1.17から3.11へ

手記
 神戸からあなたへ

「あるがまま」に生きる

中島 美恵 さん

15歳の時、自宅で被災。
1階の寝室で寝ていた美香さんは母・姉とともに生き埋めになる。自力で脱出した姉に助けを求めたが、届かず、6時間後、父親と近所の方、そして仲間の安否を確認するために見回っていた神戸大学のラグビー部の学生たちに救助される。その1時間後、母は遺体となって瓦礫の中から見つかった。

1月17日 5時46分の出来事
1995年1月16日、神戸市灘区にある実家で、父と母、中学3年の私と高校3年の姉はいつもどおりの夕食の時間を過ごしていました。料理を苦手とする母はその日はやけに嬉しそうに「今日の筑前煮は上手にできた」と言い、食べてみるとなるほど、いつもよりも味が染みていて、「おいしいおいしい」と、普段あまりほめることのない父も、そんな言葉を口にしました。まさか、これが家族四人で揃って食べる最後の食事になるなど夢にも思わずに。


翌朝早朝5時46分、突然、背中を“ドン”と突き上げられるような大きな縦揺れに目を覚ますと、次の瞬間、激しい横揺れに襲われ、とっさに布団を頭からかぶり、必死に目を閉じ、横向けになりました。ギギギギ、バキバキバキ、ガッシャーン。まるで家全体が悲鳴を上げるかのように耳を劈く破壊音をたて、古い2階建ての木造住宅はあっけなく、ぺしゃんこに潰れて、1階に寝ていた母、姉、私が生き埋めになりました。


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双子の一人を亡くしました。
守ってやれなかったと泣いてばかりいました。
けれど、そんなママではあの子が悲しむ、
少しずつそう思えるようになりました。
笑ってはいけないと思っていた私が、
今笑っています。いつか笑顔になって欲しい。

あの日弟が亡くなりました。
すぐ近くにいたのに何もしてやれなかった。
自分を責め続けていました。
でも17年の間にそれも人生の一部だと思えるようになりました。
生きているからこそ気持ちは変わっていく。
どうか自分を責めないで。

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