キャスター・アナウンサー BLOG

大越健介の現代をみる

朝の来ない夜はない

2014年04月23日 (水)

先輩として、こういうときにコメントしなければならないのは残念の極みだが、ニュースのキャスターなどという大それた仕事をしている立場だけに、逃げるわけにもいかない。
東大が東京六大学野球史上タイとなる70連敗を喫した。春のリーグ戦、20日の対慶大2回戦で完敗し、自らの不名誉な記録に並んだ。ぼくは、東大が70連敗となったらOBのひとりとしてコメントしてほしいと、通信社に頼まれていたのである

想像してみていただきたい。東大の選手たちの受けるプレッシャーを。勝利を積み重ねてきて「ここで勝てば優勝」というのとは全く中身が違う。その場合は高揚感の中での重圧だし、勝ち方だって知っている。ところが「ここで負ければ最悪タイの70連敗」という状況では、選手たちはどんよりとした重たい緊張の中にあっただろう。そもそも入学してこのかた、負け方は知っているが、リーグ戦で勝ったことのない選手たちである。悲痛な面持ちで羅針盤のない航海を続けているのだ。

そして、その時が来てしまった。ぼくは概略こんなふうにコメントした。
「朝の来ない夜はない。名門の六大学野球にあって、ナンバーワンにはなれなくても、オンリーワンのプレイヤーにはなれる。個性を発揮して暴れてほしい」
その気持ちは本当だ。試合を見ていると、選手たちの力量は確実に上がってきており、勝利は決して遠くないと思っている。

ぼくが東大野球部に入った昭和56年の春は衝撃的なシーズンだった。子どものころから野球漬けで、入試に奇跡的に合格した時点ですでに入部を決めていたぼくは、入学式を終えるとその足で神宮球場に向かった。東大対法大の開幕戦。先輩たちは甲子園のスターがずらりと顔を並べる相手チームにまったく見劣りせず、3対1で勝利した。

最初の印象というのは大きい。卵からかえったひな鳥が初めて見た生き物を親だと信じるように、ぼくの中で、「強い東大」の姿があっという間に刷り込まれた。ぼく自身、投手としてリーグ戦で通算8勝(もちろん負けははるかに多いが)を挙げた。ぼく以外の投手による勝利を合わせると、4年間の在学中に上げたリーグ戦の勝利数は24に上る。

せん越ながら、若干の経験を持つ者として後輩たちに伝えたい。実力だけで言えば、スポーツ枠で積極的に選手をとる他大学にはかなわない。でも、素人集団にはそれなりの強みがあるのだと。

相手の身になって考えれば、素人集団たる東大に負けるわけにはいかない。それは強いプレッシャーになるはずだ。序盤をしのいで全力で僅差のリードを奪えば相手は焦る。だから、勝負のカギは序盤にある。あとは気力でしのぎ切る。

そして何より、野球選手としては雑草でしかない東大野球部の選手たちが、神宮という晴れの舞台で戦えることの幸せをとことん味わうことだ。整備されたグラウンド、鮮やかな電光掲示板、スタンドに陣取る応援団と熱心なファンのみなさん、そしてきら星のような六大学の先輩たち。そこに連なることの喜びを忘れてはいけない。喜びに満ちてプレーする者に野球の神様はほほ笑む。

次のカードは5月3日からの早大戦である。相手は強いが隙はある。相手もプレッシャーを感じているはずだ。なんとか勝機をつかんでほしい。
早大戦で見事トンネルを脱出したとしても、あるいは残念ながら連敗記録を更新したとしても、ぼくはもうコメントはしない。そのころはおそらくウクライナ情勢の取材に出ているので、メディアの取材を逃れる十分な理由がある。海の外から精一杯、連敗脱出を祈るのみである。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:19:36 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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科学の出番

2014年04月16日 (水)

幸いなことに、ぼくには「目からウロコ」的な意見をときどき言ってくれる友人がいる。
いささか旧聞に属するが「現代のベートベン」とも言われた佐村河内守氏が、実際には別人に作曲を依頼していた問題で、ぼくはこの友人を相手に、しきりに佐村河内氏を批判していた。けしからんといったらありゃしない、と。
そんなぼくに友人はさらりと言った。
「それって彼の批判というより、むしろ悔しまぎれにぶちまけているだけだよ」

彼によるとこうである。
佐村河内氏が一連の楽曲を、あたかもすべて自分の手によるかのように世間に発表したのはもちろん批判されるべきものだ。だが、ほとんどの人(ぼくを含む)は、彼の話をうのみにして感動してしまった自分の不明を認めたくなくて、ことさら強く批判をしているにすぎないのだと。さらに言えばその感動の本質とは、重いハンディキャップを乗り越えて作曲活動をしているという美談に対するものであり、楽曲そのものを評価してのことではない。

彼は今でも佐村河内氏の作曲として発売された楽曲をよく聴いているという。
「なかなかいい曲だよ。余分な情報をそぎ落としてもう一度聴いてみたら?」
ぐうの音も出ない。ぼくはかつて佐村河内氏にインタビューをし、結果的に彼をもてはやす役割を担ってしまった。ゴーストライターだとする作曲家が名乗りを上げた段階で、視聴者のみなさんに対しては自分の不明をお詫びした。だが、心の中ではまだ「恥をかかされた」という悔しさがくすぶっていた。実は、本当に恥ずかしいのは、肝心の音楽性にはほとんど目もくれないまま美談に酔ってしまった自分自身なのである。

少々大げさかもしれないが、このことは追求すべき真実とは何かを見定めることの難しさを表しているように思う。直近の例を挙げるとすれば、小保方晴子氏のSTAP細胞の研究論文をめぐる問題だろう。

割烹着姿の理系女子がとてつもない発見をやってのけたと世間は大騒ぎ。だが一転、その論文の手法には「ねつ造」と「改ざん」という不正があったと、所属先の理化学研究所(理研)が認定した。小保方氏は自らの未熟を認めながらも、STAP細胞の存在そのものは疑いないと主張し、不服を申し立てている。

少し条件を変えて頭の体操をしてみよう。
もし「STAP細胞はあります!」と訴えているのが、小保方氏のような見目麗しい若きリケジョでなく、ぼくのような何の変哲もないおっさんだったとしたらどうだろう。ここまで騒ぎは大きくなっていただろうか。
もし彼女の所属先が、ノーベル賞学者の野依良治氏が所長を務める「理研」という権威ある研究機関でなく、小さなベンチャー企業の研究室だったら。論文の瑕疵はそこまで厳しく追及されなかったかもしれないし、そもそも「ネイチャー」という科学雑誌に紹介されたかどうかもわからない。

自他共に認めるように、不備な論文を提出してしまった責任は大きいし、その所在は明らかにすべきだろう。しかし、より大切なのは、責任論に終始することではなく、STAP細胞、あるいはSTAP現象というものが本当に存在するのかどうか、しっかりと検証することだ。ましてや、小保方さんの外見とか、理研の権威といった本質とは別の要素に振り回されることがあってはならない。

そしてきょう、小保方氏を指導する立場にあった理研の笹井芳樹副センター長が記者会見した。「STAP現象を前提にしないと容易に説明できないデータがある」とし、STAP現象は「検証する価値のある合理性の高い仮説」と位置付けた。

世の中には、STAP細胞を信じるかどうかという、笹井氏に言わせれば「宗教」のような議論も多い。ゴシップとして面白おかしく紹介してよしとするメディアもある。だが、ここはシンプルに科学的な検証を進めるのみだろう。STAP細胞の存在がきちんと確認され、再生医療に大きな進歩がもたらされれば、それは間違いなく朗報だ。集団ヒステリーのようなバッシングの中で研究が途絶されることは避けるべきだ。
科学の出番はこれからが本番なのではないか。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:28 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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お入学

2014年04月09日 (水)

ぼくはひねくれ者なので、おとといの「当世入学式事情」のニュースの後には、放送でこんなことを言おうという心づもりであった。
「私のいちばん古い記憶のひとつは保育園の入園式。自分の親に『ついてこなくていいよ』と言ったことを覚えています。時代の変化ですねえ」

幸か不幸か、時間の余裕がなくて割愛したのだが、そんなことを言いたくなる入学式事情であった。小学校なら分かるが、大学の入学式に保護者がこんなにたくさん出席する世の中になっているとは思わなかった。

ある大学の入学式に、両親、祖父母ともに出席したご家族は、みなさん、まさに満面の笑顔。当の本人も、家族の出席を「本当に心強くて助かります」とニコニコ顔である。
また別の大学では、入学式の後に行われるキャンパス説明会に大勢の親があふれた。理工学部では新入生1000人に対し600人の親などが参加。ある母親は、「箱入り息子で育てましたのでねえ。化学は危険が伴いますし、しっかりこの目で安全なところを見ておきたい」と話していた。まあ熱心なことである。

ぼくはひねくれ者なので、自分の息子たちの入学式にはほとんど興味がなかった。大学ともなればなおのこと、「もうお任せ」という親である。学校行事として、入学式は卒業式と並んで大事なこととされるが、それは学校側と学生(生徒・児童)との間で交わされる厳粛な行事であり、保護者はあくまで脇役に過ぎない。連絡事項などがあって「どうしても」ということなら行くが、そうでなければ仕事が優先である。

それにしても、この入学式での保護者の大集合。やはり少子化の影響か。ひとりの新入生あたりにかかる周囲の大人の期待が、ぼくらの時よりはうんと大きくなっているように感じる。

だが、親の世代であるわれわれこそがもっと元気を出そうではないか。ぼくは可愛げのない父親なので、息子に期待をかけるより、自分自身がおもしろい人生を送りたい。
この前、何気なく土曜日のドラマを見ていたら、西村京太郎さん原作の十津川警部シリーズというものをやっていた。警部を演じていたのは高橋英樹さん。70歳である。十津川警部を支える刑事を演じた高田純次さんも67歳。還暦をとっくに過ぎた役者が、おそらくは40代か50代を想定した現役の刑事役を務め、しかも違和感がない。これである。

少子化の中ですくすく育った若者は金の卵だ。でも、次の世代に期待をかけるばかりではつまらない。保育園の入園式に親が来ることすら拒んだわが幼児期の気概。それを忘れずに、高齢者予備軍としてしっかり力を蓄えるのだ。

自分の入園式のエピソードなど思い出したせいか、田舎の母親の声が聞きたくなって電話した。
「最近の入学式事情について、ブログに書こうと思ってるんだ。ちょっと、保護者が熱心すぎやしないかと思ってさ」
「あらそう?あんたの大学の入学式、お父さんと私で行ったわよね。とってもよかったわよ」

・・・思い出してみればそうだった。顔を合わせることはなかったが、確かにぼくの両親は日本武道館で開かれた大学の入学式にホクホク顔で出席していた。これじゃあ、当世入学式事情を皮肉っぽく語る資格はないではないか。

いや、ぼくはひねくれ者だ。自分は親に甘やかされた男だが、自分は子どもを甘やかすことなく、自分にも厳しく生きていくのだ。でも、もし自分に孫ができたら、おじいちゃんは孫の入学式に行きたくなるかもしれないなあ。ま、それもいいか。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:19:38 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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桜あれこれ

2014年04月02日 (水)

東京・八王子の自宅近くに桜の名所がある。近いと言っても、徒歩で往復すると2時間かかる距離だから相当なものだが、丘陵の城址公園で散歩にはうってつけの場所だ。花の命は短い。けさは夜明けとともに目が覚めてしまったので、早朝、「よし!」と思い立って家を出た。

道すがら、別の桜の名所のことがしきりに頭に浮かんだ。福島県飯舘村の南端、長泥(ながどろ)地区の峠道にそれはある。地元の人は「いろは坂」と呼んでいる。
東京電力福島第一原発の事故後、この長泥地区は村で唯一、帰還困難区域に指定された。いろは坂に向かう道路は、手前でゲートによって遮断されている。

取材を通じて、長泥地区の鴫原(しぎはら)良友さんという区長さんと知り合った。鴫原さんは福島市内で避難生活を送っている。見回りの当番で地区に入るたびに、このいろは坂を通る。そして、時々下草を刈っている。去年の秋、鴫原さんと同行して取材したときに、ぼくもこのつづら折りの道を通った。

福島第一原発の事故による避難区域の中でも、放射線量が高い帰還困難区域はとりわけ過酷だ。除染のめどは立たず、故郷に帰ることに悲観的な人が多い。
「バラバラになったとしても、集まることのできる場所がほしいんですよ」
いずれみんなで花見がしたい。そんな思いで鴫原さんは、見まわりの合間にせっせと桜の手入れをしているのだ。

八王子のぼくは、ゆっくり1時間を歩いて桜の咲く場所に着いた。ここは巨大なくぼ地にたくさんの桜が植えられていて、周囲の遊歩道からは、枝についた花がほぼ目線の高さに見える。丘陵にあるせいか花は都心より遅く、まだ5分から7分といったところか。だが、控えめなピンクと澄んだ青空のコントラストが、むしろ上品で美しい。

先月、取材で鴫原さんと2度目に会った際、福島で深夜まで痛飲した。いささか酩酊したが、そのときの鴫原さんのひとことが忘れられない。
「人間、あきらめるのは簡単だよ。でも、あきらめたら全部終わり。だからあきらめない」

以前の長泥に戻るという願いが簡単にかなわないことは、鴫原さん自身が一番よくわかっている。みんなそれぞれの生活があるし、別の場所で新生活を立ち上げる住民がいても止めはしない。一体だった地区住民の間にそれぞれの事情から分断が生まれ、震災から3年がたった今、その溝が広がっていくことは認めざるを得ない。
しかし、鴫原さんはせっせと桜の下草を刈り、神社を掃除し、区報を発行して避難先のみんなに届ける。半年に一度は全員に声をかけて温泉施設で住民集会を開き、余興の盛り上げ役も買って出る。

あきらめたら終わりだし、何より、生まれ育った愛しいふるさとが、放射能で汚されたまま捨て置かれるのは我慢ならないからだ。だから区長としてできることはやると、鴫原さんは決意している。

八王子の丘陵で満開一歩手前ということであれば、福島県の山間地にある長泥のいろは坂では、桜はまだつぼみだろうか。だがやがて花は咲き、峠を埋め尽くすだろう。たとえその姿をめでる人はいなくても、無言で咲いては散ることを繰り返すだろう。そのうち人々が集い、ふたたび住みかを構える日が来ることを願う。

以前と変わらぬ自分の日常に感謝し、非日常が日常と化してしまった被災地の人たちの悲しみを思いながら、ぼくは1時間の帰途についた。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:16:31 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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岡ちゃんは休まない

2014年03月26日 (水)

「岡ちゃん」などと言うと「気安く呼ぶな」と怒られそうだが、やんちゃでジョーク好きなこの人は、やはり「岡ちゃん」の愛称がぴったりくる。岡田武史さん。4年前のサッカーワールドカップ・南アフリカ大会で日本代表を1次リーグ突破、ベスト16へと導いた監督だ。

「そう言えば最近このひとを見なかったね」という方、それもそのはずである。岡田さんは最近まで、中国スーパーリーグ一部「杭州緑城」の監督として現地に赴いていたのだ。2年間の中国への挑戦を終えて帰国した岡田さんをスタジオの特別ゲストに招いた。

なぜ、サッカーでは格下である中国の、一クラブチームへと赴いたのか。そのあたりから聞いてみる。
「ちょうど話があったから、よく調べもせずに決めたんです」
まず岡田さんはにやりといなしてから、こう言った。
「報道で見聞きする二次情報や三次情報だけでは、中国ってよくわからない国だけど、本当に自分の目で見た一次情報は違うんじゃないかって思ったんですよ」

岡田さんの魅力はこのあたりにある。2年前、杭州緑城の監督に就任したばかりのころ、やはりインタビューしたことがある。その時は、ひと時もじっとしていられない自分の性分を「泳ぎ続けないと死んでしまうマグロみたいなもの」と笑っていたが、何かに挑戦してやろうという尽きぬ衝動がこの人の本領なのだと思う。

監督在任中に吹き荒れた反日デモ。しかし、サッカーを通じて自分の目で中国を見てみたい、中国の一次情報に触れたいと海を渡った岡田さんには、違うものが見えた。
「青島(チンタオ)の大手スーパーが破壊されたというニュースを聞けば、『何だ!』という気持ちにもなる。でも、実際には大丈夫な日系のスーパーはたくさんある。ニュースでは伝えられていないだけですよ。日本の親だって、中国の親だって、自分の子どもを戦場に送りたいと思っている親はひとりもいない」
岡田さんが言いたいのは、派手な動きの陰にある、穏健なサイレント・マジョリティの存在だ。それを忘れて、国対国の対立ばかりに目を向けるのは、岡田さんは「ちょっと違う」と思っている。ぼくたちマスコミへの警告にも聞こえる。

岡田さんは、中国の選手たちと懸命に向き合ってきた。試合に出るのも「実力より人脈」という風土の中で悪戦苦闘した、成績こそ振るわなかったが、ツイッターには現地のサポーターからの「感謝」の言葉があふれた。
「グラスルーツ(草の根)の絆を作る役割がスポーツや芸術にはある。自己満足かもしれないけど、戦争もなく、高度成長のすばらしい時代に育ってきたぼくたちには、自分の子どもたちの世代にどんな社会を残していくかという責任があるんです」
複雑に利害がぶつかり合う東アジア。そこで生きていかなければならない日本人のひとりとして、次の世代に少しでも友好の絆を引き継ぎたいと、岡田さんは考えている。挑戦し続ける衝動に加え、ひとつ先を見据えた冷静な目を持っているのも岡田さんという人なのだ。

「この先、どんな活動をしていくんですか?」
「6月のワールドカップが終わってから決めます。今これといった仕事はないんですよ。ハローワークに並ぼうかなあ」
岡田さんは最後の言葉をこんなふうに締めて笑わせた。やっぱりこの辺は「岡ちゃん」である。

でも、そんなことを言いながら、実際、人材育成に関わるいくつかの仕事が内定しているとも報じられている。「岡ちゃん」はきっと休まない。泳ぎ続けるマグロは、日本サッカーだけでなく、日本の将来までも見つめている。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:16:09 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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本当のことって・・・

2014年03月19日 (水)

今週のこのコラムは、書き出しからして「重たい気分」だ。

何が本当なのか。世の中を混乱させたふたつの出来事がたちどころに浮かぶ。ひとつは「現代のベートーベン」と言われた佐村河内守氏が、実は他の人に作曲を依頼していた問題。もうひとつはSTAP細胞の信ぴょう性の問題である。

前者はぼくもかなりの責任を感じている。自ら彼にインタビューし、放送に出した経緯があるからだ。番組でも深くお詫びをした。
ゴーストライターだったと名乗る作曲家が登場。加えて佐村河内氏の耳が聞こえないというのはうそだと告発した。佐村河内氏も作曲を依頼していたことを認めて謝罪したが、作曲家の発言に虚偽があると主張、名誉棄損で告発すると息巻いている。すっきりしない展開だ。

ぼくは佐村河内氏にインタビューしたとき、彼の話を少しも疑わなかった。「でき過ぎ」の話をうのみにして放送に出したことは取材者として誤りだった。そして、ここまで発展してしまった問題だけにフォローは必要だと思っている。この問題をきっかけに、実際に聴力に障害がある人たちが、あらぬ疑いを受ける例が報告されるなど、影響が出ているとも聞く。そのことは放置してはならないと思っている。

真偽の見極めがさらに困難だったのが、STAP細胞の万能性についての論文だ。小保方晴子ユニットリーダーらが、科学雑誌「ネイチャー」に掲載した論文には、画像の流用や記述のコピーが見られるとして、小保方氏が所属する理化学研究所が調査を行っている。当初、「研究の本質部分は揺るがない」としてきた理研も、先週の中間報告の段階で、野依理事長が「(データの)取り扱いが極めてずさん。責任感に乏しい。それに加えてチーム間の連携に不備があった」と指摘せざるを得なくなった。
この問題を取材してきた科学文化部の同僚記者は、「STAP細胞があるのかないのか、まったくわからないという状態に逆戻り。データの信頼性を失うというのは、科学の世界ではそれだけ厳しいことだ」と指摘する。

論文発表当初は、「ネイチャー」という権威ある雑誌が認めた論文ということもあり、内外のメディアを挙げて、いや政府も「常識を打ち破る画期的なものだ」と礼賛した。だが、その信頼は一気に崩れたことになる。
専門性の高い問題だけに、誤りの可能性を指摘するのはそれだけ困難だった。ただ、われわれは「ごめんなさい」と頭を下げれば済んだ気になるかもしれないが、夢の万能細胞の登場に一筋の光を見た難病患者などは、やりきれない思いだろう。この研究の今後についてはわからないが、後味はあまりに悪い。

思えば、3年前に東京電力福島第一原発が事故を起こした際、原子炉の中は一体どうなっているのか把握できず、放射性物質がどの範囲に飛散するのか、身を守るために適切な措置は何かなど、政府の発表すら全くの手探りだった。その政府発表を、できるだけ迅速にと懸命に伝え続けたぼくらもまた、裏打ちのない、手探りの報道だったのだ。科学技術の発達は、ときに人智を超えたところで問題を引き起こす。

佐村河内氏の問題は個人に帰するものが多いだろうが、科学技術とともに、世の中の仕組みが複雑に変化する中で、真偽を見極めることは右肩上がりで難しくなっている。その中で、誤りのない報道を続けていくためには、それだけの決意とたゆまぬ努力が求められるということにほかならない。

「重たい気分」でこのコラムを書き出した。
ある知人が、柔道や剣道といった言葉に、「道」が使われている意味を教えてくれたことがある。それはゴールなどない、どこまでも極め続けていくものだからだという理由だった。
ぼくたちの仕事も「報道」という。真偽を見極めること、公正公平を貫くこと。いずれもゴールなどなく、悩み続けながら道を極めていくしかないのだろう。
「重たい気分」は晴れないが、こけつまろびつであっても、この「道」を前に進んで行こうという腹だけは固まってきた。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:19:29 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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現場で見えること 

2014年03月12日 (水)

もとより、報道で伝えることのできるのは世の中で起きているほんの一部であって、自分が見えているものなどその中でもわずかなひとにぎりである。でも、限られた視野ではあっても、できるだけこの目で確かめたいと、スタジオを離れて現場に向かう。
震災の被災地には、特にこだわりがある。キャスターとなってまもなく1年というとき、震災と原発事故が起きた。それはニュースの伝え手としての自分にとって、ある種の指針となった。この震災の記録を、自分の目と言葉で刻んでいこうと。

震災から3年という節目を迎えた今週、福島、宮城、岩手3県の被災地をめぐった。いくつかの取材先で、今回、共通して耳にしたことがある。それは、仮設住宅の「もうひとつの事情」である。
家を奪われた人々が心ならずも暮らすプレハブ作りの仮設住宅は、文字どおり仮設としての設計であり、狭くて隣家の物音も聞こえるとなれば、居住環境としては決してほめられたものではない。自活の道を見つけた人は清々として仮設を引き払い、結果として、今回訪ねたいくつかの仮設住宅はお年寄りが肩を寄せ合って生活しているところが多かった。だが、そこで耳にしたのは、「ここは、気兼ねがなくていい」ということばだった。

宮城県石巻市の牡鹿半島にある小さな仮設住宅では、入院先からもどったばかりだという80歳代のおばあさんとしばし雑談をした。退院して息子夫婦の家にしばらくやっかいになったが、居づらくなってひとり、仮設に戻ってきたという。
「息子のところは、気い遣わねばなんねえし」
そこにちょうど、八百屋さんの軽ワゴンが訪問販売に来た。この八百屋さん、震災後に北海道からボランティアに来たのだが、そのまま居着く結果となり、野菜を商っているという。訪問販売を通じて、お年寄りが元気でいるかどうかさりげなく見守っているのだ。
「おいしいイチゴあるよ」
「じゃ、もらおかな」
「ずいぶん歩けるようになってよかったね」
「だって、歩かねばしょうがないもの」
何気ない会話が冬の日だまりに吸い込まれていく。

福島県飯舘村で出会った男性は、放射線量の高いふるさとを離れて福島市に定住する決断をし、家を購入した。だが、村では同居していた80歳代の母親は、一緒に住みたがらないという。
「どうしても仮設に残るって言うんだよね」
仮設住宅には同じ地区から移ってきた昔からのお茶のみ友達が数多く住んでいる。なのに、全く縁のない場所に移ったら、突然話し相手がいなくなり、たまらなく寂しくなる。そのことを心配しているのだという。
「気持ちはわかるからさ。ちょくちょく様子を見ながら、しばらく仮設にいてもらおうと思っているんだ」と、男性は言った。

それ以外にも今回の取材の旅では、「仲間がいる仮設住まいでいい」という何人かのお年寄りと出会うことができた。仮設イコール手狭、住みにくい、一刻も早く脱出したい。そんなステレオタイプのイメージばかりにとらわれていたぼくにとっては、意外な発見でもあった。
もちろん、郷里の家を奪われた悲しみは消えないし、仮設暮らしにうんざりしている人は多い。良好な居住空間とは言えない仮設住宅を常設化するべきでないし、それに代わる災害公営住宅の整備は急ぐべきだ。ただ、人々のつながりを断ち切る形で機械的に部屋を割り振るというやり方では、「仏作って魂入れず」ということになりかねない。

今回も現場に取材に来てよかった。ささやかではあるが大事な被災地の問題を知ることができた。そしてなにより、切ない環境にあっても何とか適応し、仮設のお隣どうし、笑顔を見せる人たちの姿に、またひとつこちらの方が元気づけられた思いだった。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:27 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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記念日の意味

2014年03月05日 (水)

4日のニュースを見ていて、これはいい機会だと思った。
参議院予算委員会で、東日本大震災が起きた3月11日を記念日に制定することを検討したいと、政府が表明した。

これまで閣議了解によって制定された国の記念日としては、代表的なものに9月1日の「防災の日」がある。この日は関東大震災が起きた日であり、毎年、各種の訓練が行われているので、なじみ深い記念日である。
また、阪神淡路大震災が起きた1月17日は、「防災とボランティアの日」と定められている。数多くのボランティアが現地に入り、献身的に動く姿に、厳しい現実の対局にある一筋の光を見出した人は多かったはずだ。記念日にボランティアという言葉を入れたのは賢明な判断と言えそうだ。

では未曾有の津波災害と原発事故が起きた311を、ぼくたちはどのような日と名付けるべきなのか。どのような教訓と願いをこめ、どの言葉を選択するべきなのか。

あの津波は世界中に自然の力の恐ろしさを知らしめた。天災は人間の力では抑えられない。しかし、被害をできるだけ小さくするという減災なら、知恵と工夫が生きる。ならば「減災の日」とするか。でも、ちょっとパワー不足のような気がする。

では、東京電力福島第一原発の事故に着目するのはどうか。あの事故は、原子力の安全神話を崩壊させ、技術への過信に大きな警鐘を鳴らしたという点で、チェルノブイリの原発事故と並んで世界史に記されることになるだろう。そこで、「原子力防災を忘れない日」というのはどうか。しかし、それではあの日の経験を全て言い表したことにならない。2万人近い人の命が失われた巨体津波が、片方に追いやられることになりかねない。

ならばいっそ、「命の日」というのはどうか。あの日失われた命を悼み、生き延びた人々の命の重みに寄り添い、原発事故で避難を余儀なくされた人たちの命の叫びにしっかり向き合う。全ての意味をそこに込めることができるかもしれない。
いや、ちょっと散文的に過ぎないか、行政が決める言葉にしてはややポエムが入り過ぎているかもしれない。

答えを見つけるのはなかなか難儀な作業である。記念日としての制定に向け、いま政府の検討がどこまで進んでいるのかは知らないが、担当者は、閣僚から「適切な名前を考えよ」と命じられ、悩んでいるのではないかと思う。だが、むしろ悩んで悩みぬいてほしいとも思う。

一方で、その仕事は政府の担当者だけのものにせず、ぼくたちひとりひとりも考えてみる時間を取りたいものだ。ある人は津波を、ある人は原発事故を、またある人はふるさとや絆という言葉が思い浮かぶかもしれない。言葉を紡ぐことは、震災の風化を防ぎ、想像の翼を広げることにつながる。それぞれの心に、あの震災が意味するものをしっかりと刻みつけることにこそ、記念日制定の意味がある。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:58 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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悩ましい季節

2014年02月26日 (水)

来年の春に向けた大学生たちの就職活動が真っ盛りだ。電車の中では、リクルートスーツに身を包んだ就活生たちが、スマホとにらめっこで情報収集している姿をよく見かける。そして、放送をはじめマスコミを志望する学生から、縁あって相談を受けることもしばしばである。

この前訪ねてくれたある男子学生は、NHKのディレクターになりたいという。NHKの美術系の番組が大好きで、そうした方面の仕事につきたいという。いささか緊張ぎみに、瞳をキラキラさせて夢を語る姿がまぶしい。

美術にはからっきし弱いぼくだから、その方面の番組ディレクターになるためのアドバイスは、持ち合わせていない。でもそんなぼくだから、というべきか、少しばかりひねくれたアドバイスをしてみた。

それは、「自分の希望にこだわり過ぎてはいけない」という、ちょっと出鼻をくじきかねない助言である。
理由は簡単だ。世の中は、希望どおりの道を歩むより、それとは別の世界に生きることの方が確率は高いと思うからだ。美術番組のディレクター希望の彼だって、人事の採用担当者は、そのすっきりした顔立ちやハキハキとした話し方を買って、アナウンサーに適任と判断するかもしれない。素直に人の話に耳を傾ける姿勢がいいと、記者を勧めるかもしれない。その時、彼はどう判断するか。

夢を追い求める気持ちは当然のことながら大事だ。実際、世の中には自分の夢を追い続け、困難を乗り越えながら充実した毎日を送っている人は少なくない。仕事柄、ぼくはそういう人にインタビューをする機会も多く、その都度、感動することばかりである。

一方で、最初こそ「どうして自分がこの仕事に」と思いながら、意外にもそこにやりがいを見つける人も多い。ぼく自身がそれに近い。そもそも、自分の夢や希望がどこにあるかすらわからない人の方が多数派ではないかとも思う。それでも、人は充実した日々を送ることができるのだと考えれば、人生は少し楽にもなる。

だから、ぼくは彼にこんな風に言った。
「君の20年余りの人生で見えてきたものなんてほんのわずか。今の夢がかなわなくても、その場その場の偶然や出会いを大切にすることで、その場所が最高に心地よいと感じられることもある。自らの可能性を信じて、馴染みのない世界に飛び込んでみるのも悪くないよ」

その後、彼の就職活動がどうなっているか、ぼくは知らない。人事にくちばしをはさむ権限はぼくにはないし、彼からも以後、連絡はない。ひょっとしたら、放送の仕事とは別の分野に進むことを決めているかもしれない。

だとすると・・・ちょっぴり気になってきた。なかなかいい男だった。他社に取られたら惜しい人材だった。NHKに思いきりこだわって就職活動をするよう、強く言うべきだったかなあと。
いやいや、人生、偶然の出会いが大事だと言ったのは自分じゃないか。ぼくとの出会いによって彼が別の何かに目覚め、そちらの方で縁に恵まれるとしたら、それはそれで幸せなことではないか。

街はリクルートスーツの学生たちがあわただしく行き来している。新人クンを迎える会社の側にとっても、どこか心落ち着かぬ季節である。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:19:59 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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涙のエンド

2014年02月19日 (水)

番組のエンディングで何をコメントするか、いつも悩む。9時59分くらいから10時の終わりまでの1分弱の、その日のいわば「締め」のコメントだ。だいたいこのあと、「またあす(来週)お会いしましょう」とごあいさつし、番組は終わりとなる。

いくつかのパターンがある。映像を伴うケースもあれば伴わないケースもある。
映像を伴わないケースでは、その日最も印象に残ったニュースの意味をもう一度まとめたり、今後への課題を提起したりする。スタジオで放送を出しながら、同時並行の形で内容を考え、アドリブでコメントする。
映像を伴うケースは少し長くなる。たとえば、本編では伝えきれないニュースの中から、ぜひ視聴者に届けたい魅力的な映像が見つかった場合などがそれだ。その映像にうまくコメントを添えることができれば、番組はいい感じでその日の幕を引くことができる。

ところが、きのう(火曜日)はエンディングで悩むことはなかった。朝、葛西選手の涙をニュースで見て、「これしかない」と腹が決まったからである。
ソチオリンピックのジャンプ団体。清水、竹内、伊東、葛西の4人のジャンパーが力を合わせた銅メダル。4人が4人ともそれぞれの壁を乗り越えてつかんだ、この種目16年ぶりのメダルである。

海外遠征のメンバーから外れる不調を乗り越え、チームの先陣を切って大ジャンプを披露した清水。高熱やぜんそく発作が続く難病と闘いながら代表の座をつかみ、執念のパフォーマンスを見せた竹内。左ひざの負傷をおして出場、最後まで痛いと言うことなく日本チームに芯を通した実力者、伊東。そして、41歳のレジェンド、エースの葛西。

困難を克服したチームメートをたたえて、葛西選手は泣いた。個人で銀メダルを獲得した時にも見せなかった涙。声も震えていた。
「みんな万全ではなかったが、後輩たちにメダルを取らせてあげたいと思っていた。4人の力を合わせてメダルを取れたことが本当にうれしい」

オフィスに着くなり、ぼくは番組スタッフに宣言した。
「きょうのエンディングは涙で行こう。メダリストの涙。いや、メダルに届かなかった選手の涙も美しい。きょうはとにかく涙、涙だ!」
ひとり舞い上がる52歳のおっさんにみんなタジタジとなっていたが、異論はなかった。この日の番組のエンディングは少し長めにした。葛西、ジャンプ女子の髙梨、スキーモーグル女子の上村、カーリング女子の小笠原。選手たちの涙のオンパレード映像で番組はお別れとなった。

この場合、映像にぼくのコメントはいらない。サボっていたわけではない。映像がすべてを物語るとき、キャスターのコメントは蛇足となる。
それに、映像を流しながら、スタジオのぼくはもらい泣きしていた。コメントをしろと言われても、そもそも無理な話だったのである。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:14 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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