キャスター・アナウンサー BLOG

大越健介の現代をみる

緊張してます

2014年12月17日 (水)

ぼくはいま、番組のキャスターになって以来、いちばんと言っていいくらい緊張している。けさもまだ暗いうちから目が覚めてしまい、深呼吸したりしてなんとか二度寝に挑んだのだがそれもかなわなかった。

きょうはこれから女優の吉高由里子さんにインタビューをする。場所は東京・六本木の東洋英和女学院の校舎を貸していただく。吉高さんが演じた「花子とアン」の主人公・翻訳家で児童文学家の故村岡花子さんが学んだ、あの気品高く厳格な女学院である。

インタビューに臨んでは、当然、相手のことをある程度研究する。吉高さんは「花子」を演じる以前にも、若手演技派女優として一目も二目も置かれた存在だった。

初主演となった2008年の映画「蛇にピアス」では、痛みを感じることでしか生きる実感を得られない女性の哀しみを体当たりで演じ、話題をさらった。かと思えば学園もののラブコメデイなどでも独特の存在感を発揮し、同世代のわが息子たちなどは、「ヨシタカ」というだけでどこか遠い目になる。20歳代の彼らにとって「青春」を実感させる女優のひとりらしい。

演技の幅の広い天才肌。一方で彼女のツイッターなどに目を通すと、繊細な感情の持ち主であることがよくわかる。

そうなると、報道という堅い世界で生きてきた、凡庸な上にも凡庸であるこのおじさんに、はたしてインタビュアーが務まるのかと不安になるのだ。彼女も、どうして自分がNHKのニュース番組なんかに出るのかしら、と頭の中が?マークでいっぱいかもしれない。年末の忙しい中、時間を取ってもらっちゃって、申し訳ないな・・・。
気の弱いぼくは、そうやって勝手に緊張を高めていくのであった。

彼女をニュースウオッチ9のインタビューに引っ張り出した理由は簡単だ。要はことしいちばん輝いた、「ニュースな女性」と考えたからだ。
その見立てが外れていなければ、たとえインタビュアーがさえなくても、彼女の魅力は十分伝わるはず、そう考えるようにしよう。

それに、吉高さんが演じた「花子」にはぼくも思い入れがある。まだ中学一年生だったころ、初めて読書の面白さに目覚めたのが、ほかならぬ、村岡花子訳の新潮文庫版「赤毛のアン」シリーズだった。そんな縁からポツリポツリと話を進めていけば、だんだんと会話もほぐれていくに違いない。

思えば、この50がらみのおじさん(ぼくのこと)は、これまでもかなり意外な人物にインタビューをしてきたではないか。気難しい女優の代表格とさえ言われた沢尻エリカさん、人気ナンバーワン、大河ドラマの主役もこなした綾瀬はるかさん。先日はあの吉永小百合さんにもお会いした。そうだ。かつてはレディー・ガガさんにだって果敢にマイクを向けたものである。

そのいずれも緊張はした。だが、終わってみると「インタビューをしてよかった」と実感したものばかりだった。視聴者にも好評だった。
だから、ちょっぴり自信を持とう。堂々と、そして笑顔で吉高さんの話を引き出そう。彼女が少しでも心の垣根を取り払ってくれたなら、その瞬間に輝く言葉が出てくるはずである。

現金なもので、そう考えるとだんだん楽しみになってきた。おっと、そろそろ時間だ。着替えて現場に向かわなければ。
さて、どんなインタビューになりますやら。今回は編集に時間をかけようと思っているので、放送はあさって以降になる予定。乞うご期待、です。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:22:15 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
twitterにURLを送る facebookにURLを送る mixiにURLを送る Googleブックマークに追加 ソーシャルブックマークについて
※NHKサイトを離れます。

世論調査されました

2014年12月10日 (水)

衆議院選挙が近づくと、特に盛んに行われるのが世論調査である。
大手マスコミはだいたい、有権者の投票動向を探るための世論調査を行う。加えて、投票意欲や関心のある政策などを訊ね、その選挙の争点や伝えるべき論点を考察する。
マスコミだけでなく、政党も独自の世論調査を行うことがあるので、これだけの調査ラッシュになるといつか自分も当たるのでは、と思っていたらドンピシャだった。3日前の日曜日のことである。

たまの休み、まるでトドのように(と家人は言う)居間でゴロゴロしていたら、家の電話が鳴った。日曜日の昼下がり、かかってくる電話はだいたい投資の勧誘のたぐいと相場は決まっているので、「面倒だなあ、よっこらしょ」と立ち上がって受話器を取ると、機械的な女性の声が流れてきた。自動音声である。

「・・・調査を行っております。ご協力をお願いします」
いきなり耳に飛び込んできた無機質な声に面食らい、冒頭を聞き逃してしまった。どこの何の調査なのかわからない。あるいは、そもそも言っていなかったのかもしれない。
「あのう、どちらさまの調査ですか?」と聞き直そうとしたが、相手は自動音声である。手ごわい、というか当然ながら会話にならない。こちら慌てている間に、「質問を開始します」と、たたみかけてくる。

最初の項目は、衆議院選挙の投票意欲についてだった。
「衆議院選挙の投票には行きますか」と聞いてきた。このあたりから落ち着いてきた。
「必ず行くという方は○番を」と相手が言うが早いか、たちまち態勢を立て直したぼくは、相手が指定した○番を速攻で押してやった。どうだ。

次の質問で相手は踏み込んできた。でも声はあくまで冷静である(当たり前か)。ぼくの住んでいる選挙区の候補者名を挙げ、「あなたはどの候補に投票する予定ですか」と、ズバリ聞いてきた。
だが、ぼくはひるまなかった。意中の候補名の番号を、これまたすばやく押してやると、もうこちらのペースである。どんと来い。どんなややこしい質問でも受けて立とうじゃなか。

そしたら、もう質問は終局を迎えつつあった。
「あなたの年齢をお答えください」
指定された50歳代の番号を押す。
最後は性別を聞いてきた。女性を装って意地悪しても意味がないから、これまた張り合いなく男性の番号を押す。そしたら、「ご協力ありがとうございました」と言って電話は切れてしまった。なんだかあっけなかった。

一般論だが、世論調査は、上記のように「誰に投票するか」というそのものズバリを問うものだけでなく、関心のある政策、比例代表の投票予定政党、内閣を支持しているかどうか、ふだんの支持政党はどこか、といった多岐にわたる質問項目を含むものが多い。
そうして得られるデータを様々に組み合わせて分析をするのだ。それによって、たとえば、「○○党はふだんの支持している有権者の何割程度を固めた」、などといった情勢をつかんだりする。あるいは、この政策に関心がある有権者は、どの政党を支持する人が多い、といった傾向も把握できるというわけだ。

ぼくがたまたま受けた調査は、この選挙区の情勢に的を絞ったかなりの「簡易型」と言えるのかもしれないが、経験値を重ね精度を増した世論調査は、有効な手段としていまやマスコミ報道に欠かせない存在となった。

もう30年近くも前、ぼくが駆け出し記者のころは、まだ、世論調査の存在感はここまでのものではなかったように思う。地域に必ずいる選挙のプロとも言える人を探し出し、その人の読み(あるいは勘)を聞いて回ると、むしろその方がぴたりと当たる、というようなケースがしばしばだった。
なにせそうしたプロは、ある候補者の集会に集まった人の数や表情だけで、おおよそ結果の見当をつけることができたりする。そこまでできるということは、つまりは地域の実情や人脈などを知り尽くしているからにほかならない。その人への取材は、選挙結果を占うのにとどまらず、記者にとっては地域を知る上での重要な財産ともなるのだ。

世論調査というものを受ける側に回ってみて、わずかな肩すかし感とともに、そんなことを思い出していた。
各種の調査によると、今度の衆議院選挙への投票意欲は高いとは言えない。投票率は近年にない低さになるのではと予測する人もいる。せっかくの選挙なのに、これではもったいない。
精度を増した世論調査だが、投票率だけは予測を大きく裏切ってどんどん伸びてほしいと、長らく政治報道に携わってきたぼくは思う。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:19:55 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
twitterにURLを送る facebookにURLを送る mixiにURLを送る Googleブックマークに追加 ソーシャルブックマークについて
※NHKサイトを離れます。

ダメよ~ダメダメ

2014年12月03日 (水)

そもそも「ダメよ~ダメダメ」とはいかなる意味があるのか。いまのニッポンにおいて、どのような時代背景がこの言葉を流行語に押し上げたのであろうか。

ま、そんなヤボなことはさておき。
このフレーズ、要するにことし一番多くの人が口にした(たぶん)言葉であり、年末恒例の「新語・流行語大賞」に選ばれた。幼稚園児までこの言葉が大好きだ。ウチの近所にもそんな子がいる。「ダメよ~」とクネクネしたりするものだから、お母さんに怒られている。
「調子に乗って何やってんの。ダメよ!ダメダメ!」

この言葉がはやり出してから、ぼくもよく口にする。しかし、おもに演歌の歌詞として、である。記憶が刺激されたのだ。
森進一さんの「年上の女」。わかるかなあ。ちなみに「女」は「ひと」と読む。
♪放したくない つらいのよ
 だめよだめだめ つらいのと
 泣いてすがった 年上の女♪
このさびの部分、森進一ワールドの中でも最もシブく泣けるところである。この場合、「ダメ」でなく、ひらがなの「だめ」でなければならない。だって悲しい女ごころですもの。口ずさんでいると、なぜか自然と物まねが入るのも特徴である。
この歌を知らない世代の井上あさひキャスターが、そんなぼくを迷惑そうに見ている。どうも仕事の邪魔になっているようだ。
「歌っちゃダメ?」
「だめです」
冷たく言われてしまった。

「ダメよ~ダメダメ」が新語・流行語大賞に選ばれたというニュース、そもそも原稿の読み方が難しい。
「今年の大賞に、中年男性に口説かれた女性ロボットが、誘いを断るときに発することば『ダメよ~ダメダメ』が選ばれました」。
この原稿を、しかめっ面で棒読みするのは危険である。あまりにもちぐはぐだ。しかも、読み手の方が思わず噴き出すおそれがある。かといって、受けをねらって「ダメよ~」と、それこそ幼稚園児のようにしなを作ってしまうと、ほぼ確実にスベる。
どちらにしても、視聴者のみなさんから「ダメ出し」されることは間違いない。

やはり、このフレーズが日本中を席巻した意味があるはずだと、識者の意見を調べてみる。選考委員も務めた俵万智さんは、この「煮え切らない押し問答」こそ、ことしの世相そのものだという。
「さまざまなふしぎな記者会見や(筆者注・ゴーストライターとか、いわゆる号泣県議の会見のことか)、政治とカネの問題など、この1年、歯切れの悪い押し問答が繰り広げられたので、ことしを象徴する流行語だと思います」
なるほど。さすがである。これで納得した。

ということで、今回はこれにてさようなら。

え?ひとの言葉を借りて締めようなんて虫がよすぎる?
そうですよねえ。すみません。実は、テーマの食いつきの良さから、とりあえずこのコラムを書き出したのですが、なかなかオチが見つからなくて四苦八苦しているのです。
だからこのへんで、
「いいじゃあ、ないの~」
「ダメよ~、ダメダメ」

投稿者:大越健介 | 投稿時間:19:37 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
twitterにURLを送る facebookにURLを送る mixiにURLを送る Googleブックマークに追加 ソーシャルブックマークについて
※NHKサイトを離れます。

うれしかったこと

2014年11月26日 (水)

この歳になれば、それなりに苦労も多い。
あちら立てればこちら立たずで、人間関係には神経を使うし、世の不条理には腹立たしい思いばかり。おまけにこの数週間は腰痛も出た。憂うつのタネは数えきれない。あれやこれや考えて、まんじりともせず夜を明かすときもある。
だが、である。
こんな時こそ、楽しかったことやうれしかったことを思い返してみよう。人生捨てたものではないと言い聞かせ、背筋を伸ばして生きていこう。よし。

最近うれしかったこと。
「趣味は何ですか」と聞かれて「家庭菜園です」などと答えているわりには、忙しさにかまけて、庭の畑に目を配ることを怠っていた。白菜が無残にも虫に食われ放題なのは知っていたが、しょうがないとほったらかしにしていた。
しかし、野菜は実にたくましく育っていた。水菜が盛んに葉を茂らせている。この冬は鍋もので活躍してくれること請け合いだ。ブロッコリーは小さな花蕾をつけていた。順調に行けば、売り物にひけをとらない大きさになるはずだ。
そして、虫の餌食になっていた白菜も、内側から伸びてきた若い葉っぱが結球を始めている。売り物よりはふた回りほど小さいが、わが家の食卓には十分だ。

もうひとつうれしかったこと。
群馬・高崎の友人宅に夫婦で招かれた。豚のしゃぶしゃぶをふるまってくれた。これが美味いのである。
この豚肉、この友人夫婦が生産したもの。ハーブ飼料で育てるこだわりの無投薬豚は、食の安全とおいしさを求める消費者の間に徐々に浸透し、有名レストランなどからも引き合いが来るブランドとなった。
しゃぶしゃぶをしながら驚く。いわゆる灰汁(あく)がほとんど出ない。肉から出る脂はすっきり澄んで、ぐらぐら長時間火にかけても鍋の中は濁ることを知らない。育ち盛りの子どもみたいに大いに食べた。
農協を頼みとせず、自立して生産と販路開拓に挑む苦労と誇り。話を聞きながらその信念と覚悟の程に驚く。もともと息子どうし(彼らの末っ子、ぼくらの長男)が何年か前に東京の同じ野球強豪校にいて、スタンドで息子のチームの「追っかけ」をするうちに自然と親しくなった。この歳で、利害関係抜きに自然発生的に友だちができたこと。それ自体がうれしい。

仕事でうれしかったこと。
衆議院が解散された。だが、政治家の発言からは、東日本大震災という言葉が発されることがめっきり減った。それでいいのかと違和感を持った。
山形や新潟などに、原発事故以来、自主避難をしているお母さんたちが依然多く暮らしている。ぼくはそのことがずっと頭にあった。行くなら今と、「りとる福島」という山形市の自主避難者の組織を訪ねた。
山形の自主避難者はピーク時の3割以下に減った。福島に戻る人が増えたためだ。
しかし、残る人には残るだけの事情がある。放射性物質を恐れる気持ちに加え、生活の基盤がすでに山形にできてしまったという人も多い。
そして彼女たちの心を苦しめるのが、放射能を語ることのタブーである。
時に、「勝手に逃げた人でしょ」と冷たい視線を送られることもある。避難区域に家があり、逃げざるを得なかった人とも、彼女たちは微妙に立場が違う。それが、放射能を口にすることをためらわせる。人に言えない悩みを語り合える場、それが「りとる福島」だ。
番組で彼女たちの思いを伝えた。放送後、取材を共にしたディレクターのもとに、彼女たちから電話が入った。
「だんだん私たちの存在は忘れ去られていく。それを伝えてくれただけでありがたかった」
ぼくはそれを聞いてうれしかった。
震災の爪痕はまだあらゆるところに残っていて、悩みは多様化、細分化している。そのすべてを伝えきれない、引け目に近い感情がぼくにはある。それでも彼女たちは、「ありがとう」の言葉を返してくれた。

キャスターになって4年半と少しが過ぎた。休みをつぶしてあちこち取材に出かける生活。疲れが出るころではある。でも、気力と体力さえあれば、自分で足を運び、伝えられることはまだまだある。背筋を伸ばし、肩で風を切って仕事をするのだと、決意を新たにする。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:20:21 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
twitterにURLを送る facebookにURLを送る mixiにURLを送る Googleブックマークに追加 ソーシャルブックマークについて
※NHKサイトを離れます。

正しい原因に生きる

2014年11月19日 (水)

安倍総理大臣が衆議院の解散に踏み切った。
景気回復が足踏みをしているので、来年10月に予定されていた消費税の10%への増税を延期する。その決断について、国民の信を問うというのが総理の説明である。

これにはいろいろな批判が出ている。
解散の大義がないというのが一番多い。消費増税の先延ばしは、法改正を伴うとはいえ総理の判断でできること。師走の忙しいときに大金をかけて選挙を行うより、腰を据えて経済対策をやるべきだと。
また、そもそも消費税引き上げは社会保障費の確保であり、将来世代の負担を減らすためにも、多少の景気動向に左右されずに断行すべきだという声も根強い。

いわゆる「党利党略」に過ぎないという批判もある。
前回の選挙から2年。任期満了まであともう2年を残しての解散は、野党側の体制が整わない間隙を縫ったもの。つまり政権の延命目的ではないか、と玄人筋は読む。消費税増税はもはや争点にはなりえず、野党は攻め手を欠く。与党が圧勝した前回選挙には及ばなくても、それほど大幅に議席を減らすとは考えにくい。いま選挙をクリアしておけば、政治とカネといった厄介な問題をリセットでき、政権の寿命は延びるという見方である。

どれも一理あるが、どれも十分なものではなさそうだ。
総理が解散を決意するにあたって政略があるのは当たり前だし、税制の変更は国民の信を問うに足る重大事態だという総理の説明も、道理は道理だ。

けさ民放のワイドショーを見ていたら、出演者たちが「何のための解散なんだ」と批判を繰り広げる中で、ひとりのタレントが「でも、有権者に問われているのだから、ぼくたちはきちんと一票を行使すればいいだけではないか」と発言した。
ぼくは、その意見に同感だ。

好きな詩がある。
彫刻家であり、詩人だった高村光太郎の「火星が出てゐる」の一節。
「予約された結果を思ふのは卑しい。
 正しい原因に生きる事、それのみが浄(きよ)い」

この場合、「予約された結果」とは何か。政権与党は負けても小幅、安倍総理にとって選挙を経てリセットできるメリットが大きいという読み筋が、それにあたるのかもしれない。だとすれば、取らぬ狸の皮算用と言った方が正しいかもしれない。そのあたりの読みはプロにお任せしておけばよい。

ぼくたち有権者にとって大事なのは、「正しい原因に生きる事」だと思う。
「選挙結果なんてどうせ知れている」などと、評論家の受け売りをし、思考をストップさせてはならない。「たかが一票。投票してもしなくても同じ」と無関心になることはもっと良くない。せっかく総理がわれわれに政治参加の機会を提供してきたのだ。大いにそれに応えようではないか。

アベノミクスってちゃんと進んでいるのか。そうでないとしたらどんな手段があるのか。野党はどんな対案を示しているのか。
集団的自衛権の行使ってなんだろう。それで日本は安全になるのか危険になるのか。
東日本大震災と原発事故の教訓はどうなったのか。
中国や韓国といった近隣諸国との付き合い方は。
テーマは山ほどある。
自分のこと、自分の家族のこと、自分の地域のこと、そして自分の国のこと、世界のこと、さらには自分の次やその次の世代のことを考えながら、そのひとつひとつに自分なりの見解を持ちたい。それが無理でも、選挙をきっかけにまずは考える作業を始めることこそ、「正しい原因に生きる事」ではないか。

そうして紡ぎだされた一票は、数字としては微々たるものかもしれないが、結果はどうあれ、考える有権者の集団の誕生をうながす。それこそが、以後の社会を大きく成長させる原動力になると思うのだ。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:21 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
twitterにURLを送る facebookにURLを送る mixiにURLを送る Googleブックマークに追加 ソーシャルブックマークについて
※NHKサイトを離れます。

風にもいろんな風がある。

2014年11月12日 (水)

「からっ風」。
故黒澤明監督の名作「用心棒」の、貴重なメイキングフィルムが見つかったというニュースを伝えた。主人公が決闘に挑む場面では、一陣の乾いた風とともに猛烈な砂塵が舞い上がる。映画評論家の佐藤忠男さんは、「上州のからっ風のすごさを表現したもの」だという。からっ風と言えば、上州(群馬県)ではかかあ天下と並ぶ名物だ。
フィルムには、撮影現場で巨大な扇風機が活躍している様子が映っていた。いつの世も変わらぬ、裏方たちの涙ぐましい努力である。

上州でからっ風が吹く冬、ぼくの郷里新潟ではシベリアおろしの「季節風」が吹く。
これにはまいったものだ。
通学で使っていた近所の駅は無人駅だった。当時のホームは屋根のない吹きさらし。遅れた電車を待つ人に、季節風が横殴りに雪を吹き付ける。遠くから見ると、ホームに立つ人々がまるで樹氷の列。風が形になった光景だった。

風は季節のものだけではない。季節に関わらず、ときに厄介なものを運んでくる。

いわれのない「風評被害」に悩む人は多い。原発事故のあった福島の産物は、その被害が多少は軽減されただろうか。何度も放射線量を計測し、心配は御無用と地元の方たちが必死にPRしても、この種の被害を払しょくするのは簡単ではない。
わが家では、福島の農家から定期的にコメを取り寄せている。「せめても」という思いを込めてはいるが、実際に文句なしにうまい。

自然のものを質素に、ありがたくいただく。若いころからそんな食生活を送っていれば、ぼくはこうはならなかったかもしれない。
恥ずかしながら、ぼくは「痛風」持ちである。風が吹くだけで痛いから痛風と言い、おもに足の親指のあたりに痛みが出る。薬でコントロールはしているが、この発作が出ると本当につらい。歩けないばかりか、足を動かすこともできなくなる。
政治部の記者時代に発症してしまった。不摂生のうえに、会食でおいしいものばかり食べていたからだと知り合いにからかわれる。痛風の原因は美食だという通説は必ずしも正しくないというが、もとよりこれは風のせいではない。自分のせいである。

さて、永田町には「解散風」が吹き出した。
前回の衆議院選挙から間もなく2年。4年の任期の折り返し点を迎えれば、解散はいつあってもおかしくないというのが永田町の常識だ。「風は間違いなく吹いている」とあおって見せる自民党のベテラン議員。「やれるものならやってみろ」と息巻く野党。風に乗じて、あるいは乗せられて発言が舞う。
解散という伝家の宝刀を抜く権利を持つのは、唯一、内閣総理大臣である。その安倍総理は、「どこ吹く風」を装って、国際会議の旅の途中だ。
解散の大義は、争点は?仮に選挙になったとして、どの政党に「追い風」が吹くのか。
今の段階では、神のみぞ知る、である。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:19 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
twitterにURLを送る facebookにURLを送る mixiにURLを送る Googleブックマークに追加 ソーシャルブックマークについて
※NHKサイトを離れます。

一生の友になってください!

2014年11月05日 (水)

一生の友になってください!
お願いしているのは…ゴルフです。
「中年サラリーマンのゴルフ話かよ」とご不満のあなた。でも、まあちょっとガマンして読んでみてください。生きるヒント満載ですから(でもないか・・・)。

だいたいゴルフなんてものは金持ちの社交道具、鼻持ちならない、という方が少なくないことをぼくは経験上知っています。うちのカミさんがそうだったからです。
ぼくは政治部の記者だったので、週末、担当していた政治家に誘われたりすると、絶好の取材のチャンスとばかりにいそいそとゴルフ場に向かいました。期待したほどネタは取れなくても、その政治家の性格(せっかちとか、意外と周囲に気を使うとか)がよく分かって面白かったですね。

でも、家に帰るとカミさんはふくれっ面をしていました。
「いいご身分ね」とぴしゃりと言われたものでした。
「ゴルフが楽しくて行っているんじゃない。これだって仕事なんだよ」などと言い返し、家の中は決まって険悪なムードになりました。

でも、「ゴルフが楽しくて行っているんじゃない」というのは考えてみればゴルフに対して失礼です。しかも、ウソです。実はけっこう楽しんでいました。カミさんの怒りを鎮めるために、哀れにもゴルフは、身勝手なぼくによって生け贄にされたのでした。

ゴルフとの付き合いが深くなったのは、ワシントンでの4年間の単身赴任生活でした。あのあたりは自家用車で30分から40分飛ばせば、安くて広々としたゴルフ場がたくさんあります。日本のように混んでいないので予約なしでプレー可能なところもあり、週末はそれこそゴルフ三昧でした。
念のため言っておきますが、仕事はちゃんとしましたよ。でも、異国での単身生活というのはさびしいもので、休みの日には時間を埋めてくれる何かが必要だったのです。しかも、ブレーキ役のカミさんがいないわけですから、ゴルフにのめり込むのは、ぼくにとって必然の流れでした。

ところが、ぼくはここでもゴルフに対して失礼千万な男でした。何回ラウンドしたことでしょう。なのに、ぼくはいつも不真面目でした。もちろんうまくなりたいとは思っていましたが、要は場当たりゴルフ。たまにナイスショットがあって、爽快であればそれでよかったのです。技術向上を目指して練習場で打ち込んだり、本やビデオを見たりということはほとんどありませんでした。道具など車に積みっぱなしで手入れもせず、前回プレーした泥がついたままだったりします。回数は重ねましたが、これではやはりゴルフの神様に顔向けはできません。

そんな自分のいい加減なゴルフを、帰国して6年がたった今になって、ようやく反省するようになりました。回数こそ少ないのですが、取材などで知り合った紳士諸兄とお手合わせをするうちに、自分がいかに初心者のまま進歩していないかに気付かされ、53歳にして恥ずかしさを感じたのです。

ゴルフ一途の人たちがだんだんステキに思えてきました。家族の白い目にも耐え(たぶん)、せっせとゴルフ場に通う。プロゴルファーの域に達することなど永遠になくても、あらゆる手段で技術を磨き、自分との戦いに勝とうとする。あるベテランがこう言いました。
「生涯をかけて自分に投資する。それがゴルフだよ」

ぼくは野球選手でしたから、野球には特別な愛があります。でも、頂点だった学生時代の残像があって、たまに草野球をしても「こんなに衰えてしまった」とマイナス思考に陥りがち。53歳となった今は、見ている方が楽しいかな、やっぱり。
そこへ行くと、ゴルフは年齢を重ねても、重ねたなりの上達があり、味わいがあります。つまり、ぼくにとって一生の友になりうるスポーツ、というわけです。

よき友であるためには、努力が必要です。ゴルフの真髄に近づく努力を惜しまない。人生後半をまっしぐらのぼくの、新たな生きがいにできるのではないかと思っています。素振りならタダでできます。日本人は道を究めることが大好き。ぼくとて例外ではないのです。
でも問題は・・・同様に努力が必要な「よき夫婦関係」との両立、ということになりそうですね。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:19:11 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
twitterにURLを送る facebookにURLを送る mixiにURLを送る Googleブックマークに追加 ソーシャルブックマークについて
※NHKサイトを離れます。

山古志で思ったこと

2014年10月29日 (水)

「交流人口」という言葉を知ったのは、遅ればせながらつい最近のことだ。
東日本大震災から3年半というタイミングで岩手県陸前高田市を取材したときのこと。津波で破壊された街の再興にあたっては、人口を元に戻すという考え方を脱して、「交流人口」を増やすことが大事だと、市の幹部が話していたのを聞いた。
「交流」も「人口」もごく一般的なことばだが、ひとつにつなげて「交流人口」とすると、ことばが別の命を帯びてくるから不思議である。

そして、「交流人口」を実態として知ることができるのが、新潟県旧山古志村(今は長岡市)だ。先週、2年ぶりに取材に出かけた。

山古志は、海底が隆起してできた土質のもろい中山間地である。2004年の中越地震で無数の土砂崩れに見舞われた。道路は寸断され人々は孤立。ヘリコプターなどで全村避難を余儀なくされた。
あれから10年。インフラが復旧した今も、人口は災害の前の半分しか戻らない。

しかし、山古志は訪ねるたびに元気になっている。その理由がまさに「交流人口」の増加にある。数を正確に把握することは難しいが、この山村を訪れる人は、地震からの復旧後、明らかに増えたと住民は口をそろえる。

旧役場に隣接して、復興交流館がある。1年前のオープン以来、全国各地から大勢の見学客が訪れている。被災から今日までの山古志の試練と、それを克服しようと立ち上がった住民たちの覚悟が、写真資料と証言によって綴られている。コンパクトだが、見ごたえのある展示だ。
案内しているのは20代前半の2人の若者。2人とも山古志出身だ。実は彼らもまた、ある意味「交流人口」を構成する人たちである。地震によって長岡市内に避難し、今も住まいは山古志ではない。だが、郷里で仕事をすることを願い、交流館の重要なスタッフとしてここに通っている。

山古志に住まいを持たなくても仕事場は山古志、という人は少なくないという。山古志に通って田畑を耕し、特産の錦鯉(にしきごい)の養殖に精を出す人たちである。
「山古志と長岡市街を結ぶ国道の朝なんて面白いよ。市街に向かう通勤客が多いのは当たり前かもしれないが、山古志に向かう軽トラもけっこう多いんだよ」
地元の人はそう言って笑った。

村のにぎわいをもたらすもう一つの主役は、むろんのこと、外からの訪問客だ。錦鯉の品評会や、伝統の牛の角突きなど、山古志には大事に守り育ててきた誇るべき財産がある。それは、山古志にとっての利点である。同時に、この地に人を呼び込む原動力になっているのは、何といってもこの地域の人々の人柄にある。
あちこちに開かれた農産物の直売所には、村のおっかさんたちが店番をしている。うるさく客を呼び込むでもなく、その代わり無愛想でもない。ごくごく自然な居住まいで、とびきり新鮮な野菜を商う。ぼくが田舎育ちだから、というわけではないだろう。日本人なら誰もが感じるはずの、ほっとする空間がそこにある。

「地震の前の方が村はさびれていた。でも、地震で村を離れて分かったのよ。自分たちは本当に山古志が好きなんだと」
直売所のおっかさんは言う。
試練によってふるさとへの愛情を再認識した人々は、支援してくれる人、訪れてくれる人のありがたさが身にしみた。感謝の気持ちが伝わり、村にはリピーターが増えた。
「定住人口」は減っても、「交流人口」によって山古志は新たな活力を得たのである。

間もなく山古志は雪に閉ざされる。3メートルにも及ぶこの地域の雪は、さすがに訪れる人を拒む。しかし、一度この地を訪れた人は、雪解けの春にはまた訪ねたいと思う。そして間違いなく、山古志の人たちは、そんな人たちを温かく迎えてくれる。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:22 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
twitterにURLを送る facebookにURLを送る mixiにURLを送る Googleブックマークに追加 ソーシャルブックマークについて
※NHKサイトを離れます。

閣僚の座のはかなきことよ

2014年10月22日 (水)

2人の閣僚の途中辞任、しかも「女性が輝く社会」を象徴するはずの女性閣僚のダブル辞任だから、安倍政権へのダメージは大きい。だが、そのあたりは現役の政治記者のみなさんの解説に譲るとして、かつて長いこと政治記者をやり、今は少し離れたところから政治を見ている人間として、ふたりの辞任の理由にぼくなりに感ずるところがあった。

経済産業相を辞任した小渕優子氏の父・恵三氏(故人)は飾らない人柄だった。群馬3区という中選挙区時代は、福田赳夫氏(故人)、中曽根康弘氏という同じ自民党の2人の巨頭との戦いを強いられ、自分は「ビルの谷間のラーメン屋」と、自虐的なギャグでよく周りを笑わせていた。得票は当選ぎりぎりという時代も続いたが、当選を重ねるうちに、自分をはさんでいた高い「ビル」と同じ、総理大臣の座にまで上り詰めた。地元の後援会組織は強固なものとなり、途中から福田・中曽根両氏と重ならない小選挙区制に移行したこともあって、土台は盤石となった。

それを引き継いだのが次女の小渕優子氏である。強固な後援会組織のもとで選挙では圧勝を続け、40歳にして2度目の入閣となったのである。だが、そこに落とし穴があった。後援会の帳簿はあまりにずさんなものであり、またしても不透明な「政治とカネ」の関係があぶり出された。
驚いたのは、小渕氏が辞意表明した直後に、地元の群馬県中之条町の町長が辞任を表明したことだった。小渕氏の元秘書だったという町長は、「収支報告の実質的な総責任者は自分。疑惑に関わる説明責任を果たすべく、全力を挙げたい」と述べた。町政を担う責任者であるより、小渕氏への忠誠を誓う元秘書の立場を優先したことにならないか。
「代議士自身は何も知らない」
辞意表明の後、町長は自分の「主」をかばいながら退場した。

支援者の中には、小渕氏の後援会が主催する東京での観劇会を心から楽しみにしていた人もいたという。そうした人たちに便宜を図らい、連携を強めてもらうことだって政治活動かもしれない。「この時代に・・・」と違和感を口にする人もいるだろうが、そこは政治家それぞれであり、ぼくはとやかく言うつもりはない。しかし、カネの支出で説明がつかない以上、最終責任を追う小渕氏の進退問題に発展したのは必然だ。
小渕氏にとって痛恨のできごとだろう。反省とともに、せめて支援者との新しい関係づくりの機会として、仕切り直してはどうか。

一方の松島みどり氏は、地盤も看板もない東京の下町の選挙区に、自民党の公募に応じて立候補した人である。いわゆる「どぶ板」選挙で選挙区をこまめに回り、町内会の盆踊りは大事な政治活動だったろう。そこで配ったうちわが、閣僚の座を降りる引き金になった。
民主党は「うちわは有価物であり、公職選挙法で禁じられた寄付にあたる」として松島氏の告発状を提出した。松島氏は、このうちわをうちわであると認めず、「法律の内容などを印刷し、討議資料として配布したもので寄付には当たらない」と反論している。

なんだか、書いていて空しくなる。
確かに問題のうちわには国会で成立した法律名などが羅列してあって、討議資料だと強弁できなくもない。だが、これをうちわだと認めない日本人はおそらく皆無であり、認めてあげないのは、そもそもうちわに対して失礼である。
一方、うちわを有価物、つまり財産的価値のあるものとして目くじらを立てることの今日的な政治的意義や文明的意義を感じない人もまた多い。公職選挙法上は、普通のビラならば問題はないのだろうが、詭弁を弄せば、これとて集めて燃やせば暖をとるくらいの役には立つわけで、財産的価値はまったくのゼロではない。
松島氏にとっては、うちわの風が閣僚の座を飛ばすほどの突風になってしまった。

いずれにしてもこれでふたりの大臣がやめた。
政治の現場から少し離れてみるようになった元政治記者が、閣僚の命運のはかなさについて感慨に浸る間もなく、政局は、混迷の道に向かう可能性が出てきた。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:20:01 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
twitterにURLを送る facebookにURLを送る mixiにURLを送る Googleブックマークに追加 ソーシャルブックマークについて
※NHKサイトを離れます。

年をとったからといって怒らなくなったらおしまいだ

2014年10月15日 (水)

少々長い表題になった。表題だけで意は尽くされているので、今週のコラムはこれでおしまい。
というわけにもいかないので、決意表明の意味も込めて書こうと思う。

朝起きて、身体がずっしりと重く布団に根が生えたような感覚に陥るとき。
通りを歩いていて、人に追い抜かれてしまうことが増えたなあと感じるとき。
電車に乗り込んで優先席だけにちらほら空席がある場合に、少しためらいながらもその優先席に座ってしまうとき。
年をとったなと思う。

肉体の疲れはまあしかたない。身体を鍛えて抵抗することもある程度は可能だ。
やっかいなのは心の衰えである。

日々の出来事に対して、「まあこんなものさ」と分別臭い顔をしているとき。
解決すべきトラブルを前にして、結局「どちらの言い分も正しい」などとその場をなだめるだけの役割に終始してしまっているとき。
後輩たちを督励するのはいいが、「がんばるのは君たちだ」とばかりに、要は人まかせにしているだけのとき。

そうした態度は、年相応の貫録であるとか余裕であると見られる場合もあるし、年長者にしゃしゃり出てほしくない若い者たちにとっても好都合だ。
でも、自分がもしそうなってしているとしたらと考えると、だんだん腹が立ってきた。

週末、神宮球場に東京六大学野球秋のリーグ戦を見に行った。先週の続きである。お目当ては後輩である東大野球部の連敗脱出だったのだが、それはかなわなかった。しかし、マウンド上で打者と対峙する各チームのエースの奮投を見ながら、だんだん、学生の頃の自分を思い出した。
ぼくはかなり直情径行型の投手だった。うなり声を発してボールを投げていた。悔しくてグラブをたたきつけるなどは日常茶飯事。監督に「冷静になれ!」といつも怒られていたクチだった。だが、闘志はだれにも負けないという自負があった。そんな若いころの自分が首をもたげてきたのである。人の良いじいさんに向かって一直線にひた走る自分がどうにも我慢できなくなってきた。

年相応に、驚きを感じる頻度は少なくなる。物事への「既視感」が、重ねた年の分増えるからだ。しかし、多くの場合、驚かなくなったからと言って物事の本質が変わっているわけではない。その本質が素晴らしいものであればそれに越したことはないが、怒るべきことに怒りを忘れてはならないのだ。

それは日々の自分の周囲の出来事に対しても、仕事として取り組むニュースの本質についてもそうである。キャスターとしては、ニュースに慣れてしまってはならない。既視感に騙されてはいけない。事象のひとつひとつに違った顔があるのだ。想像力を封じ込めてはならない。そして、公憤を忘れないようにしなければならない。

ぼくは幸せ者だ。神宮へ行けば自分の原点を見ることができる。忘れてはならないことを思い起こさせてくれる。
一番怒らなければならないのは、まずは、物分かりがよくなってしまった、ぬるい自分自身に対してである。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:49 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
twitterにURLを送る facebookにURLを送る mixiにURLを送る Googleブックマークに追加 ソーシャルブックマークについて
※NHKサイトを離れます。

ページの一番上へ