活を余儀なくされている。戦後、双葉町と大熊町は原発を誘致し、1971年、第一原発の稼働を迎える。新たな雇用が生まれ、出稼ぎをせずとも暮らせるようになったが、反対運動も生まれた。国は巨額の交付金を配付したが、90年代になると町の財政が悪化し、さらなる原発の増設を求めていった-。浜通りの人々は、原発と共に生きてきた戦後をどのように見つめる のか。
放送:2014年1月4日

市民たちの戦争
封印された大震災~愛知・半田

市民たちの戦争 封印された大震災~愛知・半田

1944年(昭和19年)12月7日。マグニチュード7.9の東南海地震が発生。
死者・行方不明者1、223人の震災で最大の犠牲者を出したのは愛知県半田市にあった日本最大の軍用機の工場だった。国は被害がアメリカに知られることを恐れ情報操作を行った。新聞は地震発生の事実を伝えるのみで具体的な被害には一切触れず、工場で働いていた学徒たちには厳しい箝口令(かんこうれい)がしかれた。東南海地震の悲劇が明らかになったのは、戦後十数年を経た後のことだった。
放送:2011年8月10日

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