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地域まとめ #01

宮城県女川町


海と寄り添い生きてきた人々を襲った津波
全国でも有数のサンマの水揚げ基地として知られ、銀ザケをはじめ、カキやホタテ、ホヤなどの養殖も盛んだった女川町。 リアス式の海岸がつくる深くて静かな港と、山に囲まれた土地に1万人が暮らしていました。 あの日、東日本大震災が引き起こした津波は町を襲い、死者・行方不明者の数は900人以上、 ほとんどすべての住民が親しい人を失い、地元の水産業も大きな打撃を受けました。
震災の被害状況
人口:
8196人
死者:
575人
行方不明者:
340人
津波の高さ:
18メートル
全壊家屋:
2923棟
半壊家屋:
347棟

空からみた被災地

震災前は漁業の町として栄えていた女川を、津波が一変させてしまった。
震災直後の生々しい津波の爪痕の残る光景から、漁業復活へ歩み出した町の姿までを、
空からのカメラが映し出した。

地図1
宮城県 女川町

かつては豊かな海が広がっていた女川湾。 空からのカメラは壊れた防波堤や大きく水没した岸壁といった 津波の被害を物語る映像のほか、復興に向けて整備された銀ザケの養殖生けすなどもとらえている

宮城県 女川町 出島

全世帯の8割が沿岸に集中していた出島。 津波で壊滅的な被害を受けた住宅の様子や、 住民が避難した高台の学校。 さらには仮設住宅の浮き防波堤など、本格的に始まった復旧作業の模様も空から撮影

青山 貴博さん(40)

足元まで迫る水、死を覚悟した瞬間

青山さんは、津波から逃れるため、勤めていた商工会ビルの屋上にある給水タンクの柱によじ登る。 しかし水は足元50センチのところまで迫り、青山さんはこの時、死を覚悟した。

家族のために、ネクタイを給水タンクのリングに縛りつけた

家族のために、ネクタイを給水タンクのリングに縛りつけた

“今回、奇跡だといわれるが、生存した人たちには、
大なり小なりドラマが必ずあると思う。
3・11のあの日、受水槽の上で終わったものと
いうつもりで、今、一生懸命自分の持っている仕事を、
みなさんのためにやろうかなと思っています”

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小野寺 武則さん (60)

女川を一瞬にしてのみ込んだ津波

港から250メートル離れた所に住んでいた小野寺さん。しかし津波は町の奥深くまでを襲い、自宅の屋根に避難した彼は、建物ごと女川湾は流されてしまった。

いったん高台に避難したが、1人で自宅に戻ったところを津波に襲われた。

いったん高台に避難したが、1人で自宅に戻ったところを津波に襲われた。

“今まで、一生懸命頑張ってきて、先祖から受け継いで
きたものが、一瞬にして30分もかからないうちに、
がれきになって海に流されて。
そんなことを考えると、もうほんともう、
心が折れましたね。
バッキリ折れましたね”

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佐々木 英子さん (58)

夫の思いを継いで、文学碑の再建を

津波で夫を亡くした佐々木さん。亡き夫が建設のために奔走した高村光太郎の文学碑は、津波で倒れてしまったが、その再建に向けて、彼女は新たな活動を始めた。

文学碑には、女川の漁師たちに感銘を受けた光太郎の言葉が刻まれている

“(文学碑は)心の支えですね。生きる道しるべ。
私の思いとしてはね。
残されたお仕事を、夫のように才能も能力も
ないんですけれども、
少しずつでも続けていくことによって、
何か見えてくるのではないかなって”

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阿部 淳さん (37)

父親から受け継いだ伝統の味を守る

阿部さんの加工場では、地元の素材を生かしたサンマの昆布巻きを作っていた。津波で加工場を失うが、友人の工場の一角を借りて、昆布巻きを再び復活させる。

阿部さんの先代にあたる父が昆布巻きを考案した。

阿部さんの先代にあたる父が昆布巻きを考案した。

“まあ基幹産業と言われている水産業で、
もう一度やっていきたいなっていうより、
やっていかないと生きられないですよね。
先祖代々こういうふうに守ってきた土地もありますので。
それぐらい、何と言いますかね、
思い入れというか女川に対してはありますね”

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復興の軌跡

津波によって地元の水産業は大きな被害を受けた。
しかしながら漁業の町としてのにぎわいを取り戻すために、女川の漁業者たちは再び立ち上がった。
復興へと歩み始めたその軌跡をニュース映像で追った。

万石浦 NHKニュース (2011年4月15日)

種ガキで養殖復興に乗り出す

がれきの撤去が続く万石浦では、地元の漁業者が動き出した。入り江の奥の養殖場に残っていたカキの稚貝の種ガキを使って、養殖業の復興に乗り出したのだ。

いまだがれき撤去が続くなかでの取り組みだった

“とにかく自分たちの養殖業をこのままにしておけない。
みんなで共同でがんばっていきたい”

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女川湾 NHKニュース (2011年5月17日)

漁場のがれき撤去が始まる

女川町の1キロほどの沖合では、漁業の妨げになっている海底のがれきの撤去作業が始まった。大型クレーン船を使って海から壊れた養殖施設や大量の廃材、鉄骨などが引き上げられた。

撤去作業には時間がかかることが予想された

撤去作業には時間がかかることが予想された

“量がはっきりわからないので3か月間を目標に
考えている。
漁業の再開のために進めているのでがんばっていきたい”

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尾浦漁港 NHKニュース (2012年4月27日)

銀ザケの初水揚げで市場に活気が戻る

尾浦漁港で震災のあとに養殖された銀ザケ約2.5トンが、初めて水揚げされた。初水揚げとしては、例年並みの値段で取り引きされ、久しぶりに市場が活気づいた。

阿部さんの先代にあたる父が昆布巻きを考案した。

震災前年の水揚げが5000トン余。銀ザケの養殖では全国一の生産量だった

“今日は本当にありがたい。
(放射性物質の)検査態勢もちゃんとしている。
ぜひ皆さんに食べてほしい”

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女川港 NHKニュース (2012年7月14日)

大漁旗をなびかせてサンマ漁船が入港

全国有数のサンマの水揚げ量を誇る女川港で、震災後、県内で初めてとなる新サンマ漁船が、たくさんの大漁旗をなびかせて入港し、竣工式が行われた。

いったん高台に避難したが、1人で自宅に戻ったところを津波に襲われた。

船をひと目見ようと港にはたくさんの地元の人が集まった

“女川の復興の一つのシンボルに
なればいいなと思う”

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女川漁港 ニュース7 (2013年1月7日)

遠洋マグロ漁船が新たな船出

震災の火災に巻き込まれて全焼した遠洋マグロ漁船が新たに建造され、関係者が完成を祝った。再び漁業の町ににぎわいを。そんな漁業者の復興への願いを乗せたマグロ漁船は、新たな船出を迎えようとしていた。

いったん高台に避難したが、1人で自宅に戻ったところを津波に襲われた。

新しく建造された船は、このあと太平洋の漁場へ向かった

“町はまだ復興途中ですが、
新しい船が地域の復興の明かりになれば”

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