2016年06月22日 (水)

海底の戦艦大和の映像一部公開 菊の紋章など鮮明に

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太平洋戦争末期に沈没した戦艦大和について、広島県呉市が先月、海底に沈む船体の調査を行い、このとき撮影された映像の一部が22日に公開されました。先頭にある菊の紋章や、世界最大級だったスクリューが鮮明な映像で映されています。

戦艦大和は広島県呉市にあった旧海軍工廠で建造された世界最大の戦艦で、昭和20年4月7日、鹿児島県枕崎市の沖でアメリカ軍の攻撃を受けて沈没しました。
広島県呉市は現在の姿を記録しようと、先月、自治体として初めて、水深350メートルの海底に沈む船体の調査を行って、50時間余りに及ぶ映像を撮影し、このうち、およそ4分間の映像を22日に公開しました。
先頭の艦首にある菊の紋章や、水の抵抗を減らすための艦首の下の丸い突起、それに当時世界最大級だった直径およそ5メートルのスクリューが鮮明な映像で映されています。
呉市によりますと、菊の紋章は金ぱくがすべて剥がれ落ち、木の土台が見えているほか、丸い突起は水圧でへこみ、変形しているということです。
一方、スクリューは今も金色に輝く姿が確認され、目立った劣化は見られないということです。
呉市は映像を詳しく分析するとともに、戦艦大和の象徴とも言われる世界最大の主砲、46センチ砲を含む映像の大部分を、ことし9月に公開することにしています。
調査に同行した、呉市にある大和ミュージアムの道岡尚生学芸員は「海底に沈む大和の姿を鮮明な映像で残すことは、当時の日本の技術の高さや戦争の悲惨さを伝えるうえで意義深いことだと思う」と話しています。

元乗組員「映像通し悲劇を後世に」

戦艦大和の乗組員として、およそ2年間、信号兵を務めた広一志さん(92)は、公開された映像を見て、「不沈艦と呼ばれた大和は優秀な成績の者だけが乗艦できる憧れの戦艦で、大和に乗ることは大きな誇りでした。自分が乗っていた、かつての大和のなきがらだと思うと何とも言えず、じんと来るものがあります。多くの先輩、後輩が亡くなっていったことを改めて思い出しました」と話していました。
そのうえで、「映像を通して、大和の悲劇を後世まで語り継ぎ、愚かな戦争を二度とせず、平和を願う気持ちを多くの人に持ってもらいたい」と話していました。

専門家「映像は悲劇を多くの人に伝える」

広島県呉市によりますと、海底に沈む戦艦大和の部品は当初、想定されていたよりも広い範囲に散乱していたため、今回の調査は対象を広げ、船体の周辺の東西450メートル、南北400メートルの範囲で行われたということです。
旧日本海軍の歴史に詳しい、呉市にある「大和ミュージアム」の戸高一成館長は「調査範囲が広がったことは、大和が受けた攻撃のすさまじさを物語っていると思う。撮影された映像は71年前の悲劇を忘れてはならないことを多くの人に伝えるものだ。今後、映像の分析を進め、現在の状況に加え、これまで不明な点が多かった沈没の過程についても明らかにしていきたい」と話しています。

戦艦大和とは

戦艦大和は、広島県呉市にあった旧海軍工廠で昭和12年から極秘裏に建造が進められ、太平洋戦争開戦直後の昭和16年12月に完成しました。
全長263メートルで、幅は最大38.9メートル、排水量6万5000トンの世界最大の戦艦で、最大速力は27.46ノット、時速およそ51キロでした。
装備の面でも、9門を備えた口径46センチの主砲や、直径およそ5メートルのスクリューなど、当時の最先端の技術を駆使して建造され、その技術は戦後、日本の造船業や建設業など、さまざまな分野の発展に生かされたと言われています。
戦艦大和は連合艦隊の旗艦を務めましたが、昭和20年4月7日、沖縄に向かう途中、鹿児島県枕崎市の沖でアメリカ軍の攻撃を受けて沈没し、3332人の乗組員のうち3056人が死亡しました。

投稿者:かぶん |  投稿時間:20:50  | カテゴリ:文化のニュース
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