2015年09月07日 (月)

太宰治が芥川賞懇願する手紙見つかる

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若き日の、作家、太宰治が文壇の重鎮、佐藤春夫に宛てて書いた手紙が新たに見つかりました。自分の作品を芥川賞に選ぶよう懇願するなどの内容で、当時の心境を物語る資料として注目されています。
見つかったのは、昭和10年からよくとしにかけて、20代半ばだった太宰治が文壇の重鎮で芥川賞の選考委員も務める佐藤春夫に宛てて書いた3通の手紙です。実践女子大学の河野龍也准教授が、佐藤の遺族が保管していた資料の中から発見しました。
このうち、昭和10年6月の日付があるものは初めて送った手紙とみられ、佐藤から作品の評価を伝え聞いた太宰は「うつかり気をゆるめたらバンザイが口から出さうで、たまらないのです」と喜びをつづっています。
また、昭和11年1月の手紙は長さ4メートル余りの巻紙にしたためられています。前の年に行われた芥川賞の最初の選考会で作品が候補になったものの選ばれず、手紙には「こんどの芥川賞も私のまへを素通りするやうでございましたなら、私は再び五里霧中にさまよはなければなりません」「私を忘れないで下さい」「いのちをおまかせ申しあげます」と自分の作品を選ぶよう懇願する内容になっています。
太宰治が芥川賞の選考委員に受賞を懇願する手紙やはがきはこれまでも見つかっていますが、今回の手紙の発見によって受賞を熱望する様子がさらに明らかになったと専門家は評価しています。
太宰はその後も芥川賞を受賞することはなく、河野准教授は「かなわなかった敗北感がその後の核となり、のちの作品に生かされたのだろう」と指摘しています。

手紙の詳細な内容は

今回見つかった3通の手紙のうち、昭和10年6月5日の日付が書かれたものは、太宰治が佐藤春夫に初めて送った手紙とみられています。佐藤は、太宰の作品『道化の華』などを読んで感心し、弟子を通じてその評価を伝えていたということで、手紙にはそのお礼がつづられています。「このたびは、命うれしく思ひました」という書き出しで「よろこびの言葉をあれこれと一昼夜ほどえらびまよつた揚句のはてに命うれしくといふ言葉がふいと浮んで来ました」と思いを巡らせながらしたためたことを伝えています。そのうえで「うつかり気をゆるめたらバンザイが口から出さうで、たまらないのです」と喜びを表現し「私も悪くはありません、きつと好きになると思います」と、懇意になりたい思いをにじませています。
また、昭和11年1月の手紙は26歳だった太宰が長さ4メートル余りの巻紙につづりました。前の年、主人公がみずからの半生を振り返る太宰の作品、『逆行』が芥川賞の最初の選考会で候補になりましたが、受賞を逃しました。これを受けて手紙では「芥川賞は、この1年、私を引きずり廻し、私の生活のほとんど全部を覆つてしまひました」「こんどの芥川賞も私のまへを素通りするやうでございましたなら、私は再び五里霧中にさまよはなければなりません。佐藤さん、私を忘れないで下さい。私を見殺しにしないで下さい。いまは、いのちをおまかせ申しあげます」とつづり、受賞を懇願しています。

芥川賞に強い思い入れ

太宰治は、芥川賞に強い思い入れを持っていたことが知られています。
明治42年現在の青森県五所川原市に生まれた太宰治は、失踪騒ぎを起こしたり薬物の依存症になったりしながらも、作家として徐々に認められるようになりました。芥川龍之介に強く憧れていた太宰は、無名や新人の作家に贈られる「芥川賞」が設けられた昭和10年、主人公がみずからの半生を振り返る作品『逆行』を発表し、第1回芥川賞の候補になりました。芥川賞への思い入れは強く、選考委員だった川端康成や佐藤春夫に対し、受賞を懇願する手紙やはがきを何度も出しますが、受賞はなりませんでした。
あるとき、選考委員だった川端康成が「作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざるの憾み(うらみ)があった」と選評に記したのに対し、太宰は激怒して「刺す。さうも思った」などとする文章を雑誌に発表しました。また太宰は、佐藤春夫があたかも受賞を約束するような言動をしたなどと批判しましたが、佐藤は「今太宰治を異常に憎悪している」などと記し、才能を認めながらもたしなめました。こうしたやり取りはのちに「芥川賞事件」と呼ばれ世間を騒がせましたが、太宰は結局、芥川賞を受賞することはありませんでした。
その後、太宰は小説を書き続け、『走れメロス』や『斜陽』などで高い評価を受けました。また、昭和23年には、自分の本当の姿を誰にも見せられず破滅へと向かう男の半生を描いた代表作『人間失格』を完成させました。太宰は、『人間失格』を書き上げた1か月後、東京・三鷹市の仕事場の近くで身を投げて39年の生涯を終えましたが、作品は高い評価を受け、ことし7月に芥川賞を受賞したお笑い芸人の又吉直樹さんも小説を読み始めたきっかけとして太宰の作品を挙げています。
手紙を発見した実践女子大学の河野龍也准教授は「芥川賞を受賞できなかった前後の、周りに見捨てられたというような被害者としての意識が、作品を紡ぎ出すうえでの1つの原動力になっていたのではないか」と話しています。

 

投稿者:かぶん |  投稿時間:12:31  | カテゴリ:文化のニュース
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