2017年02月01日 (水)

俳優の藤村俊二さん死去

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「オヒョイさん」の愛称で親しまれ、とぼけたキャラクターとマルチな活躍で人気を集めた俳優の藤村俊二さんが心不全のため亡くなりました。82歳でした。

藤村さんは神奈川県の出身で、東宝芸能学校でダンスを学びました。昭和35年に日劇のダンシングチームのメンバーとしてヨーロッパでダンスや本場のパントマイムを学んだあと振り付け師となり、テレビ番組やコマーシャルでダンスなどの振り付けを担当しました。

その後、テレビドラマや映画などに数多く出演し、個性派の俳優として活躍しました。平成17年に放送されたNHKの連続テレビ小説「ファイト」で、馬が好きなヒロインと関わりを持つ馬主の役を軽妙に演じたほか、「まんてん」ではナレーションを担当しました。

藤村さんは「オヒョイさん」の愛称で親しまれ、テレビのバラエティー番組などではとぼけたキャラクターで人気を集めました。また、東京の青山でワインバーを経営するなど、スマートなライフスタイルやおしゃれな服装でも知られました。

公式ホームページによりますと、藤村さんはおととし体調を崩して民放の番組を降板し、復帰を目指して療養を続けていましたが、先月25日、心不全のため入院先の病院で亡くなりました。最期は苦しむ様子もなく、穏やかに息を引き取ったということです。

長男 亜実さん「息子でいられて幸せ」

藤村俊二さんが亡くなったことを受けて、所属事務所の社長で藤村さんの長男の亜実さんが1日夜、報道陣の取材に応じました。

このなかで亜実さんは、「体調が悪くなってから、去年の夏の終わりくらいまでは会話ができていました。最後にした話は『おやじでいてくれてありがとう。息子でいられて幸せだ』と言ったら、『俺もだ』というものでした。入院している間は一緒にいる時間が多くなり、子どものころのおやじと息子の関係に戻れた気がしてとても幸せな日々でした」と涙をこらえながら話していました。

また、藤村さんの生き方について、「僕も子どものころからどうやってあんなに自由に、好きなように、そして優しく生きられるのか不思議でしたし、入院中もいつも穏やかな顔をしていました。ある時、おやじは苦しみや不安にとらわれない、すべてを受け入れて、その瞬間瞬間を生きているんだと気がつきました。それが、あのひょうひょうとした生き方の秘密だったのではと思います」と述べました。

そして、「たくさんの人がおやじの周りに集まってくれて、みんな悪いことを言わなかった。おやじの、不安とか後悔とか、欲、執着のないところ、そういった自由な人の周りにいるのが気持ちよかったから集まっていたのかもしれません」と話していました。

西村雅彦さん「飾らない人柄」

俳優の藤村俊二さんが亡くなったことについて、映画などで共演した俳優の西村雅彦さんはNHKの取材に対し、「映画『ラヂオの時間』で初めて共演しましたが、ひょうひょうとした演技で、『オヒョイさん』のイメージそのままの飾らない人柄だったのが強く印象に残っています。世の中には苦しいことがたくさんあるけれども、エンターテインメントのドラマの世界では『楽しいことは楽しくやろうよ』ということを、私に教えて下さった方でした。自由で飾らず、執着しすぎない生き方を最後まで貫いた藤村さんに、もうお会いできないのは本当に寂しいです。心よりご冥福をお祈りしています」と話していました。

中村メイコさん「日本人には珍しい感じの人」

亡くなった藤村俊二さんと長年親交のあった俳優の中村メイコさんは「あの人らしく、絶対知らせないで。静かに・・・今にも亡くなるだろうというのは心にあったんですけど。とてもジェントルマンでした。日本人には珍しい感じの人だったんじゃないかなと思います。ベストドレッサーで、おしゃれで。女に弱くて。しょっちゅう恋人変わって。飲んだり遊んだりする時には、嫌みのない、すてきな男の子でした。心より御冥福をお祈りします」などとコメントしています。

本仮屋ユイカさん「テレビで見ていたとおりの方」

連続テレビ小説「ファイト」で共演した本仮屋ユイカさんは、「テレビで見ていたとおりの方でした。藤村さんが現場にいらっしゃると、いつも空気がやわらかくなり、あの独特のたたずまいにひきこまれました。ご冥福をお祈りします」とコメントしています。

投稿者:かぶん |  投稿時間:17:30  | カテゴリ:文化のニュース
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