キャスター・アナウンサー BLOG

大越健介の現代をみる

いま、映画人として

2014年10月01日 (水)

作品の良さもさることながら、この映画の試写版を見て驚いたのが、吉永小百合さんの野球のうまさである。「吉永さんと野球?おい、そこかよ」と突っ込まれそうだが。
作中、吉永さん演じる悦子と、悦子の喫茶店の常連客(笑福亭鶴瓶さん)がキャッチボールに興じる場面がある。吉永さんの投げ方は、無理なく肘を使ってボールのリリースに至る、まさに理にかなったそれだし、鶴瓶さんの悪送球(失礼!)をさりげなく逆シングルでキャッチしたりもする。

モントリオール世界映画祭で、審査員特別グランプリを受賞した「ふしぎな岬の物語」の中でのひとコマだ。吉永さんにインタビューする機会にめぐまれ、そんな話題を振ってみた。
「練習したんですよ」とはにかみながら言う。そうなのだろうが、ぼくは野球選手だったので、もともと体がスポーツ仕様にできていないとそんなグラブさばきはできないことを知っている。
「わたし、アスリートなんです」とも言う。そちらこそ本音だろう。スポーツ好きなことはつとに有名だし、体を鍛えているからこそ過酷なロケにも耐えられるのに違いない。「本当は男っぽい性格」と本人が言うとおりの、素顔の吉永さんが垣間見える場面でもある。

物語は、主人公・悦子が営む小さな岬の喫茶店を舞台に、訪れるさまざまな人が彼女の懐に抱かれるようにして、心の傷を癒されていくオムニバスである。
吉永さんは「心と心をつなぐ、小さな物語」とこの映画を評した。心と心のつながりとは、何も生きている者だけではない。亡くした大切な人たちとのつながりをモチーフにしているのが作品の特徴だ。吉永さん自身、主演のみならず企画から手がけた意欲作である。

「命をリレーしていくような物語はできないだろうかと思ったんです。亡くなった人が遺族の方たちに力を与えているというか、すごくケアをしているような」
主人公の悦子自身、亡くした夫といつも対話を続ける人である。愛する人を亡くし、傷ついた人たちは、悦子の喫茶店を訪れ、死者が自らの人生を照らしてくれていることに気づき、立ち上がっていく。

東日本大震災というこの国の辛い体験を踏まえ、吉永さんは命の再生の物語を作りたいと願い、原作(森沢明夫著「虹の岬の喫茶店」)と出会った。
「私たちは映画というものしか表現する方法がない。できれば、いま一生懸命生きていらっしゃる方を励ますような作品を作ることが、私たちには、というか私にはとても大事だと思って、今回の作品を選びました」

ぼくは以前、ある作家に聞いた話を思い出した。
「震災直後、文学は無力かもしれない。だが時が過ぎれば、震災に傷んだ人々が、あるいは震災が投げかけた意味を探したいという人々が、いずれ文学を必要とする。だから、自分たちは、自分たちのやり方でこの震災に挑まなければならない」
「文学」を「映画」に置き換えれば吉永さんの話とぴったりと重なる。

「天衣無縫。なんでもパキパキやっちゃう」少女だった吉永さんは、日本の戦後の歩みと軌を一にして銀幕のスターに駆け上がった。挫折も味わったが、再起して演ずる魅力に開眼した。そして、未曾有の災害に遭遇したこの国にあって、「映画人としてできることは何か」と問い続け、今日にいたった。

「もう長いこと映画の仕事をやっていますから、次の世代にバトンタッチしたいという思いもあります。そろそろ引退も近いかもしれません」
そう言って吉永さんは笑った。その一方で自分のこれからをこうも語った。
「川の流れのように流れていって、どこにたどり着くかという感じ。あまり決めたくないんですよね。未来とか過去を考えると、その日がしっかり生きられないような気がするんです」

世の中は、悲しい出来事で満ち満ちている。
週末には行楽シーズンたけなわの御嶽山が噴火し、多くの命を奪った。事件事故や災害。それだけでなく、人間関係の小さなトゲが、思いもよらぬ傷をつけることだってある。
しかし、悲しみから立ち上がる力となるのもまた、人と人との小さなつながりなのだと、吉永さんは演ずることによって訴える。
川の流れのように流されて、吉永さんはきっとまた、どうしてもやりたい役にたどり着くに違いない。この世に癒やしを求める人がいる限り、女優・吉永小百合の存在が色あせることはない。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:17:21 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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セクハラやめて平和を目指そう

2014年09月24日 (水)

セクシャル・ハラスメントは、受ける側がそう感じれば言い逃れはできない。そういうものなのだと、いまやわれわれ企業人は社内教育でそう教えられる。それに対して、おじさんたちのグチをよく聞く。
先週、自民党の東京都議の発言が批判を浴びた。おそらく世のご同輩たちの中には、「世知辛い世の中になった」とため息を吐いた人がいたに違いない。

東京都議会では6月、質問に立った女性議員に議場から「早く結婚した方がいいんじゃないか」とやじが飛び、やじを発した議員が謝罪に追い込まれる失態があった。今回の発言は、この問題をめぐる記者団の質問に対し、男女共同参画について議論する議員連盟の会長を務める自民党都議が述べたものだ。
発言の内容は、「(女性に)『結婚したらどうだ』と、平場だったら私だって言いますよ」というもの。本音がポロリと出た格好である。さらにこの議員は、「議会の会議規則は私生活を論評してはいけないと書いてある。発言者個人に対して公の場で言ったのが問題なのだ」と説明した。

この発言を「セクハラ発言」とするのはいささか乱暴だ。この場合、記者団の質問に対する答えだから、特定の相手に対する発言ではないからだ。だが、発言を聞いた私の職場の女性たちの反応は、一様に「アウト!」だった。セクハラの定義がどうあろうが、女性に対して無神経な発言だとみなカンカンだった。
そんな風圧を感じたのか、議員は翌日、「会長という立場をわきまえず個人的な発言をしたのは不適切だった」と述べた。会長という立場だから?個人的には態度を改めるつもりはないの?と突っ込みたくなるが、陳謝したということでこの問題はとりあえず一件落着となったのである。

ぼく自身、世の中の動きの速さに戸惑うおじさんのひとりではあるが、やはりこの都議の発言はアウトだと思う。この人の周囲で、「結婚したらどうだ」と言われた女性たちのすべてが、「この方のおっしゃることなら全然気にならないわ」などと微笑みを浮かべている様子はなかなか思い浮かばない。何割かは不愉快な思い、傷つく思いをしているに違いないし、であれば、その瞬間にセクハラと言われても仕方がないのである。

セクハラやパワハラ(パワー・ハラスメント)の根底にあるのは、差別感情にほかならない。おじさんたちからすれば、女性、とりわけ自分より若い女性を見下す感情があるからこそ、セクハラ発言や行為が出てくるのだと言える。どんな人であっても、ひとりの人間として相手をリスペクトする気持ちがあれば、無礼な言動は出てこないはずなのだ。

たまたま、韓国・インチョンで開かれているアジア大会のキャッチフレーズを目にした。
「Diversity shines here.」
多様性はここで輝く、とでも訳そうか。ひとりひとりの多様性が認められる社会とは、すなわち、偏狭な差別意識を脱した社会である。そうした社会を真剣に目指さない限り、子や孫の世代に平和な世界を引き継げない。

「そんな大層な・・・」。
世知辛い世の中を嫌うおじさんたちは苦笑いするかもしれない。だが、ぼくは事の本質はかなり根深いと思っている。逆に言えば、心ないセクハラ発言をなくすことは、平和な世界を作る第一歩にほかならないのだと、ぼくは大まじめに考えている。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:19:45 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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朝日新聞報道で考えたこと

2014年09月17日 (水)

9月11日(先週木曜日)に行われた朝日新聞社・木村伊量社長の記者会見を、同じ報道にたずさわる人間として、厳粛な気持ちで聞いていた。そして、朝日新聞が東京電力・福島第一原子力発電所の元所長の、いわゆる「吉田調書」をめぐる記事を取り消さざるを得なかった問題で、われわれが着目し、肝に銘ずべきことは何かを自分なりに考えた。

行きついた結論は、われわれ報道機関は、事実に対して謙虚であることを決して忘れてはならないということだ。報道が巻き込む関係者や社会への影響を考えれば、「人間だから誰しも間違いはある」という言いわけでは到底済まされないことがある。

朝日新聞は、吉田元所長が政府の事故調による聞き取りに対して行った証言を5月にスクープ記事で報じた。その中では、「第一原発にいた所員の9割にあたる650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の2F・第二原発に撤退していた」とし、吉田氏の「本当は私、福島第二に行けと言っていないんですよ」という調書の部分を掲載した。
だが、調書の全体を読むと、吉田氏には命令違反との認識はなく、「よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思った」との言葉もあった。吉田氏の追想では、現場の判断を了とし、命令違反とは認識していなかったことが明らかになったのである。
朝日の記者はこれを読み違えて記事を掲載したわけで、木村社長は「取材が不十分で、所長の発言への評価が誤っていた」と述べた。

報道機関が独自に資料を入手して記事にしようとする行為自体は間違っていない。スクープを入手できれば、それは記者冥利に尽きる瞬間でもある。だが・・・。
「紙を取って(資料を入手して)舞い上がり、きちんとした読み解きを怠ったのかもしれない」。知り合いの新聞記者は、そんなふうに振り返ったが、事はそれで済まされるものではない。

記者は自分が知り得た事実におそれを抱き、謙虚であるべきだ。
事実が持つ意味合いは、全体像の中で測られる。座標の中に正確にプロットされてはじめて客観的な意味を付与される。逆に言えば、その作業を経なければ、こわくて記事になどできないという感覚を持って当然なのだと思う。
それなのに朝日の記事は、片言隻句に目を奪われ、調書の全体を読み解く十分な努力をしないまま、プロットする座標上の位置を過った。結果として、亡くなった吉田氏の墓前に顔向けができない結果となった。
ただ、この一件は「あの朝日が誤報をやらかした」とあげつらい、バッシングして済ませばいいというものではない。その危険はどの報道機関にも共通するものであることを、われわれは胸に刻む必要がある。重要な情報であればあるほど、事実関係の確認と、正確な評価に務める努力を怠るわけにはいかないのである。

また、事実を取り違えているのではないかとの指摘に対して、速やかに対応できなかったのも今回の反省点と言える。決断に時間がかかり、機敏に対応をとることができない「大企業病」特有の症状ともいえるし、大切にすべきは読者(あるいは視聴者)であるという基本が忘れられていたと言われても仕方ない。

重ねて。
われわれ報道機関が持つ強大な力に対しては、それを構成するわれわれ自身が居住まいを正し、謙虚でなければならないのだ。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:37 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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ホヤにホレて

2014年09月10日 (水)

三陸の海を煌々と照らす満月にいざなわれるようにして、船は石巻・谷川浜の港を出た。
漁師の渥美克之さんに初めて会ったのは3年と少し前。津波ですべてを流されて間もないときだった。渥美さんは、打ち上げられたブイの片付けや、漁の再開に向けて網を縫う作業を淡々とこなしていた。

その別れ際、渥美さんはぼくにこう言った。
「3年経ったらまたホヤがとれる。そのときにまた来なよ。とれたてのホヤは、最高だぞ」
その後、養殖の筏を再建し、ホヤの幼生を育てた。念願の3年目。身のつき具合はまずまずだという。

月明かりの中を船は進み、10分程度で養殖の場所に着く。この辺りではホヤだけでなく、ホタテの養殖も盛んだ。途中、たくさんの仲間たちの船と行き交う。
渥美さんのこの日の作業は、まずホタテの収穫から。ウィンチで引っ張ると、人の手のひらほどのホタテが豪快に揚がってくる。
「きょうの出荷は400キロ!」
長男の敏樹さんとの息のあった作業で、50キロ箱8個分が瞬く間にいっぱいになる。

そのうちのひとつの身をはずし、無造作に手渡してくれた。爽快な歯触りと、海水の塩分が引き立てるほのかな甘み。文句なしにうまい。

この日は本来、ホヤの収穫はしない日だった。でも、3年ぶりの客が一番喜ぶことを渥美さんは知っている。船を移動させ、特別にホヤを引き上げてくれた。
カキ殻を株にして旺盛に育ち、バスケットボールほどの大きさになったホヤのかたまりが、数珠つなぎになって目の前に現れる。海のパイナップルとも言われるホヤ。その形において「なるほど」と納得する。だが、それからしばらくして、パイナップルと言われるもうひとつのわけに納得することになる。

ホヤを食べたことは今までだってある。居酒屋メニューに珍味としてラインナップされたホヤの味は、独特の酸味があって酒のつまみにいい。でもクセのある味を好まない人も多い。

ところが、紅色の厚い皮を割って取り出してくれた身を、海水でざっと洗って食したその味は、今まで経験したことのない衝撃だった。言葉を失った。
ほのかな酸味。やがて豊かな甘みが口の中に広がる。フルーツを思わせるその甘みは、食べてのち、実に数時間にわたって残っていた。
にやり、と渥美さんが笑う。「三陸の海の恵みを思い知ったか」とでも言いたげだ。
港を出るときには月明かりだったのが、もう辺りは朝焼けである。

「じゃあ、帰るよ」
オレンジ色の太陽が昇ってきた。押しかけた食いしん坊に最高のもてなしをしてくれた寡黙な漁師。朝日を背負って船を操る渥美さんは、最高にかっこよかった。
「かなわない」と、ぼくは思った。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:22:43 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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人事は万事だ

2014年09月03日 (水)

長い間政治記者をやってきたので、こういうときに血が騒ぐ。実に久しぶりの内閣改造・自民党役員人事である。

新聞などによっては、多少の間違いもご愛嬌とばかり、「飛ばし」記事を連発するところがないわけではないが、わが社はその任にない。早く、しかも正確に人事情報を伝えていくことが使命である。

改造前日のきのう(2日)、人事の調整は最終段階に入っていた。それまでの取材によって新内閣、新役員の陣容のかなりの部分が明らかになっていたが、焦点である自民党の新幹事長の情報がなかなか上がってこない。夜になっても表向き、動きは停滞している。

政治の動きが見えない中、番組としては、その日の一番めでたいニュースをトップ項目に据えて準備していた。国民的女優の吉永小百合さんが、主演だけでなく自ら初めてプロデュースした映画「ふしぎな岬の物語」が、モントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリを獲得した。

だが、放送開始直前になって、政治部デスクの周りがにわかにあわただしくなってきた。自民党幹事長内定の一報を「打てる」かもしれないという。デスクと現場の記者が、目を血走らせるようにして電話のやり取りをしている。
もし「打てる」なら、吉永さんには申し訳ないが、間違いなくトップニュースは入れ替えである。

放送2分前、そして1分前。政治部デスクは依然緊迫したままだ。この時点ではまだ「打つ」判断に至っていない。もうスタジオに入らなければならない。
わがニュースウオッチ9は、スタジオでなくトップニュースのVTRからいきなり放送に入るのがオーソドックスなスタイルだ。その段階では、トップを吉永さんのVTRで行く従来方針で進めることにする。

スタジオでマイクを取り付け、いざ本番である。すると放送開始20秒前、フロアディレクターが送出サイドから連絡を受け、そして叫んだ。
「番組はスタジオから入ります!」
冒頭、スタジオで突っ込みのニュースを入れるということである。つまり、幹事長内定を「打つ」判断をしたのだ。
新幹事長には谷垣禎一法務大臣。サプライズ人事だった。番組冒頭でニュース速報を出し、一報を何度も繰り返した。

政治部記者だったころの緊張がよみがえる。
永田町を走り回っていた頃、人事取材は必死だった。人の配置は、組織の命運を握るものだ。それが、国政に携わる人事となれば、政権の命運だけでなく国家の命運を左右する。現役の政治部記者は、日ごろ取材対象に食い込んだ成果の発揮のしどころと、全力で情報を集めるのだ。現場の担当記者は、自分がウラを取った情報が番組で流れるところを、食い入るように見つめているだろう。

谷垣氏は、安倍総理らが総裁選に名乗りを上げたおととし、続投を断念した先代の自民党総裁である。総裁経験者が幹事長として復活するのは異例中の異例だ。急きょ、スタジオに政治部のベテラン記者に入ってもらい。谷垣氏起用の背景を聞く。
タカ派色の強いとされる安倍政権にあって穏健派を幹事長に起用することの党内融和の意味合い。谷垣氏の中国とのパイプへの期待。そして何より、自民党総裁を務めながら総理大臣にならなかった谷垣氏が、ふたたび中央に返り咲くことへの党内の静かな支持。
いずれも納得のいく説明である。

こうした人事のたびに、こちらもいろいろな予想をしてみるのだが、さすがに誰よりも人事を考えているのは当の人事権者だ。この場合は安倍総理大臣である。ウーンとうならせる人事をするものだ。
だが、怖いのもまた人事である。人事が動くと組織が動く。国が正しい方向へと進むかどうかは、今度は組織が人を「生かす」ことができるかどうかにかかっている。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:17:36 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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気高い心

2014年08月27日 (水)

しつこい雨雲もこの日はようやく遠のき、スコップなどを手にした住民たちが、土砂に浸かった自宅の後片付けに汗を流している。坂の上の方、家が跡形もなく流されたあたりに目をやると、自衛隊員や警察官たちが黙々と行方不明者の捜索活動にあたっている。ようやく重機も入るようになったとはいえ、破壊された家は痛々しい姿をさらし、路地という路地で、押し寄せた土砂と木々の残骸が行く手をふさいでいる。

広島市を襲った大規模土砂災害から1週間。激しい被害を受けた安佐南区の八木地区を訪ねた。目に飛び込む深い傷あととともに、5感を刺激したのがかすかな臭いだった。土砂や木々が発するのだろうか、どこかかび臭いような、あるいは閉じ込められた生活臭とでもういうのだろうか。画面を通じてだけでは決してわからない現場実感である。

27日現在で71人が死亡、15人が行方不明となっている大災害。なおも続く悪天候が捜索活動を阻み、現場ではいらだちが募る。だがそんな中にあっても、今回取材で話を聞くことができた人たちは誰もが、何もそこまでと思うくらい、他者への思いやりにあふれていた。

自宅の車庫から懸命に泥をかき出していた男性。車輪の上まで泥につかった愛車は、ようやく全身を現すところまできたが、被災時に濁流と化した自宅前の道路はおびただしい量の泥が堆積したままだ。車庫とは実に50センチメートル近い段差ができている。

「これじゃ、クルマも出せんわ」と苦笑い。だが、
「この地区には亡くなった人も、行方不明となっている人も多い。この泥を何とかしてほしいとは思うが、捜索が優先なのはわかっている。自分たちはまだいい方だから、できることは自分でしなければ」と言う。

このように「自分たちはまだいい方」という言葉を何人から聞いただろう。
災害後、息子宅に身を寄せているという85歳と78歳の老夫婦は、かろうじて土砂に巻き込まれずに助かったが、近隣の家からは犠牲者も出た。胸まで泥に浸かって命からが脱出した隣人の話を、声を詰まらせながら語ってくれた。
「避難指示も一段落したら、できるだけ早く家に帰ります。ご近所はウチよりひどい被害の人ばかり。後片づけに来る人たちもたくさんいるでしょうから、ウチによって休んでほしい。茶のみ話でもしていってほしい。被害が少なかった自分たちは、それくらいしかできませんから」

この老夫婦とて自宅は傷み、いつ帰ることができるか先の見えない不安の中にいる。それなのに、よりダメージが大きかったご近所の人たちのことを思い、涙を流す。ぼくは大きく心を動かされた。
同じ経験を思い出した。東日本大震災である。あのときも、自分はさておき、他者のことに心を痛める被災者とどれほど出会ったことか。人間とは、こうも気高い存在でいられることを知り、むしろこちらの方がどれほど励まされたことか。

駆け足の取材を終え、広島空港に向かって高速に乗った。悲惨な災害の中にも、人の強さと優しさを見、少し救われた思いだった。
すると、取材中はほとんど心配することのなかった雨雲が、突如活発に動き出し、強い雨が降り出した。車のワイパーがせわしなく動く。土砂災害の現場ではどうしているだろうか。また捜索が中断してはいないだろうかと心配になる。

自然は、かくも容赦なく牙をむき、思いもしない試練を人々に与えるのだ。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:19:03 | 固定リンク
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油断できない夏

2014年08月20日 (水)

「ホクシンエツ?なんすか、それ」
九州出身の友人が、いかにも関心なさそうに言う。
「ホクシンエツ、ていうのはね、新潟、長野、富山、石川、福井の5県のことでね、春のセンバツ甲子園では、この5県から、だいたい2校が選ばれるんだけどさ、でもそれって少なすぎるようにオレには思えるんだよ。でも、最近では新潟の日本文理も夏の甲子園で準優勝したし、あの松井秀喜は石川の星稜の出身だし、古くはセンバツで福井商業が準優勝したし、云々かんぬん・・・」

「ふうん」とか言いながら、もう相手は関心がなさそうだ。
「ところで、新潟は北陸なんすか?」
まったく、これだから西日本の人間は。
「少なくとも、ぼくのような新潟出身の人間の多くは、北陸に入っているとは考えていないと思う。電力会社も東北電力だし」
「コウシンエツ、っていうのとはちがうんすか?」
「甲信越の甲は山梨のことで、新潟、長野、山梨をまとめるときは甲信越なんだよ」
「なんか、わけわかんないっす。中部地方じゃだめなんすか?」
「中部地方って言うと、愛知とか岐阜とかのイメージが強いかなあ。新潟も入るような気はするけど」
「はあ、わかりました。もういいっす」

こっちだって、いいよ、もう。
とにかく、ぼくが声を大にして言いたいのは、高校野球の世界では比較的目立たなかったこの北信越5県の代表校が、夏の甲子園で全部そろって初戦を突破したということである。これは、おそらく有史以来の快挙である。
「西高東低」と言われ続けた高校野球。だが雪国のハンディ、などと言われたのはもう昔の話。北信越のみならず、東北や北海道勢の充実が目立つ大会でもある。

「関東や関西からの野球留学組も多いんじゃないの?」と疑問を投げかける向きもある。いいではないか。どこで生まれ育とうとも、貴重な高校時代をその土地で過ごした子は、十分に地元の子である。関西弁バリバリの北国人、実にめでたい話である。

1週間のお盆休みをもらい、これと言ってすることもなかったぼくはひたすらテレビの高校野球を見続けた。家人にとってはとんだ粗大ゴミだが、郷里の新潟を含む北国勢の活躍には、粗大ごみと化したぼくは大いに心を弾ませたのである。

だが・・・。十分に休養を取りながらも、ことしの夏は気の抜けない夏だと思っていた。梅雨空のもとでの地方大会ならともかく、盛夏に開幕する甲子園は雨のために日程が大きくずれることが少なかった。しかし今年は異変があった。開会式の日から、台風のためにいきなり2日間の順延となった。
熱戦が始まってからも、たとえば猛烈な雨に見舞われた京都からは、アスファルトの路面がめくりあがって水が噴き出す衝撃的なニュースが伝えられた。空の底が抜けたようにして牙をむく自然の脅威に不安を覚えることがしばしばだった。

そして、広島では未曾有とも言える土砂崩れが発生した。突然襲ってきた深夜の猛烈な雨は、住民に逃げるいとまを与えず、多くの人命が奪われた。発生から半日以上が経過したいまも、被害の全貌はつかみきれない。

夏休みを終えて仕事に復帰した今週、ぼくのデスクの上のテレビは高校野球を映し出していた。しかし、さすがにきょうは土砂災害を伝える各局の報道にくぎづけである。

今回の災害で亡くなった方々のご冥福を心からお祈りし、被災された方々にお見舞いを申し上げます。そして、痛ましい犠牲がこれ以上出ることのないように、防災と減災のための情報をしっかりと発信し続けたいと思っています。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:43 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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握手の意味

2014年08月06日 (水)

彼女とはこれまでインタビューなどで3回お会いしたが、別れ際に必ずしっかり両手でこちらの手を握ってくれる。21歳の掌は、その華奢な姿にふさわしくたおやかだが、その力は思いのほか強く、そしてあたたかい。

山下弘子さん。大阪市に家族とともに住む大学生だ。よく笑う、どこででも見かけそうなお嬢さんだが、実は彼女は末期のがんと診断されている。19歳の時、胸の痛みを覚えて受診すると、肝臓に大きながんがあることがわかった。すぐに切除したが、やがて肺などへの転移が見つかった。以後、手術と入退院を繰り返している。

「見つかったがんはとても大きなもので、余命は半年と宣告されました。何が何だかわからない状態で手術に臨み、肝臓のがんを切除。実はそのときは転移も見あたらず、一度はがんを克服したと思っていました。だから、転移が見つかったときの方が、実はショックが大きく、心からの恐怖を覚えました」
彼女はそう振り返る。

だが彼女はその後、驚くべき行動力を見せる。ブログで自らのがんとの戦いを発信し始めると、大きな反響を呼んだ。学校での講演会の話が舞い込み、そちらも精力的にこなす。反響はさらに大きくなり、彼女はそれに呼応してさらに各地を飛び回り、命の尊さを訴える。

彼女の言う「命の尊さ」とは何か。それをぼくが解釈してみせるようなまねはよそう。彼女のブログを検索して読んでいただければいい。この場では、ぼくが彼女との対話の中でもっとも印象に残った言葉をお伝えする。
それは、「誰だって、あすの命を保証されている人などいない」というものだ。考えてみれば当たり前のことかもしれない。しかし、余命宣告を受けた彼女の言葉は、ぼくには重く響いた。彼女は続けた。
「だからこそ、きょうという日を大切に生きなければならない。その意味では、がん患者の私もそれ以外の人も、同じことだと思いませんか」

ある中学校での講演で、わかりやすい事例を引いて彼女は訴えた。
「けさ、みなさんはお父さんやお母さんに、気持ちよく『行ってきます』と言って家を出てきましたか?ケンカや気まずい思いをしたままになっている友だちはいませんか?もしそれが最後になってしまったら、それほど残念なことはありませんよね」

彼女の言葉を聞いてから、ぼくは自分の日常を考え直すようになった。「これが最後だと知っていたなら、自分が取った行動は正しいと言えるだろうか」と自問自答するようになった。30歳も年下の彼女に動かされたのだ。

彼女は、当初の余命宣告を越えて元気いっぱいに生きている。がん患者をサポートするための法人を立ち上げることはできないだろうかと思案する毎日だ。がんが悪化する隙を与えまいとするかのように、彼女は積極的に身体を動かし、頭を回転させている。

それでもふと涙ぐむときがある。支えてくれる人たちの話題になったときだ。
「もう死んでいいんだよ、と言われたならば、自分はきっと安らかに死んでいけるような気がします。でもありがたいことに、そんなことは誰も許してくれません。家族や友だちが悲しむ顔だけは見たくありません。だから、死ねないんです」

「強い人」ではあるが、彼女自身が認めるように、弱さだって恐怖だって抱えている。かといって、彼女のような生き方を誰もができるとは思えない。
いろいろ考えてみるが、彼女を形容するのにふさわしい言葉は見つからない。

「別れ際、ほほえみとともに、必ず相手の手をしっかりと握るひと。また会いたいと思わせる何かを持った人。」
山下弘子さんとはどういう人かと聞かれたら、それがぼくにできる精いっぱいの答えである。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:22:39 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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一極集中の罪

2014年07月30日 (水)

この週末、所用で山形県の鶴岡、酒田の両市を訪ねる機会があった。
庄内空港まで飛行機で向かう方法もあるが、新潟育ちのぼくとしては、多少時間はかかっても郷里を眺めて行きたいと、東京から新潟経由で新幹線と在来線を乗り継ぎ、まずは鶴岡までという行程を選ぶ。

新幹線は越後平野に入ると広大な田んぼを見下ろしながら駆け抜ける。間もなく穂をつける生育盛んな緑の稲は、風に吹かれて波のようにうねり、ふるさとに帰ってきたことを実感する。そして新潟から乗り換えた特急は、その名も「いなほ」号という。
村上を過ぎて山形県境に差し掛かるあたりから、左の車窓には荒れた日本海が広がり始める。ちょうど雲が広がって雨が降り出し、海は空の色を映して鉛色である。鮮やかな青とは違う独特の色合いをなつかしく思うのは、この地方で育った人間ならではの感情だろう。

鶴岡で用事を済ませて各駅停車で酒田に向かうと、これまた見事な庄内平野の田んぼが広がった。新潟の人は、足しげく東京には往復するが、北どなりの山形に行く機会はそれに比べれば少ない。ぼくも例外ではなく、広大な穀倉地帯を見ながら、強大な隣県の存在感に今さらながら驚き、「おぬし、やるな」と、同じ米どころとしてのライバル心なんぞを勝手に燃やしたりしている。

酒田では、大学の野球部で同期だった友人と飲んだ。山形県出身の彼は、いまある会社の酒田営業所長をしていて、ふるさとに恩返しする気持ちで仕事に励んでいる。
「豊かだろ、このあたりは」
友人は少々自慢げに語る。確かに米も野菜も魚も、そして酒もうまい。冬の厳しさはいかんともしがたいが、豊富な雪解け水は春の大地を潤し、秋の実りをもたらす。
だが、杯を重ねるうちに友人はしんみりした口調になった。
「これだけ豊かなのだから、この土地はたくさんの人を養うことができる。事実、昔は農産物が豊かなところほど人口が多いというのが当たり前だった。ところが、何十年か経つと、この山形も消滅する市町村が続出するかもしれないんだよ」

彼の指摘には思い当たるところがあった。民間の学者などで作る「日本創成会議」が5月に提出した報告を、ぼくの番組でも紹介したことがある。2040年には、全国の896の自治体で20代から30代の女性の数が半減し、こうした自治体は、最終的には消滅する可能性があると指摘している。
報告によれば、山形県でも全自治体の半数以上がこうした「消滅可能性自治体」にあたる。わが郷里の新潟にしても傾向に大きな差はない。なんともやるせない気分になった。
原因は少子化にほかならない。そこに都市への人口集中が拍車をかけている。窮屈な都市部では出生率が地方よりも低い傾向にあり、少子化の悪循環を生んでいる。

したたかに飲んで、翌日同じルートで帰路についた。浮かれた気分だった往路と違い、景色も幾分沈んで見える。さびれて使われなくなった駅のホームがやたらと長い。引き込み線の線路は、すっかり夏草に覆われ、最後に使われたのがいつかを想像するのも難しい。
ところが、新潟で新幹線に乗り換えると、気分はもう東京人になってしまう自分が悲しい。

ぼくもまた、高校を卒業して当然のようにして東京にやってきたひとりだ。東京一極集中をもたらした当事者のひとりなのだ。今や東京暮らしの方が長くなり、ふるさとにとっては、しょせんはすっかりよそ者なのかもしれない。

もうじき53歳になる。これからはちょくちょくふるさとに帰りたいと思う。地方の活性化に寄与したいとか、面倒なことを言うつもりはない。ただ、自分のルーツを忘れないために。そしてふるさとに自分を忘れられないように。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:19:35 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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Gゼロの時代がやってきた

2014年07月23日 (水)

お金もあれば友だちもそれなりにいるけれど、どこかいつも不安げで、腕力の強い兄貴分に頼りがち。皮肉な見方をすればそれが日本であり、「腕力の強い兄貴分」とはアメリカのことだ。ところが頼りにしてきたその兄貴分が、「なんだか疲れちゃってさ。ちょっと休ませて」と言ったとしたら・・・。
例えがあまりよろしくないのは承知している。でも、今度のアメリカ取材では、そんな光景がしきりに頭に浮かんだ。

ぼくがワシントン支局の一員として赴任したのは2005年の夏のこと。時のブッシュ政権は、世界の悪者をやっつけるのだとばかりに、ブンブンと太い腕を振り回している感があった。自分流の「正義」を信じて突き進む青年のようなアメリカ。だが、それをはた迷惑と感じる国は少なくなく、ケンカに突き進んだ結果として、アメリカ自身も深手を負った。多くのアメリカ兵がイラクで、あるいはアフガニスタンで若い命を落とした。アメリカが「世界の警察官」を自称していたのはこの頃である。

それから10年近い月日が流れ、ぼくは帰国して今の番組の仕事をしている。久々のアメリカ取材にやってきて、さまざまな人々にインタビューをして感じることは、「世界の警察官」であることをやめ、少し休ませてほしいと息を切らせているアメリカの姿である。

多くの犠牲を払って「民主主義」を根付かせたはずのイラクでは、宗派間の対立と過激派によるテロが再燃している。中東は頭痛の種が尽きない。アメリカの同盟国イスラエルと、イスラム原理主義組織・ハマスとの戦闘は激化し、イスラエルの肩入れをせざるを得ないアメリカは、公平な仲介者としての資格を欠く。
そして、冷戦時代の対立を乗り越えて、協力しあえる仲となったはずのロシアは、ウクライナ問題をめぐって公然と欧米に異議を唱え、譲る気配がない。

多方面で手詰まりになっているアメリカ。「世界の警察官」であり続けるだけの気力を失ったとしても不思議ではない。そんな時代の空気を先読みしたのが、アメリカの国際政治アナリスト、イアン・ブレマー氏だ。その著書「『Gゼロ』後の世界」は、軍事力も経済力も超大国であることは変わらないものの、アメリカがリーダーシップを発揮する意欲を失い、世界が漂流する姿を描いた問題作だ。
きのう(22日)、ニューヨークのオフィスでインタビューに応じたブレマー氏は、「Gゼロの時代は、予測したより早くやってきましたね」と淡々と語った。

今後、世界が向かう方向は見通しにくい。圧倒的なリーダーと言われたアメリカが「休養」から明ける時がくるかどうかはわからないし、経済力ではいずれアメリカをしのぐだろうと言われる中国も、世界のリーダーとしての信任を得るにはほど遠い。中東情勢はますます混沌としているし、ヨーロッパも、EU加盟各国の足並みがそろうかどうかも不透明だ。

もちろんのこと、日本もそんな「Gゼロ」の時代に生きている。経済には復調の兆しが見え、ともに前進しようという機運の高まりがあるものの、安全保障政策ではとてもひとつの方向にまとまっているとは言えないのがこの国だ。これからも、国として進む道はどうあるべきか、議論は尽きないだろう。
ただ、その際に忘れてはならないのが、頼りになるはずの兄貴分は、疲れて養生が必要な状態にあるという現実だ。隣人として大切な関係であることに変わりはないが、お節介なほどにこちらを守ってくれると思い込むべきではない。

国際社会のリアリティは、そこにある。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:17:28 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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