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地域まとめ #07

福島県南相馬市


津波と原発事故、2つの大災害に見舞われた街
東日本大震災で震度6弱の激しい揺れを観測した南相馬市。
沿岸部には津波が押し寄せ、多大な被害に見舞われました。
さらに東京電力・福島第一原発の事故により、放射能汚染地域とされた街には、物資や情報が届かず、住民は食料、生活物資、燃料の窮乏に苦しむことに。
その後も原発事故の影響で、住民全ての帰還は困難な状況が続いていましたが、2016年7月12日に帰還困難区域を除いて、南相馬市への避難指示は解除されました。
震災の被害状況
人口:
6万6173人
死者:
1015人*
行方不明者:
111人*
津波の高さ:
9.3メートル以上

(相馬市で観測。気象庁調べ)

全壊家屋:
5432棟
半壊家屋:
1306棟

* 消防庁の平成28年3月8日公表の「被害の状況」より


藤原百合子さん(34)

原発危機の中、ぎりぎりの看護を続ける

福島第一原発から25キロの距離にあった藤原さんの勤める病院は、原発事故後に状況が一変。医師や看護師が次々と去って行き、残されたスタッフに、多大な負担がのしかかる。

残った看護師たちは、1人で40人近い重症患者を、診ることになった

残った看護師たちは、1人で40人近い重症患者を、診ることになった

“みんないなくなっていく中で、
なんで(患者を)診なくちゃいけないのかなっていう部分も、やっぱり時には出たり、
そんなことを絶対思っちゃいけないなっていう自分もいたし”

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上田 由幸さん(42)

残された人々のために物資を届ける

原発事故後、南相馬市は、隣りの相馬市に物資を集積することになった。被ばくのおそれのある中、運送会社を経営する上田さんは、その物資を南相馬市に届ける役目を引き受ける。

上田さんの姿を見て、従業員たちも自主的に物資を運び始めた

上田さんの姿を見て、従業員たちも自主的に物資を運び始めた

“自分の会社のトラックをフルに使って、仕事ができて、
なおかつ(南相馬市に)残っていらっしゃった市民の方の
役に立てたというのは、今、本当に実感していますし、
やって良かったと思います”

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黒木 洋子さん(57)

お年寄りの避難施設を探して

福祉サービスセンターの所長を務めていた黒木さんは、原発事故で避難所を転々とすることに。いつ終わるとも知れない24時間態勢の介護が続き、このままではお年寄りたちがもたないと
判断した彼女は、新たな受け入れ先を求め、福島市へ向かった。

震災の後、患者も介護する黒木さんら職員の忍耐も、限界に近づきつつあった

震災の後、患者も介護する黒木さんら職員の忍耐も、限界に近づきつつあった

“命をつなぐという形で、
私たちお手伝いさせていただいたのかなと思います。
弱者的な立場の方たちを、
やはりきちっと守っていくというのが、
みんなで考えていかなくてはと思います”

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山田 護さん(65)

避難できなかった人たちに食料を

原発事故で避難指示が出されるが、認知症の母親を抱えた山田さんは、家族と街にとどまることを選ぶ。すると鮮魚店を営む山田さんのところに、「何か食べるものはないか」と、街に残った人たちから電話がかかってくるようになる。

店を開け続け、食料を求める人たちを支えた

店を開け続け、食料を求める人たちを支えた

「何か食べる物がないか」って。切迫していますからね。
今日明日のことはやっぱり。
はっきり言えば命が懸かっています。食べる物がなくて”

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川村 周作さん

“あの日”の救助作業を
消防隊員が振り返る

消防署勤務の川村さんは、地震発生時、署内で激しい揺れに襲われる。混乱した通報者からの声が漏れ聞こえる中、被災地へ出動した彼は、津波に飲み込まれた街で、被災者の救助に奔走することになる。

“一番印象に残っているのは、車の中から助けた家族3人の、
その女の子が今どうしているのかなっていう。
今も小高区は入れなくて
きっと多分、別の学校で勉強しているのかとか、
原発問題で避難したのか、
どうしたのかなっていう思いはあります”

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復興の軌跡

津波に原発事故が重なり、復興が思うように進まない状況にあった南相馬市。
それでもあきらめることなく、故郷の再生に取り組んだ人たちの
これまでの歩みをニュース映像でたどる。

南相馬市 NHKニュース(2011年3月11日)

巨大な津波が街に襲いかかる

カメラは津波が沿岸部に押し寄せた瞬間を映し出した。そして巨大な波に飲み込まれ、水に浸ってしまった街の様子のほか、津波で破壊された住宅など、震災直後の生々しい南相馬の映像をとらえている。

津波は轟音とともに町を飲み込んでいった

津波に飲み込まれ、街は壊滅的な被害を受けた

“南相馬の原町区上渋佐の老人福祉施設が倒壊し、
十数人が建物の下敷きになり、
このうち5人の死亡が確認されたということです”

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原町区小沢 NHKニュース(2011年4月7日)

避難指示地域で行方不明者の捜索

福島第一原子力発電所からおよそ18キロの距離にある原町区小沢。避難指示のため、
これまで大規模な捜索が行われていなかったが、警察が本格的な行方不明者の捜索に
乗り出し、NHKの取材班も同行した。

職員たちは一軒一軒、被災した家屋の被害状況の確認を行った

防護服を身に着けた機動隊員たちが、放射線量を確認しながら作業にあたった

“この一帯は住宅のがれき、木の破片、新聞、金属の破片、
水道管…、あらゆるものが散乱しているといった状況です”

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小高区井田川 ニュース7(2012年4月16日)

警戒区域が解除されるも、
復興へは問題が山積

南相馬市の警戒区域がこの日解除された。およそ1年間立ち入りが制限されていたため、
がれき撤去・除染などはほぼ手つかずの状態で、住民が元の暮らしを取り戻すためには
多くの課題が残されていた。

踊り手も半数以上が被災者、なかには家族を亡くした人もいた

街にはうず高く積みあがったままのがれきなどが散乱していた

“早く前みたいに戻ってもらえればと思う反面、
不安のほうが多い”

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雲雀ヶ原祭場地 NHKニュース(2013年7月29日)

伝統の夏祭りで復興を祈願

地元の伝統の夏祭り、「相馬野馬追」。昨年、ほぼ例年どおりの規模で復活したこの祭りが
今年も行われ、騎馬武者たちが旗を奪い合う勇壮な「神旗争奪戦」で、震災と原発事故からの
復興を祈願した。

およそ430騎の騎馬武者たちが隊列を作って、市内の会場まで練り歩いた

およそ430騎の騎馬武者たちが隊列を作って、市内の会場まで練り歩いた

“馬も死んじゃったんだ。
でも一矢報いることができ、悔いはない”

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小高区 NHKニュース(2013年8月26日)

計画より1年半遅れて、除染が始まる

当初は2012年4月から始められる計画だった除染作業が、小高区などでようやく始まった。
作業員が住宅の壁に付着した放射性物質を布でふき取る作業などに従事するが、当面の目標としていた2014年3月末までに終わる見通しは立っていなかった。

箱めがねを覗き込みながら、ウニ漁に励む漁師たち

廃棄物の仮置き場の調整が難航し、本格的な除染の実施時期がずれ込んだ

“元の姿に戻そうとする気が(国側に)本当にあるのか。
今でも疑問”

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JR原ノ町駅 NHKニュース(2015年1月31日)

帰還困難区域で代行バスの運行開始

原発事故の帰還困難区域にある常磐線の一部区間で、JR東日本が代行バスの運行を始めた。北側の発着点となる原ノ町駅では、第1便の出発前にセレモニーが行われ、市長らが運行開始を祝った。

帰還困難区域を公共交通機関が運行するのは初めてのことだった

帰還困難区域を公共交通機関が運行するのは初めてのことだった

“まだまだ除染が完了しない状況だが、
早急に常磐線が開通するまで頑張りたい”

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小高区 おはよう日本(2015年8月28日)

地元住民の手による田畑の復旧作業

津波の被害を受けた田畑で、市から委託を受けた地元の人たちが、がれきを拾う作業を3年前から行っている。この日は、一時帰宅した人たちに少しでも復興を実感してほしいと、田んぼに
コスモスの種をまいた。

がれき拾いを行う田畑は767ヘクタール。東京ドーム164個分の広さにあたる

がれき拾いを行う田畑は767ヘクタール。東京ドーム164個分の広さにあたる

“人の手が加わって大地が耕されて
花が育ってっていうのを見るのは誰が見てもね、
うれしいんじゃないかなぁと思って”

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