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地域まとめ #03

宮城県多賀城市


市の3分の1が浸水した東北最大の物流拠点
仙台港の北に位置する多賀城市は、港に集積された物資を東北各県に運ぶ、国道45号線と県道23号線、通称「産業道路」を中心に東北最大の物流拠点として発展してきました。仙台市のベッドタウンとして住宅地も多かったこの街を、あの日、震度5強の地震が襲いました。津波により市の面積の3分の1が浸水し、特に国道45号線より東側の工業団地や住宅地は、壊滅的な被害を受けました。
震災の被害状況
人口:
6万1576人
死者:
188人
行方不明者:
1人
津波の高さ:
4~7メートル
全壊家屋:
1730棟
半壊家屋:
3605棟

空から見た被災地

市内で最も大きな被害を受けた港湾地区。
カメラは被災したその地域の光景を中心に、
物流の拠点の再開に向けて動き出した多賀城の街の様子を空から映し出していく。

地図1

撮影:
2011年3月11日ほか

宮城県 多賀城市

空からのカメラがまず映し出すのは7メートルを超える津波に襲われた港湾地域の製油所。火災で焼け残った製油所のタンク、さらには脱線した貨物列車などの映像をとらえる一方で、生産を再開した製油所、敷き直される線路、生産ラインを回復させた工場など、復興が始まった街の様子も合わせて撮影している。

結城 正さん(57)

渋滞に巻き込まれ、車ごと流される

市内を車で移動中の結城さんは、渋滞に巻き込まれ、車ごと津波に流された。
中古車販売店の大型トラックの屋根によじ登った彼は、氷点下3度の寒さの中、
救助を待ち続けた。

販売店には結城さんを含め、18人の男女が取り残された

販売店には結城さんを含め、18人の男女が取り残された

“僕なんか、もう歯ぐきが震えだして、
声を出してもガタガタで、
発声ができない状況になりました”

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髙橋 淳子さん

人々の善意によって生かされた命

髙橋さんは、タクシーで自宅に帰る途中、津波に襲われた。車は国道を外れ、アパートに流れ着いた。自力で車から抜け出すことができずにいた彼女を、アパートに避難していた人たちが救助に向かう。

タクシーはアパートのフェンスまで流されて止まった

タクシーはアパートのフェンスまで流されて止まった

“いい人と巡り合って助かったんだと思います。
津波とか地震とか、いろいろな災難があると、
良さというのか、その人の優しさ、思いやりが出てくるのかな”

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松浦 大二さん(73)

運河を襲った津波を撮影

地震が起きたとき、自宅にいた松浦さん。揺れが収まった後、歩いて5分ほどの運河、貞山堀(ていざんぼり)の様子を見にいった彼は、運河に押し寄せてくる津波を手持ちのカメラで撮影した。

当初は映像を公開するのにためらいもあったという

当初は映像を公開するのにためらいもあったという

“これだけのことがあったので、
早く忘れたいんだろうなと、私もそう思いました。
でもこれ、実際に現実にあったものですから。
これは忘れちゃ、逆に忘れちゃだめで、
とにかく伝えていかなきゃいけないっていう
気持ちがありましたね”

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椎井 一意さん(63)

全社員300人での避難

海から1キロほどのところで会社を経営していた椎井さん。津波が来ることを予想した彼は、
社員300人と共に、徒歩20分の距離にある市の指定避難場所へと歩き出した。

震災後、撮影した記録は一冊の写真集にまとめられた

昔、何度となく聞かされた津波の話が、彼をこの行動に駆り立てた

“作業着姿の大人が300人、隊列をなして避難している姿は、
「何もここまで大げさなことをしなくてもいいんじゃないか」
というような目で見られていたような気がします。
やっぱり社員の命が最優先ですので、
そういう意味では空振りに終わっても助かればいいと”

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復興の軌跡

津波は海から4キロ離れたところまで浸水し、
付近の工場や住宅に被害を与え、多くの車も波にのまれて流された。
そこから多賀城の人々は何を学び、どう復興へと生かしていったのか。
街の復興の記録をニュース映像とともに振り返る。

文化センター NHKニュース(2011年4月19日)

洗濯ボランティアで生活再建の手助けを

避難所に大型の洗濯機が持ち込まれた。静岡県伊豆の国市からのボランティアが、被災した人たちの生活再建への手助けになればと、洗濯サービスを行ったのだ。

早朝から洗濯を希望する人たちの長い列ができた

早朝から洗濯を希望する人たちの長い列ができた

“被害に遭われた方のために役立つのなら、
非常に良かったと思います”

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多賀城市役所 ニュース7(2011年5月15日)

津波で流された車の撤去が始まる

津波で流された車を撤去する作業が始められた。流された車は市の推計で7000台以上。
しかし保管する場所の確保や持ち主との連絡がつかないなどの理由で、作業は難航した。

この時点で確保できた保管場所は4か所。およそ4000台分しかなかった

この時点で確保できた保管場所は4か所。およそ4000台分しかなかった

“現在、いろいろな企業をあたって
保管場所の確保には努めているんですけども、
なかなか難しい問題だと思っています”

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JR多賀城駅前 NHKニュース(2011年6月9日)

子どもたちが感謝のメダルを
自衛隊員に贈る

市内の入浴施設を運営している自衛隊員。感謝の気持ちを彼らに伝えようと、
保育所の子どもたちからクレヨンで「ありがとう」と書き込んだ手作りのメダルが贈られた。

宮城・岩手・福島では約6万9000人の自衛隊員が捜索や支援活動を行っていた

宮城・岩手・福島では約6万9000人の自衛隊員が捜索や支援活動を行っていた

”とてもうれしい。
やりがいがあって人の役に立てたかなと実感がわいた”

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八幡歩道橋 NHKニュース(2015年2月28日)

“津波の恐ろしさ後世に”
高校生が表示板設置

津波の恐ろしさを後世に伝える取り組みが、2013年から地元の高校生たちによって
続けられている。この日も自分たちでデザインした津波の高さを示す表示板を取り付ける
作業を行った。

家族の思い出の写真を求め、朝から多くの人が訪れた

市内100か所あまりで津波の高さを測定した

“もし同じ津波が来たときに、
「ここにはこれだけの津波が来た。
だから、危ないからもっと高台に避難してください。」
というメッセージが伝わればいいなと思って制作しました。”

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