キャスター・アナウンサー BLOG

大越健介の現代をみる

閣僚の座のはかなきことよ

2014年10月22日 (水)

2人の閣僚の途中辞任、しかも「女性が輝く社会」を象徴するはずの女性閣僚のダブル辞任だから、安倍政権へのダメージは大きい。だが、そのあたりは現役の政治記者のみなさんの解説に譲るとして、かつて長いこと政治記者をやり、今は少し離れたところから政治を見ている人間として、ふたりの辞任の理由にぼくなりに感ずるところがあった。

経済産業相を辞任した小渕優子氏の父・恵三氏(故人)は飾らない人柄だった。群馬3区という中選挙区時代は、福田赳夫氏(故人)、中曽根康弘氏という同じ自民党の2人の巨頭との戦いを強いられ、自分は「ビルの谷間のラーメン屋」と、自虐的なギャグでよく周りを笑わせていた。得票は当選ぎりぎりという時代も続いたが、当選を重ねるうちに、自分をはさんでいた高い「ビル」と同じ、総理大臣の座にまで上り詰めた。地元の後援会組織は強固なものとなり、途中から福田・中曽根両氏と重ならない小選挙区制に移行したこともあって、土台は盤石となった。

それを引き継いだのが次女の小渕優子氏である。強固な後援会組織のもとで選挙では圧勝を続け、40歳にして2度目の入閣となったのである。だが、そこに落とし穴があった。後援会の帳簿はあまりにずさんなものであり、またしても不透明な「政治とカネ」の関係があぶり出された。
驚いたのは、小渕氏が辞意表明した直後に、地元の群馬県中之条町の町長が辞任を表明したことだった。小渕氏の元秘書だったという町長は、「収支報告の実質的な総責任者は自分。疑惑に関わる説明責任を果たすべく、全力を挙げたい」と述べた。町政を担う責任者であるより、小渕氏への忠誠を誓う元秘書の立場を優先したことにならないか。
「代議士自身は何も知らない」
辞意表明の後、町長は自分の「主」をかばいながら退場した。

支援者の中には、小渕氏の後援会が主催する東京での観劇会を心から楽しみにしていた人もいたという。そうした人たちに便宜を図らい、連携を強めてもらうことだって政治活動かもしれない。「この時代に・・・」と違和感を口にする人もいるだろうが、そこは政治家それぞれであり、ぼくはとやかく言うつもりはない。しかし、カネの支出で説明がつかない以上、最終責任を追う小渕氏の進退問題に発展したのは必然だ。
小渕氏にとって痛恨のできごとだろう。反省とともに、せめて支援者との新しい関係づくりの機会として、仕切り直してはどうか。

一方の松島みどり氏は、地盤も看板もない東京の下町の選挙区に、自民党の公募に応じて立候補した人である。いわゆる「どぶ板」選挙で選挙区をこまめに回り、町内会の盆踊りは大事な政治活動だったろう。そこで配ったうちわが、閣僚の座を降りる引き金になった。
民主党は「うちわは有価物であり、公職選挙法で禁じられた寄付にあたる」として松島氏の告発状を提出した。松島氏は、このうちわをうちわであると認めず、「法律の内容などを印刷し、討議資料として配布したもので寄付には当たらない」と反論している。

なんだか、書いていて空しくなる。
確かに問題のうちわには国会で成立した法律名などが羅列してあって、討議資料だと強弁できなくもない。だが、これをうちわだと認めない日本人はおそらく皆無であり、認めてあげないのは、そもそもうちわに対して失礼である。
一方、うちわを有価物、つまり財産的価値のあるものとして目くじらを立てることの今日的な政治的意義や文明的意義を感じない人もまた多い。公職選挙法上は、普通のビラならば問題はないのだろうが、詭弁を弄せば、これとて集めて燃やせば暖をとるくらいの役には立つわけで、財産的価値はまったくのゼロではない。
松島氏にとっては、うちわの風が閣僚の座を飛ばすほどの突風になってしまった。

いずれにしてもこれでふたりの大臣がやめた。
政治の現場から少し離れてみるようになった元政治記者が、閣僚の命運のはかなさについて感慨に浸る間もなく、政局は、混迷の道に向かう可能性が出てきた。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:20:01 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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年をとったからといって怒らなくなったらおしまいだ

2014年10月15日 (水)

少々長い表題になった。表題だけで意は尽くされているので、今週のコラムはこれでおしまい。
というわけにもいかないので、決意表明の意味も込めて書こうと思う。

朝起きて、身体がずっしりと重く布団に根が生えたような感覚に陥るとき。
通りを歩いていて、人に追い抜かれてしまうことが増えたなあと感じるとき。
電車に乗り込んで優先席だけにちらほら空席がある場合に、少しためらいながらもその優先席に座ってしまうとき。
年をとったなと思う。

肉体の疲れはまあしかたない。身体を鍛えて抵抗することもある程度は可能だ。
やっかいなのは心の衰えである。

日々の出来事に対して、「まあこんなものさ」と分別臭い顔をしているとき。
解決すべきトラブルを前にして、結局「どちらの言い分も正しい」などとその場をなだめるだけの役割に終始してしまっているとき。
後輩たちを督励するのはいいが、「がんばるのは君たちだ」とばかりに、要は人まかせにしているだけのとき。

そうした態度は、年相応の貫録であるとか余裕であると見られる場合もあるし、年長者にしゃしゃり出てほしくない若い者たちにとっても好都合だ。
でも、自分がもしそうなってしているとしたらと考えると、だんだん腹が立ってきた。

週末、神宮球場に東京六大学野球秋のリーグ戦を見に行った。先週の続きである。お目当ては後輩である東大野球部の連敗脱出だったのだが、それはかなわなかった。しかし、マウンド上で打者と対峙する各チームのエースの奮投を見ながら、だんだん、学生の頃の自分を思い出した。
ぼくはかなり直情径行型の投手だった。うなり声を発してボールを投げていた。悔しくてグラブをたたきつけるなどは日常茶飯事。監督に「冷静になれ!」といつも怒られていたクチだった。だが、闘志はだれにも負けないという自負があった。そんな若いころの自分が首をもたげてきたのである。人の良いじいさんに向かって一直線にひた走る自分がどうにも我慢できなくなってきた。

年相応に、驚きを感じる頻度は少なくなる。物事への「既視感」が、重ねた年の分増えるからだ。しかし、多くの場合、驚かなくなったからと言って物事の本質が変わっているわけではない。その本質が素晴らしいものであればそれに越したことはないが、怒るべきことに怒りを忘れてはならないのだ。

それは日々の自分の周囲の出来事に対しても、仕事として取り組むニュースの本質についてもそうである。キャスターとしては、ニュースに慣れてしまってはならない。既視感に騙されてはいけない。事象のひとつひとつに違った顔があるのだ。想像力を封じ込めてはならない。そして、公憤を忘れないようにしなければならない。

ぼくは幸せ者だ。神宮へ行けば自分の原点を見ることができる。忘れてはならないことを思い起こさせてくれる。
一番怒らなければならないのは、まずは、物分かりがよくなってしまった、ぬるい自分自身に対してである。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:49 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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前向きな勘違い

2014年10月08日 (水)

ぼくが、連敗街道をばく進中の東京大学野球部のOBであることを、わが番組のスタッフは全員が知っている。ただ、ぼくがその野球部時代にそこそこの成績を残した投手であったことを、ほぼ全員が疑わしく思っている。とてもスポーツ選手だったとは思えないこのふくよかな体型や、まったくキレのない日常の身のこなしを見れば、それは無理もないことである。

だからこそ、この日(7日火曜日)は、ぼくのことをただの肥満のおっさんだと思っているわがスタッフの鼻を明かすチャンスだったのだ。
「さすがOB!」、「この展開は大越さんじゃないと予想できないよね」。
そんな称賛の声を思い浮かべ、「ニヒヒ」とうすら笑いすら浮かべながら、ぼくはこの朝、神宮球場に向かったのである。いえ、あくまで取材です。

実は、この日東大が連敗を脱して4年ぶりの勝利を挙げると、ぼくは確信していた。そしてスタッフにもそう力強く宣言していた。
根拠はこういうことである。土曜日、東大は早稲田大学を相手に敗れた。これで81連敗である。しかし、負け方にはいつもと違う迫力があった。投手は11点を献上したが、打線は13安打を放ち、5点を奪った。
「しょせん負けでしょ」と言われればそれまでだが、早稲田は東大との第2戦に、不気味なものを感じていたはずである。東大の勝利は、だいたいそうしたケースに訪れる。経験がそう教えている。

ぼく自身の経験とはこうである。3年生の春季リーグの同じ早稲田戦。第1戦、東大は敗れたが1点差の接戦だった。早稲田にすれば薄氷の勝利。単純な実力比較なら、当時も早稲田の方が断然上だった。だから、早稲田の選手たちはいやーな感じに包まれていたはずである。第2戦に先発予定のぼくは雪辱に燃えていた。
東大が勝利するコツは、相手に「ひょっとしたら東大に負けるかも」という強烈なプレッシャーを与えることである。その第2戦の開始直後から、早稲田ベンチには妙な緊張感が漂っていた。図々しさには定評のあったぼくが、マウンド上でそれを見逃すわけがなかった。
「先取点さえ取れば、相手は焦りに焦るはずだ。この試合、もらった!」
実際、早稲田打線は、ぼくが「エイヤ」と気合いもろとも投げ込む決して速くないストレートに振り遅れ、曲がるように見せかけてあまり曲がらないカーブに凡打の山を築いた。そして、東大に待望の先取点が入ると、なんと、そのまま逃げ切って1対0の完封勝利を収めたのである。

話を今に戻そう。
点差こそ開いたが、13安打の東大の猛攻に、勝ったとはいえ早稲田は焦っているに違いない。しかも、土曜日の第1戦から雨天順延が2日間続いたことで、「いやな感じ」は倍加しているに違いない。自分の経験に照らして、こうなればもう東大は勝ったも同然である。妄想は膨らみ、スタンドに陣取ったぼくは、東大の連敗脱出を番組本番でどうコメントするかばかり考えていた。

しかし・・・。
結果は8対1の堂々の敗北だった。連敗は82に伸びた。先週同様、試合後、肩を落として職場に戻ったぼくに、スタッフは誰も声をかけようとしなかった。
「見込み違いもはなはだしい」
みんなが、ぼくのことを責めているように思えが、実際のところは、ぼくが勝利を確信していたことなんてみんな忘れていたようだ。
あーあ。早稲田のみなさんには申し訳ないが、きょうはこのネタで一発明るい話題が提供できると思ったのに。
そうこうするうちに、ノーベル物理学賞に日本人研究者3人の受賞が決まり、一日の喧騒のうちに、ぼく自身、けさまで東大連敗脱出と勝手に信じ込んでいたことも、すっかり忘れてしまっていた。

だが冷静に振り返ると、この試合敗れはしたが、いい材料も随所に見つかった。パンチ力のある1番打者がレフトスタンドに簡単にホームランを放り込んだし、リリーフで登場した1年生左腕は伸びのある速球で早稲田の好打者たちをきりきり舞いさせていた。ちょっとした偶然の積み重ねで点差は開いたが、展開によっては勝つことも不可能ではない試合だったのではないか。

どれどれ、次のカードは・・・。調べてみたら今季4戦全勝と好調の立教大学である。好調なチーム、だがそこがミソなのだ。久々のリーグ優勝もちらつきだし、立教の選手たちはあがってしまっているかもしれない。そこに現れる東大は、とても嫌な存在に違いない。もし東大に負けたなら、と考えてガチガチに緊張しているに違いない。そこにこそわが東大の勝機がある。
よし、また神宮に試合観戦に行くか。気合が入ってきたぞ。でもみんなには、ぼくが次こそ東大が勝利するに違いないと考えていることを、一応ナイショにしておこう。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:19 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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いま、映画人として

2014年10月01日 (水)

作品の良さもさることながら、この映画の試写版を見て驚いたのが、吉永小百合さんの野球のうまさである。「吉永さんと野球?おい、そこかよ」と突っ込まれそうだが。
作中、吉永さん演じる悦子と、悦子の喫茶店の常連客(笑福亭鶴瓶さん)がキャッチボールに興じる場面がある。吉永さんの投げ方は、無理なく肘を使ってボールのリリースに至る、まさに理にかなったそれだし、鶴瓶さんの悪送球(失礼!)をさりげなく逆シングルでキャッチしたりもする。

モントリオール世界映画祭で、審査員特別グランプリを受賞した「ふしぎな岬の物語」の中でのひとコマだ。吉永さんにインタビューする機会にめぐまれ、そんな話題を振ってみた。
「練習したんですよ」とはにかみながら言う。そうなのだろうが、ぼくは野球選手だったので、もともと体がスポーツ仕様にできていないとそんなグラブさばきはできないことを知っている。
「わたし、アスリートなんです」とも言う。そちらこそ本音だろう。スポーツ好きなことはつとに有名だし、体を鍛えているからこそ過酷なロケにも耐えられるのに違いない。「本当は男っぽい性格」と本人が言うとおりの、素顔の吉永さんが垣間見える場面でもある。

物語は、主人公・悦子が営む小さな岬の喫茶店を舞台に、訪れるさまざまな人が彼女の懐に抱かれるようにして、心の傷を癒されていくオムニバスである。
吉永さんは「心と心をつなぐ、小さな物語」とこの映画を評した。心と心のつながりとは、何も生きている者だけではない。亡くした大切な人たちとのつながりをモチーフにしているのが作品の特徴だ。吉永さん自身、主演のみならず企画から手がけた意欲作である。

「命をリレーしていくような物語はできないだろうかと思ったんです。亡くなった人が遺族の方たちに力を与えているというか、すごくケアをしているような」
主人公の悦子自身、亡くした夫といつも対話を続ける人である。愛する人を亡くし、傷ついた人たちは、悦子の喫茶店を訪れ、死者が自らの人生を照らしてくれていることに気づき、立ち上がっていく。

東日本大震災というこの国の辛い体験を踏まえ、吉永さんは命の再生の物語を作りたいと願い、原作(森沢明夫著「虹の岬の喫茶店」)と出会った。
「私たちは映画というものしか表現する方法がない。できれば、いま一生懸命生きていらっしゃる方を励ますような作品を作ることが、私たちには、というか私にはとても大事だと思って、今回の作品を選びました」

ぼくは以前、ある作家に聞いた話を思い出した。
「震災直後、文学は無力かもしれない。だが時が過ぎれば、震災に傷んだ人々が、あるいは震災が投げかけた意味を探したいという人々が、いずれ文学を必要とする。だから、自分たちは、自分たちのやり方でこの震災に挑まなければならない」
「文学」を「映画」に置き換えれば吉永さんの話とぴったりと重なる。

「天衣無縫。なんでもパキパキやっちゃう」少女だった吉永さんは、日本の戦後の歩みと軌を一にして銀幕のスターに駆け上がった。挫折も味わったが、再起して演ずる魅力に開眼した。そして、未曾有の災害に遭遇したこの国にあって、「映画人としてできることは何か」と問い続け、今日にいたった。

「もう長いこと映画の仕事をやっていますから、次の世代にバトンタッチしたいという思いもあります。そろそろ引退も近いかもしれません」
そう言って吉永さんは笑った。その一方で自分のこれからをこうも語った。
「川の流れのように流れていって、どこにたどり着くかという感じ。あまり決めたくないんですよね。未来とか過去を考えると、その日がしっかり生きられないような気がするんです」

世の中は、悲しい出来事で満ち満ちている。
週末には行楽シーズンたけなわの御嶽山が噴火し、多くの命を奪った。事件事故や災害。それだけでなく、人間関係の小さなトゲが、思いもよらぬ傷をつけることだってある。
しかし、悲しみから立ち上がる力となるのもまた、人と人との小さなつながりなのだと、吉永さんは演ずることによって訴える。
川の流れのように流されて、吉永さんはきっとまた、どうしてもやりたい役にたどり着くに違いない。この世に癒やしを求める人がいる限り、女優・吉永小百合の存在が色あせることはない。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:17:21 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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セクハラやめて平和を目指そう

2014年09月24日 (水)

セクシャル・ハラスメントは、受ける側がそう感じれば言い逃れはできない。そういうものなのだと、いまやわれわれ企業人は社内教育でそう教えられる。それに対して、おじさんたちのグチをよく聞く。
先週、自民党の東京都議の発言が批判を浴びた。おそらく世のご同輩たちの中には、「世知辛い世の中になった」とため息を吐いた人がいたに違いない。

東京都議会では6月、質問に立った女性議員に議場から「早く結婚した方がいいんじゃないか」とやじが飛び、やじを発した議員が謝罪に追い込まれる失態があった。今回の発言は、この問題をめぐる記者団の質問に対し、男女共同参画について議論する議員連盟の会長を務める自民党都議が述べたものだ。
発言の内容は、「(女性に)『結婚したらどうだ』と、平場だったら私だって言いますよ」というもの。本音がポロリと出た格好である。さらにこの議員は、「議会の会議規則は私生活を論評してはいけないと書いてある。発言者個人に対して公の場で言ったのが問題なのだ」と説明した。

この発言を「セクハラ発言」とするのはいささか乱暴だ。この場合、記者団の質問に対する答えだから、特定の相手に対する発言ではないからだ。だが、発言を聞いた私の職場の女性たちの反応は、一様に「アウト!」だった。セクハラの定義がどうあろうが、女性に対して無神経な発言だとみなカンカンだった。
そんな風圧を感じたのか、議員は翌日、「会長という立場をわきまえず個人的な発言をしたのは不適切だった」と述べた。会長という立場だから?個人的には態度を改めるつもりはないの?と突っ込みたくなるが、陳謝したということでこの問題はとりあえず一件落着となったのである。

ぼく自身、世の中の動きの速さに戸惑うおじさんのひとりではあるが、やはりこの都議の発言はアウトだと思う。この人の周囲で、「結婚したらどうだ」と言われた女性たちのすべてが、「この方のおっしゃることなら全然気にならないわ」などと微笑みを浮かべている様子はなかなか思い浮かばない。何割かは不愉快な思い、傷つく思いをしているに違いないし、であれば、その瞬間にセクハラと言われても仕方がないのである。

セクハラやパワハラ(パワー・ハラスメント)の根底にあるのは、差別感情にほかならない。おじさんたちからすれば、女性、とりわけ自分より若い女性を見下す感情があるからこそ、セクハラ発言や行為が出てくるのだと言える。どんな人であっても、ひとりの人間として相手をリスペクトする気持ちがあれば、無礼な言動は出てこないはずなのだ。

たまたま、韓国・インチョンで開かれているアジア大会のキャッチフレーズを目にした。
「Diversity shines here.」
多様性はここで輝く、とでも訳そうか。ひとりひとりの多様性が認められる社会とは、すなわち、偏狭な差別意識を脱した社会である。そうした社会を真剣に目指さない限り、子や孫の世代に平和な世界を引き継げない。

「そんな大層な・・・」。
世知辛い世の中を嫌うおじさんたちは苦笑いするかもしれない。だが、ぼくは事の本質はかなり根深いと思っている。逆に言えば、心ないセクハラ発言をなくすことは、平和な世界を作る第一歩にほかならないのだと、ぼくは大まじめに考えている。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:19:45 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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朝日新聞報道で考えたこと

2014年09月17日 (水)

9月11日(先週木曜日)に行われた朝日新聞社・木村伊量社長の記者会見を、同じ報道にたずさわる人間として、厳粛な気持ちで聞いていた。そして、朝日新聞が東京電力・福島第一原子力発電所の元所長の、いわゆる「吉田調書」をめぐる記事を取り消さざるを得なかった問題で、われわれが着目し、肝に銘ずべきことは何かを自分なりに考えた。

行きついた結論は、われわれ報道機関は、事実に対して謙虚であることを決して忘れてはならないということだ。報道が巻き込む関係者や社会への影響を考えれば、「人間だから誰しも間違いはある」という言いわけでは到底済まされないことがある。

朝日新聞は、吉田元所長が政府の事故調による聞き取りに対して行った証言を5月にスクープ記事で報じた。その中では、「第一原発にいた所員の9割にあたる650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の2F・第二原発に撤退していた」とし、吉田氏の「本当は私、福島第二に行けと言っていないんですよ」という調書の部分を掲載した。
だが、調書の全体を読むと、吉田氏には命令違反との認識はなく、「よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思った」との言葉もあった。吉田氏の追想では、現場の判断を了とし、命令違反とは認識していなかったことが明らかになったのである。
朝日の記者はこれを読み違えて記事を掲載したわけで、木村社長は「取材が不十分で、所長の発言への評価が誤っていた」と述べた。

報道機関が独自に資料を入手して記事にしようとする行為自体は間違っていない。スクープを入手できれば、それは記者冥利に尽きる瞬間でもある。だが・・・。
「紙を取って(資料を入手して)舞い上がり、きちんとした読み解きを怠ったのかもしれない」。知り合いの新聞記者は、そんなふうに振り返ったが、事はそれで済まされるものではない。

記者は自分が知り得た事実におそれを抱き、謙虚であるべきだ。
事実が持つ意味合いは、全体像の中で測られる。座標の中に正確にプロットされてはじめて客観的な意味を付与される。逆に言えば、その作業を経なければ、こわくて記事になどできないという感覚を持って当然なのだと思う。
それなのに朝日の記事は、片言隻句に目を奪われ、調書の全体を読み解く十分な努力をしないまま、プロットする座標上の位置を過った。結果として、亡くなった吉田氏の墓前に顔向けができない結果となった。
ただ、この一件は「あの朝日が誤報をやらかした」とあげつらい、バッシングして済ませばいいというものではない。その危険はどの報道機関にも共通するものであることを、われわれは胸に刻む必要がある。重要な情報であればあるほど、事実関係の確認と、正確な評価に務める努力を怠るわけにはいかないのである。

また、事実を取り違えているのではないかとの指摘に対して、速やかに対応できなかったのも今回の反省点と言える。決断に時間がかかり、機敏に対応をとることができない「大企業病」特有の症状ともいえるし、大切にすべきは読者(あるいは視聴者)であるという基本が忘れられていたと言われても仕方ない。

重ねて。
われわれ報道機関が持つ強大な力に対しては、それを構成するわれわれ自身が居住まいを正し、謙虚でなければならないのだ。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:37 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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ホヤにホレて

2014年09月10日 (水)

三陸の海を煌々と照らす満月にいざなわれるようにして、船は石巻・谷川浜の港を出た。
漁師の渥美克之さんに初めて会ったのは3年と少し前。津波ですべてを流されて間もないときだった。渥美さんは、打ち上げられたブイの片付けや、漁の再開に向けて網を縫う作業を淡々とこなしていた。

その別れ際、渥美さんはぼくにこう言った。
「3年経ったらまたホヤがとれる。そのときにまた来なよ。とれたてのホヤは、最高だぞ」
その後、養殖の筏を再建し、ホヤの幼生を育てた。念願の3年目。身のつき具合はまずまずだという。

月明かりの中を船は進み、10分程度で養殖の場所に着く。この辺りではホヤだけでなく、ホタテの養殖も盛んだ。途中、たくさんの仲間たちの船と行き交う。
渥美さんのこの日の作業は、まずホタテの収穫から。ウィンチで引っ張ると、人の手のひらほどのホタテが豪快に揚がってくる。
「きょうの出荷は400キロ!」
長男の敏樹さんとの息のあった作業で、50キロ箱8個分が瞬く間にいっぱいになる。

そのうちのひとつの身をはずし、無造作に手渡してくれた。爽快な歯触りと、海水の塩分が引き立てるほのかな甘み。文句なしにうまい。

この日は本来、ホヤの収穫はしない日だった。でも、3年ぶりの客が一番喜ぶことを渥美さんは知っている。船を移動させ、特別にホヤを引き上げてくれた。
カキ殻を株にして旺盛に育ち、バスケットボールほどの大きさになったホヤのかたまりが、数珠つなぎになって目の前に現れる。海のパイナップルとも言われるホヤ。その形において「なるほど」と納得する。だが、それからしばらくして、パイナップルと言われるもうひとつのわけに納得することになる。

ホヤを食べたことは今までだってある。居酒屋メニューに珍味としてラインナップされたホヤの味は、独特の酸味があって酒のつまみにいい。でもクセのある味を好まない人も多い。

ところが、紅色の厚い皮を割って取り出してくれた身を、海水でざっと洗って食したその味は、今まで経験したことのない衝撃だった。言葉を失った。
ほのかな酸味。やがて豊かな甘みが口の中に広がる。フルーツを思わせるその甘みは、食べてのち、実に数時間にわたって残っていた。
にやり、と渥美さんが笑う。「三陸の海の恵みを思い知ったか」とでも言いたげだ。
港を出るときには月明かりだったのが、もう辺りは朝焼けである。

「じゃあ、帰るよ」
オレンジ色の太陽が昇ってきた。押しかけた食いしん坊に最高のもてなしをしてくれた寡黙な漁師。朝日を背負って船を操る渥美さんは、最高にかっこよかった。
「かなわない」と、ぼくは思った。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:22:43 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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人事は万事だ

2014年09月03日 (水)

長い間政治記者をやってきたので、こういうときに血が騒ぐ。実に久しぶりの内閣改造・自民党役員人事である。

新聞などによっては、多少の間違いもご愛嬌とばかり、「飛ばし」記事を連発するところがないわけではないが、わが社はその任にない。早く、しかも正確に人事情報を伝えていくことが使命である。

改造前日のきのう(2日)、人事の調整は最終段階に入っていた。それまでの取材によって新内閣、新役員の陣容のかなりの部分が明らかになっていたが、焦点である自民党の新幹事長の情報がなかなか上がってこない。夜になっても表向き、動きは停滞している。

政治の動きが見えない中、番組としては、その日の一番めでたいニュースをトップ項目に据えて準備していた。国民的女優の吉永小百合さんが、主演だけでなく自ら初めてプロデュースした映画「ふしぎな岬の物語」が、モントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリを獲得した。

だが、放送開始直前になって、政治部デスクの周りがにわかにあわただしくなってきた。自民党幹事長内定の一報を「打てる」かもしれないという。デスクと現場の記者が、目を血走らせるようにして電話のやり取りをしている。
もし「打てる」なら、吉永さんには申し訳ないが、間違いなくトップニュースは入れ替えである。

放送2分前、そして1分前。政治部デスクは依然緊迫したままだ。この時点ではまだ「打つ」判断に至っていない。もうスタジオに入らなければならない。
わがニュースウオッチ9は、スタジオでなくトップニュースのVTRからいきなり放送に入るのがオーソドックスなスタイルだ。その段階では、トップを吉永さんのVTRで行く従来方針で進めることにする。

スタジオでマイクを取り付け、いざ本番である。すると放送開始20秒前、フロアディレクターが送出サイドから連絡を受け、そして叫んだ。
「番組はスタジオから入ります!」
冒頭、スタジオで突っ込みのニュースを入れるということである。つまり、幹事長内定を「打つ」判断をしたのだ。
新幹事長には谷垣禎一法務大臣。サプライズ人事だった。番組冒頭でニュース速報を出し、一報を何度も繰り返した。

政治部記者だったころの緊張がよみがえる。
永田町を走り回っていた頃、人事取材は必死だった。人の配置は、組織の命運を握るものだ。それが、国政に携わる人事となれば、政権の命運だけでなく国家の命運を左右する。現役の政治部記者は、日ごろ取材対象に食い込んだ成果の発揮のしどころと、全力で情報を集めるのだ。現場の担当記者は、自分がウラを取った情報が番組で流れるところを、食い入るように見つめているだろう。

谷垣氏は、安倍総理らが総裁選に名乗りを上げたおととし、続投を断念した先代の自民党総裁である。総裁経験者が幹事長として復活するのは異例中の異例だ。急きょ、スタジオに政治部のベテラン記者に入ってもらい。谷垣氏起用の背景を聞く。
タカ派色の強いとされる安倍政権にあって穏健派を幹事長に起用することの党内融和の意味合い。谷垣氏の中国とのパイプへの期待。そして何より、自民党総裁を務めながら総理大臣にならなかった谷垣氏が、ふたたび中央に返り咲くことへの党内の静かな支持。
いずれも納得のいく説明である。

こうした人事のたびに、こちらもいろいろな予想をしてみるのだが、さすがに誰よりも人事を考えているのは当の人事権者だ。この場合は安倍総理大臣である。ウーンとうならせる人事をするものだ。
だが、怖いのもまた人事である。人事が動くと組織が動く。国が正しい方向へと進むかどうかは、今度は組織が人を「生かす」ことができるかどうかにかかっている。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:17:36 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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気高い心

2014年08月27日 (水)

しつこい雨雲もこの日はようやく遠のき、スコップなどを手にした住民たちが、土砂に浸かった自宅の後片付けに汗を流している。坂の上の方、家が跡形もなく流されたあたりに目をやると、自衛隊員や警察官たちが黙々と行方不明者の捜索活動にあたっている。ようやく重機も入るようになったとはいえ、破壊された家は痛々しい姿をさらし、路地という路地で、押し寄せた土砂と木々の残骸が行く手をふさいでいる。

広島市を襲った大規模土砂災害から1週間。激しい被害を受けた安佐南区の八木地区を訪ねた。目に飛び込む深い傷あととともに、5感を刺激したのがかすかな臭いだった。土砂や木々が発するのだろうか、どこかかび臭いような、あるいは閉じ込められた生活臭とでもういうのだろうか。画面を通じてだけでは決してわからない現場実感である。

27日現在で71人が死亡、15人が行方不明となっている大災害。なおも続く悪天候が捜索活動を阻み、現場ではいらだちが募る。だがそんな中にあっても、今回取材で話を聞くことができた人たちは誰もが、何もそこまでと思うくらい、他者への思いやりにあふれていた。

自宅の車庫から懸命に泥をかき出していた男性。車輪の上まで泥につかった愛車は、ようやく全身を現すところまできたが、被災時に濁流と化した自宅前の道路はおびただしい量の泥が堆積したままだ。車庫とは実に50センチメートル近い段差ができている。

「これじゃ、クルマも出せんわ」と苦笑い。だが、
「この地区には亡くなった人も、行方不明となっている人も多い。この泥を何とかしてほしいとは思うが、捜索が優先なのはわかっている。自分たちはまだいい方だから、できることは自分でしなければ」と言う。

このように「自分たちはまだいい方」という言葉を何人から聞いただろう。
災害後、息子宅に身を寄せているという85歳と78歳の老夫婦は、かろうじて土砂に巻き込まれずに助かったが、近隣の家からは犠牲者も出た。胸まで泥に浸かって命からが脱出した隣人の話を、声を詰まらせながら語ってくれた。
「避難指示も一段落したら、できるだけ早く家に帰ります。ご近所はウチよりひどい被害の人ばかり。後片づけに来る人たちもたくさんいるでしょうから、ウチによって休んでほしい。茶のみ話でもしていってほしい。被害が少なかった自分たちは、それくらいしかできませんから」

この老夫婦とて自宅は傷み、いつ帰ることができるか先の見えない不安の中にいる。それなのに、よりダメージが大きかったご近所の人たちのことを思い、涙を流す。ぼくは大きく心を動かされた。
同じ経験を思い出した。東日本大震災である。あのときも、自分はさておき、他者のことに心を痛める被災者とどれほど出会ったことか。人間とは、こうも気高い存在でいられることを知り、むしろこちらの方がどれほど励まされたことか。

駆け足の取材を終え、広島空港に向かって高速に乗った。悲惨な災害の中にも、人の強さと優しさを見、少し救われた思いだった。
すると、取材中はほとんど心配することのなかった雨雲が、突如活発に動き出し、強い雨が降り出した。車のワイパーがせわしなく動く。土砂災害の現場ではどうしているだろうか。また捜索が中断してはいないだろうかと心配になる。

自然は、かくも容赦なく牙をむき、思いもしない試練を人々に与えるのだ。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:19:03 | 固定リンク
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油断できない夏

2014年08月20日 (水)

「ホクシンエツ?なんすか、それ」
九州出身の友人が、いかにも関心なさそうに言う。
「ホクシンエツ、ていうのはね、新潟、長野、富山、石川、福井の5県のことでね、春のセンバツ甲子園では、この5県から、だいたい2校が選ばれるんだけどさ、でもそれって少なすぎるようにオレには思えるんだよ。でも、最近では新潟の日本文理も夏の甲子園で準優勝したし、あの松井秀喜は石川の星稜の出身だし、古くはセンバツで福井商業が準優勝したし、云々かんぬん・・・」

「ふうん」とか言いながら、もう相手は関心がなさそうだ。
「ところで、新潟は北陸なんすか?」
まったく、これだから西日本の人間は。
「少なくとも、ぼくのような新潟出身の人間の多くは、北陸に入っているとは考えていないと思う。電力会社も東北電力だし」
「コウシンエツ、っていうのとはちがうんすか?」
「甲信越の甲は山梨のことで、新潟、長野、山梨をまとめるときは甲信越なんだよ」
「なんか、わけわかんないっす。中部地方じゃだめなんすか?」
「中部地方って言うと、愛知とか岐阜とかのイメージが強いかなあ。新潟も入るような気はするけど」
「はあ、わかりました。もういいっす」

こっちだって、いいよ、もう。
とにかく、ぼくが声を大にして言いたいのは、高校野球の世界では比較的目立たなかったこの北信越5県の代表校が、夏の甲子園で全部そろって初戦を突破したということである。これは、おそらく有史以来の快挙である。
「西高東低」と言われ続けた高校野球。だが雪国のハンディ、などと言われたのはもう昔の話。北信越のみならず、東北や北海道勢の充実が目立つ大会でもある。

「関東や関西からの野球留学組も多いんじゃないの?」と疑問を投げかける向きもある。いいではないか。どこで生まれ育とうとも、貴重な高校時代をその土地で過ごした子は、十分に地元の子である。関西弁バリバリの北国人、実にめでたい話である。

1週間のお盆休みをもらい、これと言ってすることもなかったぼくはひたすらテレビの高校野球を見続けた。家人にとってはとんだ粗大ゴミだが、郷里の新潟を含む北国勢の活躍には、粗大ごみと化したぼくは大いに心を弾ませたのである。

だが・・・。十分に休養を取りながらも、ことしの夏は気の抜けない夏だと思っていた。梅雨空のもとでの地方大会ならともかく、盛夏に開幕する甲子園は雨のために日程が大きくずれることが少なかった。しかし今年は異変があった。開会式の日から、台風のためにいきなり2日間の順延となった。
熱戦が始まってからも、たとえば猛烈な雨に見舞われた京都からは、アスファルトの路面がめくりあがって水が噴き出す衝撃的なニュースが伝えられた。空の底が抜けたようにして牙をむく自然の脅威に不安を覚えることがしばしばだった。

そして、広島では未曾有とも言える土砂崩れが発生した。突然襲ってきた深夜の猛烈な雨は、住民に逃げるいとまを与えず、多くの人命が奪われた。発生から半日以上が経過したいまも、被害の全貌はつかみきれない。

夏休みを終えて仕事に復帰した今週、ぼくのデスクの上のテレビは高校野球を映し出していた。しかし、さすがにきょうは土砂災害を伝える各局の報道にくぎづけである。

今回の災害で亡くなった方々のご冥福を心からお祈りし、被災された方々にお見舞いを申し上げます。そして、痛ましい犠牲がこれ以上出ることのないように、防災と減災のための情報をしっかりと発信し続けたいと思っています。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:43 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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