2016年12月04日 (日)

戦艦「武蔵」 海底の映像から最後の様子など明らかに

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去年、フィリピン沖の海底で発見され世界の注目を集めた、旧日本海軍の戦艦「武蔵」の海底での様子を撮影した100時間に及ぶ未公開映像を、NHKは独占入手しました。映像の解析の結果、これまで謎に包まれていた武蔵の詳細と、その最後の様子が明らかになってきました。

「武蔵」は、旧日本海軍が極秘に開発した、当時世界最大級の戦艦で、太平洋戦争末期の昭和19年10月、フィリピンのレイテ湾に向かう途中、アメリカ軍によって撃沈されました。

その所在は長くわからないままになっていましたが、去年3月、アメリカの実業家が率いる調査チームが海底に沈む武蔵を発見し、海中映像の一部を公開して世界の注目を集めました。

NHKが調査チームから独占入手した100時間に及ぶ未公開の映像には、世界最大の主砲「46センチ砲」の一部や、対空防衛用に備えられた3連装の機銃、それにヒノキが貼られた甲板や10階建ての建物に相当する高さ30メートルにも及ぶ艦橋などが記録されています。

また映像には、ちぎれた状態の艦首や、裏返しになった艦尾の部分も映されていて、船体がばらばらになり、およそ1キロ四方の範囲に散らばっている様子が見てとれます。

さらに、NHKが独自の技術で映像を1000万枚の画像に分解して3次元の立体モデルとして再現したところ、艦長や士官たちがいた艦橋に爆弾が直撃したと見られる幅6メートルの巨大な穴が確認されたほか、船の左舷に沈没につながったと見られる魚雷が命中した跡が確認され、これまで謎に包まれていた武蔵の詳細や、その最後の様子が明らかになってきました。

広島県にある「大和ミュージアム」の館長で、旧日本海軍の歴史に詳しい戸高一成さんは、「武蔵は映像記録が少なく、幻とも言われていた武蔵を現実に引き戻したという意義は大きい。1隻の戦艦の歴史だけではなく、当時の時代背景まで考察することができる貴重な資料だ」と話しています。

戦艦「武蔵」とは

「武蔵」は、太平洋戦争開戦の3年前の昭和13年から、長崎県にある三菱重工業長崎造船所で極秘に建造が始まり、昭和17年に完成しました。

武蔵は戦艦「大和」と同型の姉妹艦で、全長263メートル、40キロ先まで届く巨大な主砲「46センチ砲」を搭載する、当時世界最大級の戦艦でした。

内部は1000以上の区画に分けられ、多少の浸水では沈没せず戦い続けられるよう設計されていたことから、絶対に沈まない「不沈艦」とも呼ばれていました。

しかし、太平洋戦争末期の昭和19年10月、フィリピンのレイテ湾に向かう途中、アメリカ軍の航空部隊の集中攻撃を受けて沈没し、およそ2400人の乗組員のうち1000人余りが死亡しました。

武蔵は軍の最高機密として建造されたため、写真や図面などの資料は軍の命令で処分され、公式な資料はほとんど残っていません。
また、戦後沈没した武蔵を捜索するさまざまな調査が行われたものの、船体は見つからず、「沈没したあとも海中をさまよい続けている」と噂されるほど、その存在は謎に包まれていました。

発見の経緯

アメリカ軍によって撃沈された「武蔵」は、戦後、さまざまな調査が行われたものの、船体が見つからず、沈没した場所が特定されることはありませんでした。

アメリカのIT企業、マイクロソフトの共同創業者で、実業家のポール・アレン氏は、沈没船調査の専門家からなる調査チームを立ち上げ、2007年から沈没した武蔵の調査を始めました。
アレン氏は、父親が太平洋戦争に従軍したことから、歴史的な軍事技術を保存することに情熱を感じていたということです。

調査では、戦時中アメリカ軍が撮影した数少ない武蔵の写真に写った背景の景色などから沈没地点を推測し、音波を使って海底の様子を調べる機器なども使い、捜索を行いました。

その結果、フィリピンのシブヤン海の深さおよそ1200メートルの海底に沈む巨大な船影が見つかり、調査チームは水中の様子を撮影できる潜水艇を使って調査を続けました。
そして去年3月、海底に沈む武蔵の船体をついに発見し、その映像の一部をインターネット上で公表しました。

沈没から70年余り所在がわからなかった武蔵の姿が海底で確認されたことは、歴史的な発見だとして世界の注目を集めました。

投稿者:かぶん |  投稿時間:07:02  | カテゴリ:文化のニュース
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