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地域まとめ #06

宮城県南三陸町


市街地を飲み込んだ大津波で市職員ら多数が犠牲に
南三陸町は、宮城県沿岸北部に位置する、養殖業、水産加工業が盛んな三陸地方の典型的な街の一つでした。
街の景観を形づくる、リアス式海岸特有の入り組んだ海岸線は、過去に何度も津波の被害を受けてきました。
東日本大震災では、津波は町の中心部を襲い、住宅の約70パーセントがほぼ全壊。また、町役場をはじめ、警察署、消防署、公立病院も大きな被害を受け、なかでも防災対策庁舎においては、最後まで避難を呼びかけていた多くの職員らが犠牲となりました。
震災の被害状況
人口:
1万5141人
死者:
565人
行方不明者:
280人
津波の高さ:
約20メートル
全壊家屋:
3142棟
半壊家屋:
169棟

空から見た被災地

町の中心地である志津川地区と北部に位置する歌津地区、ともに津波に襲われ、
その被害のすさまじさを伝える建物や施設が残る地域でもある。
カメラはそれらの建物の空からの映像とともに、
かつてのにぎわいを取り戻そうとする街の様子もとらえていく。

地図1

撮影:
2011年3月12日ほか

宮城県 南三陸町 志津川地区

地域の基幹病院だった志津川病院をはじめ、警察署、防災対策庁舎など、震災前とは様変わりしてしまった建物を空からのカメラは映し出す。そして震災から1年後の映像では、高台に移転し、業務を再開した役場やワカメの加工場など、復興へ向けて動き出した街の姿も追っていく。

撮影:
2011年3月11日ほか

宮城県 南三陸町 歌津地区

地元で発掘された貴重な化石を集めた魚竜館や、
歌津大橋、伊里前漁港の堤防など、この地区でも津波は猛威をふるい、街の機能が麻痺してしまった様子を空からとらえている。さらには復興の願いを込めて、
被災地の一角に飾り付けされた県外や海外から届けられた25,000もの折り鶴の映像も撮影。

佐々木 夏蓮さん(15)

心細い一夜を過ごした小学生

震災当時、小学5年生だった佐々木夏連さんは、学校へ来てくれた母の存在に心が和らいだ。
しかし、先生の指示で母と離れ離れの場所に避難することになった彼女は、不安な一夜を
過ごすことに。

特に会えていない父のことが心配だったという

特に会えていない父のことが心配だったという

“家族が一番だなというのは、やっぱり思いましたね。
あとはすごい当たり前のことなんですけど、
今、普通に生活していることも、
幸せなんだと実感できましたね”

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齋藤 淳子さん(44)

引きこもり女性を変えた防災無線の声

20年あまりにわたって引きこもり生活を送っていた齋藤さんは、家が津波で浸水する直前まで
避難せず、部屋にこもっていた。そんな彼女の背中を押したのは、防災無線から避難を呼びかける女性の声だった。

震災後、彼女は親元を離れ、自立支援施設で職業訓練を受け始めた

震災後、彼女は親元を離れ、自立支援施設で職業訓練を受け始めた

“防災庁舎の方は、みんな助かってほしかったです。
「あなたの放送のおかげで助かりました」って、
言えたら良かった。
何か恩返しをしたいんだけれど、じゃあそれはまず自立することだ。自分のことを自分でしっかりできるようにすること”

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麻生川 敦さん(55)

もし自説を貫いていたら、
全員全滅だった

小学校の校長を務めていた麻生川さんは、とっさの判断で子どもたちを高台に誘導し、その命を救った。しかし震災前、彼は津波に飲まれた校舎屋上への避難を自信をもって主張していた。

今では一つの考えにとらわれないことが大切だと感じているという

今では一つの考えにとらわれないことが大切だと感じているという

“私が自信をもって主張していたのは屋上避難。
もし、その通りにしていれば、
まず全員全滅だったなと思います”

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佐藤 由成さん(67)

建物に残ったお年寄りを助けた

志津川地区で結婚式場の営業部長を務めていた佐藤さん。芸能発表会のために集まっていた、平均年齢80歳のお年寄りたちを建物の屋上へ避難させ、津波から救った。

高台への避難は間に合わないと判断した彼は、皆を建物に残すことに

高台への避難は間に合わないと判断した彼は、皆を建物に残すことに

“(皆を建物に)残して助かったからよかったけども、
助からなかったら、これは大変なことをしたなと。
もし何人かでも、ここで亡くなっていたら、
俺はこの町にはいられなかったな”

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田畑 祐梨さん

語り部の活動を始めた高校生

南三陸の復興に違和感を抱いていた高校生の田畑さん。大人からの目線ではなく、自分を含めた地元の若い世代の声を伝えようと、語り部の活動を始めることに。

“語り部をしたあとに
2、3日ほんとに私がこれをするべきなのかって悩んでいて。
でも次第に私が語り部をすることによって、
ちゃんとリアクション起こしてくれる人がいて。
南三陸町に来てほしいなって思うので、
私に会いにきてくださいって伝えています”

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復興の軌跡

大津波で市街地のほぼすべてが水没した南三陸町。
震災の“遺構”がいまだ残るなか、公共施設の高台への移転など、
かつての生活を取り戻すために、
いち早く復興へと歩み始めた南三陸町の人たちの姿を映像とともに振り返る。

南三陸町 上空 NHKニュース(2011年3月12日)

津波によって変わり果てた街

一夜明けた街の惨状を上空のヘリから撮影。ビルの屋上で助けを待つ人々、濁流に飲まれ、
跡形もなく流された木造家屋など、一瞬にして街を破壊した津波のすさまじさを物語る映像を
カメラは映し出した。

街は元の姿をとどめないほどの被害に見舞われた

街は元の姿をとどめないほどの被害に見舞われた

“鉄筋コンクリートの高い建物だけが残って、
そのほかは津波によって押し流されている様子がみてとれます”

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国道45号線 NHKニュース(2011年4月19日)

停電復旧、急ピッチで進む

震災による停電の復旧作業が急ピッチで進められ、被災地に真新しい電柱が立ち並ぶようになった。電柱と電柱の間を計りながら、杭を打ったり、元々あった場所を特定しながらの作業で、
新たにおよそ250本にのぼる電柱が建てられた。

秋田県や青森県から派遣された電力会社の職員が復旧にあたった

秋田県や青森県から派遣された電力会社の職員が復旧にあたった

“昼夜問わず頑張ってます。なるべく早く電気をつけたい。
しばらくの間、待ってほしい”

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南三陸町図書館 NHKニュース(2011年10月5日)

仮設の図書館がオープン

町に唯一あった公立図書館は津波で建物が壊れ、本もすべて流されてしまった。
この日、震災後に全国から寄せられた本やDVDなど、3,000点を集めた仮設の図書館が
オープンし、多くの市民でにぎわった。

高台にコンテナハウスで仮設の図書館を作った

高台にコンテナハウスで仮設の図書館を作った

“震災前も来ていたので、楽しみにして来た”

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歌津地区伊里前川 NHKニュース(2012年5月1日)

ボランティアの支援で伝統漁を再開

かつては歌津地区伊里前川で盛んに行われていた「シロウオ」漁。震災のためできなくなっていたこの漁が、ボランティアの支援で川のがれきを片づけ、以前よりも上流に仕掛けを作ることで
2年ぶりに再開された。

震災で河口付近が地盤沈下、伝統的な仕掛け「ザワ」が作れなくなっていた

震災で河口付近が地盤沈下、伝統的な仕掛け「ザワ」が作れなくなっていた

“復活できると思ってなかったから、
シロウオがのぼってくる状況、励みになる”

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南三陸病院 おはよう日本(2015年12月14日)

新たに高台に再建された公立病院

東日本大震災の津波で患者と看護師、あわせて74人が犠牲になった「志津川病院」が、高台に再建された。「南三陸病院」と新たな名前で開業することになったこの病院は、延べ床面積8,400平方キロメートル余、鉄筋コンクリート3階建て、介護サービスなどを行う総合ケアセンターも
併設されている。

病院が再建されるまでは、仮設診療所や間借りした病院で診療を続けていた

病院が再建されるまでは、仮設診療所や間借りした病院で診療を続けていた

“東日本大震災では、
あわせて6つの公立病院が津波で全壊しましたが、
再建されるのは初めてだということです”

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防災対策庁舎 おはよう日本(2015年12月22日)

“防災対策庁舎”震災20年後まで県が管理

東日本大震災の記憶を伝える「震災遺構」の1つ、南三陸町の防災対策庁舎が、震災から20年後まで県によって維持管理されることになった。この日、庁舎の前で式典が行われ、県幹部と
町長との間で引き渡しを確認する文書が交わされた。

「保存」か「解体」か。地元住民の間でも意見が分かれていた

「保存」か「解体」か。地元住民の間でも意見が分かれていた

“私たちに必要なのは、
未来に向けて何ができるかを考えることだ。
次代を担う世代の皆さんと一緒に
現実と向き合って議論する時間が必要だ”

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