2016年07月09日 (土)

「清洲会議」直前 秀吉に宛てたとみられる書状発見

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「本能寺の変」で織田信長が亡くなったあとの織田家の後継者について重臣たちが話し合った「清洲会議」の3日前に、信長の次男、信雄が羽柴秀吉、後の豊臣秀吉の指示を仰いだとみられる書状が見つかりました。専門家は、信長から秀吉の政権に移り変わる状況がうかがえる貴重な史料として注目しています。

この書状は、名古屋市の中京大学文学部の村岡幹生教授と播磨良紀教授が、先月、東京の古書店から購入しました。書状には、清洲会議が開かれた3日前とみられる「6月24日」の日付や、織田信雄のサイン=花押が書かれ、宛名には羽柴筑前守殿と記されています。
村岡教授によりますと、文面は、現在の三重県北部に布陣した信雄が岐阜城にいる羽柴秀吉に「そちらで配置をよきように決め、私に連絡をください。近くに、わが陣を寄せます」と指示を仰ぐ内容と読み取れるということです。
織田家の後継者を決める清洲会議の前後の信雄の動向が分かる史料はほとんど見つかっておらず、村岡教授は、信雄が秀吉軍に加わろうとしていることがうかがえるとしています。
また、播磨教授によりますと、信雄はそれまで使っていなかった織田家の花押を書いていて、秀吉に対し織田家の後継者であると誇示したのではないかとみられるということです。さらに書状を折り畳んだ際に重なる部分には花押の墨がついていて、墨が乾く前に急いで畳んで送ろうとしたのではないかということです。
播磨教授は「和紙の種類や花押からみて信雄の書状に間違いない。信長の没後、秀吉の政権に移り変わる状況を研究するうえで貴重な史料だ」と話しています。

投稿者:かぶん |  投稿時間:18:37  | カテゴリ:文化のニュース
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