2016年12月13日 (火)

徳川慶喜を批判 渋沢栄一の草稿発見

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明治時代の実業家、渋沢栄一が明治維新期に江戸幕府の最後の将軍だった徳川慶喜に対して書いた書簡の草稿が見つかり、「鳥羽伏見の戦い」での慶喜の姿勢を強烈に批判するなど若き渋沢の心情を知る貴重な資料として注目されています。

書簡の草稿は、東京・北区にある「渋沢史料館」の学芸員が、渋沢家から寄贈された資料の中から見つけました。この中では大政奉還のあと、「鳥羽伏見の戦い」のさなかに徳川慶喜が大坂から引き上げたことについて、「戦(いくさ)は天下が望んだものなのに、江戸に戻り、朝廷に「恭順」するとは考えが徹底していない」としたうえで、「徳川300年の歴史を自ら棄ててしまう行為で、祖先や人民に何も尽くしたことにならない」と強烈に批判しています。

草稿は、幕末にパリ万博に派遣された徳川慶喜の弟の昭武から慶喜に宛ててパリで書かれたもので、近代の日本経済の礎を築いた渋沢栄一は、20代だった当時、使節団の一員として昭武に仕えていました。

渋沢は後年、昭武名義で慶喜に宛てた書簡の下書きを書いたと回想録で語っていて、渋沢史料館や研究者は筆跡などから今回、発見された草稿は渋沢が書いた下書きだと見ています。

幕末・維新史に詳しい聖徳大学の大庭邦彦教授は、「当時、徳川家の家臣だった渋沢栄一が慶喜を批判する資料があったとは驚きだ。渋沢が回想で語っていた実物の資料だと考えられ、大変、貴重な資料だ」と話しています。

投稿者:かぶん |  投稿時間:06:09  | カテゴリ:文化のニュース
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