キャスター・アナウンサー BLOG

大越健介の現代をみる

じーじの仕事

2015年03月25日 (水)

実は、去年の12月に「じーじ」になりました。
「おじいちゃん」でも「じいさん」でも「ジジィ」でも、はたまた「グランパ」でもない。孫ができた自分はなんとなく「じーじ」という呼び名がしっくりくるので、ここではそうさせていただきます。はい。

何ごとにもせっかちというか、生き急いでいるとでも申しましょうか。
長男が生まれたのはぼくが25歳の時でした。その長男もわりと早くに結婚し、おかげさまで女の子に恵まれました。その結果、ぼくは53歳で「じーじ」となったのです。

ところがこの「じーじ」は、ろくに孫の顔も見ずにあちこち飛び回っていてばかり。特にこの年末からは、ほとんど休みなしで取材とリポートに走り続ける毎日でした。
長男一家の住まいは、ぼくの家から比較的近いところにあるにもかかわらず、孫と対面したのは、合わせてもほんの数時間に過ぎません。お正月も出張。お宮参りもひなまつりも付き合ってあげられませんでした。なんとまあ薄情な「じーじ」でしょう。ごめんね。

5年前にニュースウオッチ9のキャスターになってから、ぼくはだんだんとこの仕事にハマっていきました。各地に出かけ、さまざまな人たちと会い、五感を働かせる仕事。そうしてニュースの核心に迫り、自らの言葉で語るこの仕事に。
自分の任期切れが近いことを知ればなおのこと、仕事が愛おしくてたまらず、つい「じーじ」の仕事を(さらに言えば「夫」の仕事も)放棄するようなことになってしまったのです。

身体はしんどくても、こころは幸せでした。
人間の営みは複雑です。簡単な取材などありません。その都度、自分の取材力の至らなさを思い知らされます。でも、取材対象になんとか刺さり、核心の一部を切り取ろうとする仕事は、ぼくにとっては尊く、やりがいに満ちたものでした。

NHKの報道は、週刊誌などによればずいぶんと窮屈なように言われていますが、実はとても自由度が高く、多種多様なチャレンジができる場です。
ぼくはニュースの前後に、できるだけコメントを発するようにしていました。視聴者のみなさんとともにその意味を共有し、問題を提起するためです。
「公共放送にはこの程度までしか言えない」のではなく、「公共放送だからこそ言うべきことがある」という気構えで言葉を紡いできたつもりです。そして今、そのことに悔いはありません。

これまで叱咤激励をいただいた視聴者のみなさまには、心から感謝しています。連日お便りをいただくのですが、お返事を差し上げるのがなかなか追いつかないことをお許し下さい。そして本当に、ありがとうございました。

全力でラストスパートをかけるぼくを、家族はとても優しく見守ってくれました。
古くなったわが家の浴室は、タイルがあちこちで剥げてしまい、修繕が必要です。「こういうのはオレの仕事。ちゃんとやるから」と言いながらほったらかしのぼくを、妻は責めるでもなく、見ないふりをして気長に待ってくれています。
初孫なのに顔すら見に来ない「じーじ」ですが、そんなぼくを、父親である長男は「最後の番組を終えたら、家族みんなで慰労会をするぞ」と、弟たちに声をかけてくれています。これからの自分はよき家庭人であらねば、と思うきょうこの頃です。

でも、この「じーじ」はちょっとあきらめが悪いのです。
だって・・・。
「じーじ」になってまだ3か月あまり。孫娘はまだぼくをちゃんと認識できていないはずです。彼女がもう少し成長したときに、「じーじって、若いね。かっこいいね」と思ってもらえる存在でありたい。そしていずれ、画面に復活したぼくに「じーじ!」と呼びかけてくれる日が来るとすれば、どんなに嬉しいことか。

ちょっと欲張りかもしれませんね。でも、そんなことを夢見ながら、ぼくはまだまだ青臭く、NHK報道に携わっていきたいと考えています。
それがぼくなりの「じーじの仕事」なのです。(終わり)

4年余りにわたって、毎週水曜日に掲載してきた大越健介キャスターのコラム「現代(いま)をみる」は、今回をもって終了します。長い間、ご愛読ありがとうございました。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:15:34 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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常とう句との戦いだ 

2015年03月18日 (水)

「スキーヤーたちがゲレンデに思い思いのシュプールを描いていました」
新人記者の頃、研修所の教官から「使うべきでない」と指摘された文例である。文法的に間違っているわけではないが、「常とう句」の典型だというのである。

冬の季節ネタのニュース原稿に、当時、必ずと言っていいほどこの「思い思いのシュプール」が出てきたことに、教官はよほどウンザリしていたのだろう。その時の教育の成果か、少なくともぼくは記者生活の中でこのフレーズを使うことはなかったと思う。一方で、この文章を最初にしたためた人が、優れた文才の持ち主であることは認めないわけにいかないが。

同様の例はほかにもある。
たとえば「無言の帰宅をしました」という言葉。不慮の事故などで命を落とした人の棺が自宅に運ばれたときの様子を表すのに、今でもたまにニュースで聞くことがある。これも過不足ない表現とは言えるだろう。しかし、常とう的な言い方と気づきながら使っているとしたら問題だ。安直なその姿勢は、亡くなった方に対して失礼でもある。

「常とう句」に逃げることなく、ぼくたちは常に、その状況に最も適した言葉を選んでいるだろうか。そのことを深く反省させられたのが、東日本大震災から4年となった先週のあるインタビューだった。

震災から4年。記憶とどう向き合い、教訓をどう生かすかは現在進行形の問題だ。だが、年月の経過によってその問題意識は薄れていく。そのことについて映画監督の岩井俊二さんの考えを聞いたときのことだ。岩井さんはNHKの震災復興支援ソング「花は咲く」の作詞者でもある。岩井さんは、静かに言った。
「風化という言葉に違和感があります」。

岩井さんは続けた。
「振り返ってこの4年間、日本も世界も、こと日本人にとって311からの副作用でいろいろなことが起きています。東京オリンピックを見据えて前に向いていこうとか、じつはそうしたことも311を起点にしているのではないでしょうか」。

はっとした。ぼくたちは、震災を忘れてはいけないと訴えたいがあまり、すべてを十把一絡げにして「風化しつつある」、「風化させてはならない」と、この言葉を声高に使いすぎてこなかったか。

同じ趣旨のことを、政治学者の姜尚中さんも指摘した。いまも震災の被害を受けた地域と、全国を結ぶ活動をしている人が少なくないことに触れて、こう述べた。
「必ずしも風化とか、流砂のように消えていったのではなく、霜が降りるように人々の意識の中に定着したのではないでしょうか。決して風化でも忘却でもない。地道に長く、地下水のように継承されていく。そんな意識のトリクルダウンが起き、湧水となって出てきているのだと思います」

あの震災への関心をすっかり失ってしまったという人は、残念ながら少なくないのかもしれない。だから「風化」させてはいけないと訴えることには意味がある。しかし、だからと言って「風化」という言葉が万能であるかのようにして使うのは、ときに適切を欠く。

常とう句に逃げることは、現状についての認識を深める作業を、途中で止めてしまうことにほかならない。より的確な言葉を探る姿勢を持つことは、報道を職業とする人間にとっての大事なモラルと言っても過言ではないのだ。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:22:16 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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ゆるやかではあっても

2015年03月11日 (水)

ニュース番組なのだから、その日に起きたことを取り扱うのが本筋だ。一方で、続けることが大事な報道もある。動きは緩慢であっても、動きがある以上は、時々せき止めるようにして変化を捉えていく姿勢を持つべきだ。

東日本大震災から4年である。
震災後の復興や人々の悲しみがどう移ろったかを、番組ではことしも分厚く取り上げている。人間は(特に日本人は、と言うべきかもしれない)時間の節目を大事にする。この時期、多くの人々があの日に思いを致す。人々の関心が被災地に向くこのときは、報道機関にとって、あらためて震災を真摯に見つめるべきタイミングだ。

週末、岩手県の大槌町から釜石市、陸前高田市、宮城県の気仙沼市、南三陸町という三陸海岸沿いのまちを訪ね歩いた。緩慢な動きの中にも、変化はある。

津波にさらわれた沿岸部は、かさ上げのためにそこかしこに盛土がしてある。作りかけのピラミッドのような巨大な盛土は、思えば、随分とあたりの景観を変えている。
陸前高田では、津波にも倒れなかった「奇跡の一本松」と再会した。人工の樹脂を注入した復活のモニュメントはあまりに有名だ。その一本松の存在感をも、しばしご遠慮願うというふうに、土を運ぶための巨大なベルトコンベアが地上高く張り巡らされている。沿岸一帯がまるで近未来の工場のようだ。

釜石では、三陸鉄道の南リアス線が、トコトコと高架の上を走るのに遭遇した。前に来た時にはこの線は運転再開のめどが立っていなかった。車体はおしゃれに塗装が施され、観光客の笑顔が見える。

だが、「変化をせき止めて見る」などという第三者のぼくのような立場と違い、地域の住民にとっては、むしろ「何も変わっていない」と感じられることが多いに違いない。実際、「4年近くもいるとは思わなかった」という仮設住宅に、なお多くの人が住む。仕事の再開を含め、生活の再建が全く見通せぬ住民は少なくない。盛土で沿岸の景観は変わっても、そこには依然として人々の生活の息吹はないのだ。

その上、未来を考えるだけでなく、「過去の記憶とどう向き合うか」という問題に悩む住民もいる。震災で壊れた建物などのいわゆる「震災遺構」を取り壊すか、それとも保存するかという問題だ。
43人が犠牲になったとみられる南三陸町の防災対策庁舎。40人が亡くなった大槌町の旧町役場庁舎。いずれも、地域住民の意見は割れている。残すことこそ将来に語り継ぐことであるという人。遺族の痛みを呼び覚ますだけの存在であるという人。どちらが正しく、どちらが間違っているという性質の議論ではない。
震災から4年を経て、人々は記憶への向き合い方をめぐって、新たな苦悩を抱え込んでいるのである。

そして、3月11日のメモリアルデー。ぼくは福島県川内村の小学校にきた。
原発事故による放射線被害を受けた福島の自治体は、復興の動きがさらに緩慢だ。
ただ、その中にあって川内村は、昨年の10月にほぼ全域で立ち入りの規制が解除され、震災前のほぼ半数の住民が帰ってきている。震災前には114人の児童がいた川内小学校は、3年前の地元での学校再開時には16人にその数が減ったものの、いまは少しずつ増加に転じ、児童数は29人にまでなった。4月の新学期には35人になることが見込まれているという。

学年の分け隔てなく全員で給食を食べ、昼休みは全員でバスケットボールなどに興じる。礼儀正しく、立ち止まって「こんにちは」と挨拶をしてくれる。教職員たちは、放射線量が安全の範囲にあることを常に確認し、保護者に周知を図りながら、子どもたちに学びの場を提供していた。
保護者にもう放射性物質に対する不安がないと言えばうそになる。しかし、保護者も教職員も、そしておそらく子どもたち自身もまた、現実を認識し、ここで生きると判断した人たちである。

「避難している間、郡山市の学校に間借りしていたときと比べると、子どもたちの目の光が違うんです。数は少なくなったけど、本当にキラキラしています」
30年以上にわたって小学校の用務員として働いている女性は、嬉しそうに語った。
緩慢ではあるが、確かな変化がここにはあった。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:23:06 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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この日の福島

2015年03月04日 (水)

月曜日の番組で、東京電力福島第一原発の敷地内から中継リポートをした。原発事故後、この敷地から生中継を出したのは、あらゆる放送の中でニュースウオッチ9が初めてである。ぼくはカメラに向かってこうコメントし、番組を締めた。
「この福島第一原発のサイトに、私はこれで6回、足を運んだことになります。これからも継続的に伝えていかなければならないと思っています」。

番組終了後、同僚にからかわれた。
「大越さん、ちゃんとやるんですね。約束ですよ」
やっと、からかわれた理由がわかった。ぼくは今月いっぱいで番組のキャスターを降板する。なのに、まだこれからも自分が原発事故の現場に入り、リポートするつもりでいたことになる。
思わず苦笑いした。同時に、少しさびしい気持ちになった。

福島第一原発の敷地内に初めて入ったのは2年前、2013年5月のことである。
同行した東京電力の職員は、われわれ取材陣の安全確保のために神経を張り詰めていた。
水素爆発を起こした1号機の建屋の横を歩くと、東電職員の声が防護マスク越しに耳に届いた。
「いま、300マイクロ(シーベルト毎時)です!」
一般人の年間の限度とされる量にわずか3時間あまりで達する、高い放射線量を示していた。

今回、同じ場所を歩いてみた。線量計は50マイクロシーベルト毎時を示している。除染などによって作業環境が改善されたことを意味する。そもそも、安全な場所を選べば、多くの機材類など何かと手間がかかる生中継を、敷地内から出せるようになったこと自体、画期的な進展である。

もちろん、現実は甘くない。汚染水の処理は毎日が戦いだ。比較的高い放射線濃度の汚染水が、排水路を通って海に流れ出すという失態も明らかになった。すべてが一進一退の現場であることに変わりはない。
しかも、核燃料がメルトダウンした1、2、3号機は、内部の状態すらわからないままだ。素粒子を使って内部を「透視」できる技術は開発が進んでいるが、それはほんの一歩に過ぎない。

それでも、その一歩を積み重ねていくしかない。40年かかるともされる廃炉への長い道のりは続く。途中で投げ出すことはできないのだ。6回にわたって福島第一原発の現場を取材したぼくの、それが今の実感である。

今回の敷地内での取材の前日、福島の浜通りに久々の朗報が届けられた。常磐自動車道の全線開通のニュースである。福島県の常磐富岡と浪江との間を、車が通れるようになったのである。
その常磐富岡インターの、東京から見て手前に、同じくこの日にオープンとなったならは(楢葉)パーキングエリアがある。立ち寄ってみると、休憩所の中に、沿線地域の子どもたちが、いわば「ふるさと自慢」を描いた絵が、画面上に次々と映し出されるコーナーがある。

大熊町の女子中学生の絵には、地域の特産物に加え、原発もふるさと自慢として描かれていた。横に書かれたコメントにはこうあった。ぼくは虚を疲れたような思いになった。
「(私たちの町には)世界最大の都市、東京に電力を送っている福島第一原発があります。大熊町は、日本経済を支える縁の下の力持ちになっている町です」

このパーキングエリアは、本来、4年前にオープンするはずだった。おそらくその前に書かれたものなのだろう。ところが震災と原発事故の影響で、直前になって延期され、やっと今月1日の開通となったのだ。
ここには時間の位相のずれがあった。この絵を描き、コメントを書いた女子中学生は、いまどんな思いでいるのだろう。

福島第一原発からの中継放送の最後、継続的にこの原発のことを伝えたいと言った後に、ぼくはたしかこんなふうにもコメントした。
「そして、事故後大きく生活が変わった被災住民の思いもまた伝えていかなければならないと思っています」

原発事故の廃炉作業は、継続的に伝え続けなければならない。被災してしまった住民たちのことはなおさらである。ぼく自身が再びマイクを持ってリポートする機会が訪れるかどうかは分からない。だがその責任は、主語が「私」であっても「私たちNHK」であっても同じだ。
この国と、この国に生きる人々の将来に大きな課題を投げかけた原発事故。その本質と現実を探り、伝え続けることは、われわれメディアが等しく背負った大命題なのだ。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:22:22 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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村山富市さん

2015年02月25日 (水)

政界では、総理大臣経験者に話しかけるときに、敬意を表して、「総理」と、現役さながらに呼ぶ習慣がある。経験上、総理経験者に対して、○○さんと名前で呼ぶことはあまりない。でもこの人は、いまは「総理」と呼ぶのがどこかそぐわないと感じる。飾らない人柄がその理由だ。
村山富市さん。1994年、当時社会党の委員長だったときに、自民党と新党さきがけに担がれて、本人もびっくりという総理の地位についた。

その村山さんに、地元の大分市でインタビューした。村山さんは、20年前、戦後50年となる終戦の日に、のちの政権が踏襲していくことになる「村山談話」を出したその人である。談話とはいうが、閣議決定された政府の公式文書だ。

そして安倍総理大臣も、戦後70年のことし夏をメドに、総理大臣談話を出すことになり、有識者による具体的な検討が始まった。インタビューは、新たな談話に対して何を望むかを、元祖とも言える村山さんに聞こうという趣旨だ。
村山さんは、待ち合わせ場所にひとりでスタスタ歩いてやってきた。90歳。だが、なんと若い90歳か。トレードマークの長い眉毛はすっかり白くなったが、背筋をビンと伸ばしたそのいでたちは、現役時代そのままである。

「第一、ぼくが総理になるなんてことは、あのときだれも考えていなかった。しかし、こういう内閣が出てくるということは、それなりの歴史的な必然性があってのことではないかと考えるようになった。ちょうど戦後50年という節目を迎えて、国内外の問題について、50年の節目に未解決の問題についてけじめをつけることが、自分の内閣に与えられた役割だと考えた」

村山さんは淡々とそう振り返る。村山談話では、戦後の復興に力を尽くした先人の努力に敬意を示し、近隣諸国との良好な関係を築く必要性を説いた後、村山さんが最も言いたかったという箇所が登場する。少し長いがそのまま引用しよう。

「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争の道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここに改めて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外のすべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」

この部分は、10年後に当時の小泉内閣が閣議決定した総理大臣談話でも、ほぼそのまま引き継がれた。植民地支配と侵略によって与えた苦痛、痛切な反省と心からのお詫び。村山さんは、日本がそのことを真摯に認めることが、近隣諸国との未来志向の関係を築く基礎だと信じている。

だが、この数年、日中・日韓の関係はすっかり冷え切った。
政治家である村山さんは、当然ながら尖閣諸島や竹島といった領土をめぐる問題で、双方の主張が交わることのない現実をよく知っている。
「問題はそこではなくて」
村山さんはそう切り出した。
「歴史に対する認識がもっと本質的な問題なんですよ」
関係が冷え切った根本には、このところの日本が、村山談話に盛り込まれた、それこそ「痛切な反省」を忘れたかのような印象を与えている点にあると村山さんは指摘する。

安倍総理は、村山談話をどう引き継ぐのか。
「村山談話、小泉談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体的に引き継いでおり、今後も引き継いでいく考えです」
今月の参議院本会議での答弁である。
一方で、討論番組ではこんなふうにも発言している。
「今まで重ねてきた文言を使うかどうかということではなくて(中略)、『今まで使った言葉を使わなかった』、あるいは『新しい言葉が入った』とか、そういうこまごまとした議論とならないように(したい)」
このあたりの微妙な発言が様々な憶測を呼ぶ。

全体的に引き継ぐとしながら、村山さんが言うキーワードを使うかどうかは霧の中だ。
村山さんは、「安倍総理こそ、こまごまとした言葉にこだわっている」と手厳しい。

「引き継ぐ」という姿勢を、どのような言葉で示すのか。こまごまとした、しかしとても大切な言葉の取り扱いである。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:22:28 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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正義って何だろう

2015年02月18日 (水)

知人に強く勧められて、映画「アメリカン・スナイパー」の試写会に出かけた。クリント・イーストウッド監督の最新作。アメリカでの高い評価もあって、21日の日本上映開始を前に、試写会場はメディア関係者などで満席となった。

実話の映画化である。イラク戦争に4度にわたって従軍し、伝説のスナイパー(狙撃手)と言われたクリス・カイル(故人)を描いている。
2時間余りの上映の間に、実にいろいろな思いを抱き、また考えさせられた。

愛国心にかられて志願した主人公が、戦場経験を踏むうちに深みにはまっていく。その理由には、部隊における任務と責任の増大もあれば、命を落とした仲間の無念を晴らしたいという感情もある。
一方で、よき夫、よき父でありたいと願いながら思うに任せない葛藤がある。アメリカに帰任しても、心を戦場に置き忘れたかのような主人公の姿に、妻もまた苦しむ。
この作品は、私人と公人のはざまで揺れ動く「個の相克」をくっきりと浮かび上がらせている。戦争映画であると同時にすぐれた社会派ドラマでもある。

その中にあって、ぼくはひとつのシーンに突然凍りついた。銃声が響く戦闘シーンの中に放り込まれたようなその一場面とは、アメリカ軍の無人機が、イラクの戦場の上空を、それこそ睥睨(へいげい)するように飛行する姿だった。
そこにはITが人を殺害するという異次元の戦争があった。愛する祖国や家族のために武器を手に取るという、人間としての最低限の姿さえ霧消してしまったかのような次元の戦争だ。正義や大義などという言葉があまりにもそぐわない、残酷な戦争だ。

そんなのは甘いと言われるかもしれない。
素手で取っ組み合うのでもなかろうに。人類はこれまでだって身の丈以上の武器を開発してきたのであって、核などの大量破壊兵器の残虐さを知らないわけはないだろうと。
あるいは、無人機といえどもそれを遠隔操作しているのはやはり人間であり、彼らの多くもまた心に傷を負いつつ任務についているのだと。

それらを知らないわけではない。だが、無人機の不気味な姿がトリガーとなって、ぼくなりの戦争の概念のリミッターは、一気に振り切れてしまったようだ。
イーストウッド監督が入れた象徴的なワンカットは、少なくともぼくに対しては絶大な効果を表したことになる。

それはまた現実でもある。
イスラミック・ステート(イスラム国)をはじめとする過激派組織と、従来の「国」の軍隊との戦闘は拡散を続けている。ウクライナでは苦労して結んだはずの停戦合意も反古にされかねない状況だ。そのことにより、兵士のみならず、一般人の犠牲者も後を絶たない現実がある。一発の銃弾により、あるいは無人機からの容赦ない爆撃により、ひとりの人間が生きてきたかけがえのない歩みが、突如、途絶えてしまう悲劇が繰り返されている。

欧米主導で作り上げてきた秩序に、テロをもって抗することを正義とは言わない。一方で、テロリストなど問答無用と、ひたすらその命を蹴散らすこともまた、正義とは言わないはずだ。
人間とは戦争を繰り返す愚かな生き物なのだと「したり顔」をすることは思考の停止にほかならない。血を流さないための愚直な努力をすることこそ正義なのだと、酷薄な現代の戦争に思いを致しながら、ぼくは考えた。


 

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:23 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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テロに理屈はあるか

2015年02月11日 (水)

メディアで働く同業他社の友人たちと話をしていて、過激派組織「イスラム国」が話題にのぼると、議論続出でなかなか収束しなくなる。

口火を切ったのはぼくだった。
ある中東の専門家に番組にゲスト出演してもらったときのこと。その人が「こうやってメディアが騒ぐこと自体が、『イスラム国』の格好の宣伝になるのです」と話していたことがあった。その例を引き合いに、「われわれメディアというのは皮肉な存在だよね」とこぼしたのである。
そこに新聞記者のAが口をはさんだ。
「その専門家の先生だって、ならば出演しなければいいじゃないか、ということになる。でも、伝えるべきことがあるから出演するわけだろ。つまりは、報道が発達した民主社会の宿命なのさ」
「じゃあ、彼らの掌で踊らされてしまうのは必要悪ってことかなのかなあ?」とぼく。
「そうではないと思うけど」・・・と口々に言うが、みんなうまい答えが見つからない。

「そもそもさあ」と外務省を取材している民放記者のB。
「彼らが勝手に国と名乗っているだけなのに、『イスラム国』という呼び名をそのまま使っているのはどうなんだろう。『連中を利することになるんじゃないか』って、取材先から言われることがあるんだけど」
「だからウチでは、いわゆる、という意味を込めて必ずカギ括弧をつけて『イスラム国』と表記している」と新聞社のA。
「でも放送会社は、カギ括弧、と読むわけにはいかないでしょ」とB。
「ウチは必ず1回は、過激派組織の『イスラム国』、と言うようにしているけど」とぼく。
「日本政府は、あの組織の英語訳の頭文字をとって『ISIL・アイシル』と呼んでいるね。アメリカ政府もそうだ。国と認めてやるわけにはいかないからね」。
「同じアメリカでも、マスコミは『ISIS・アイシス』を使っているぞ」
・・・呼び名ひとつをとっても難しい。

そして事態は最悪の展開をたどった。ジャーナリスト・後藤健二さんの殺害である。残虐極まりな行為。「イスラム国」の非道は許されるものではない。一方で、政府からの再三の渡航自粛を求められながらシリアに渡った後藤さんの行動をどう見るか。
「すべて自分の責任において渡航すると後藤さんは言っている。それをそのまま受け入れて、彼が伝えたかったものを我々がきちんと引き継ぐべきだ」とA。
「彼の仕事ぶりは立派だ。しかし、彼ひとりで負いきれない責任もある」とB。後藤さんが過激派の支配地に渡り、人質になったことが「イスラム国」が日本に牙を向けるきっかけを作った面は否定できないという意見は、ネット上でも目にすることがある。

議論は続く。Bはさらに踏み込んだ。
「『イスラム国』はテロ集団だ。どんな理由があっても許されない。なのに、たとえばテロに外国から加わる若者について、ヨーロッパに渡ったイスラム系住民のうっ屈した感情が背景にあるとか、若者の悩みを理解すべきだという論調も目立つよね。彼らに同情することは大きな誤りのもとになるんじゃないか」。
それも正論である。

だが・・・。ぼくも口を開いた。

まずは現状をしっかり受け止めることじゃないだろうか。
日本だってテロの対象であることは、たとえば2年前にアルジェリアの天然ガス精製施設で起きた日本人駐在員殺害事件のときにも、日本は思い知ったはずだ。なのに、日本もテロの対象となったと、いま気づいたかのような言い方をするときがある。
常に考え、常に世界に目を向け続けていないと、ぼくらは忘れてしまうのだ。
後藤さんの行動には批判もあるだろうが、少なくとも、常にぼくらの目となり耳となって、警告を発し続けた人であることは間違いないのではないか。

もうひとつ、テロの温床となっている社会の矛盾について。テロは絶対許せない。だが、そこだけでとどまっていては、報復の連鎖に歯止めはかからない。怒りと同時に、背景にあるものをしっかりたどり、分析する。そして、国際社会として反省すべき点があれば素直に反省すればいいのだ。

「じゃあ、どこまでさかのぼればいい?ブッシュ(元大統領)のイラク戦争、それとも中東の国境線の画定まで行くべきか?」
すかさず突っ込まれる。だが、それはひとりひとりができる範囲でいいと思うのだ。

知る努力をしないまま、感情論だけで突き進むことが一番怖いと思う。
もちろん、自国民が残虐にも殺害されたことに、怒りを覚えない人はいないだろう。繰り返し言うが、テロを許せるはずはないし、テロに屈するわけにはいかないのだ。
一方で、並行して考えるべき大切なことがいくつもある。それを大事にしないと、世界は怒りの渦の中で思いもしない方向に走り出すかもしれない。
小心なぼくは、それを考えると眠れなくなる夜がある。

その思いに関しては、議論していた全員の意見が一致した。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:19:31 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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野球で学んだこと

2015年02月04日 (水)

このコラムに何度か目を通していただいた方は、「また野球の話ですか」とうんざりされるかもしれませんね。でも、お許しください。少年時代に始まって大学4年生まで野球に打ち込んだ経験から、ぼくの心身のかなりの部分は、必然的に野球によって形成されることとなりました。人生の節目や、いろいろと思い悩んだとき、ぼくの心は野球という原点に戻ります。

おもに投手を務めてきました。特段、球威があったわけではありませんが、コントロールは安定していました。東京六大学野球の中で決して強くはないチームにあって、他大学の強打者と対戦しなければなりませんでした。その経験の中で学んだことがあります。それは「内角を攻める」ことの大切さです。

「内角を攻める」というと、やたらと血の気の多い印象を与えるかもしれません。デッドボールも辞さないという乱暴な投手は、打者にとっては迷惑この上ない存在ですよね。
でもぼくが目指したのは、そんな破れかぶれの蛮勇を持つことではありません。戦術としての内角攻めです。

少し間違うと危険なゾーンではあります。ビビってしまえば甘くなって長打を打たれる可能性が高くなるし、そうでなくても相手にぶつける物理的な確率も高い、怖いボールです。
そこでコントロールが問われます。顔の付近に投げるのはご法度。ぼくは、少々自信のあった制球力を生かして、相手の膝から下の高さにボールを集めました。内角球をうまく打つ打者は少ないのです。ずば抜けたスピードボールでなくても、相手を詰まらせることのできる投球を心がけました。

ニュースキャスターになってからも、この内角攻めのクセが残っていたかもしれません。「ずいぶん思い切ったことを言うね」とご指摘を受けたこともあります。ただ自分としては、そのニュースの持つ意味を多角的に視聴者に問いかけるという一点で、内角と外角を織り交ぜてきたつもりです。危険なビーンボールを投げて相手を傷つける意図を持ったことはありません。それは投手としてフェアプレーを心がけた現役の選手時代と同じです。これからもフェアプレーの精神を守り続けるのは当然のことだと思っています。

もうひとつ、しきりに思い出されることがあります。それは、高校時代に監督から教わったベースランニングのひとつ、「一塁への駆け抜け」です。ちょっとマニアックですね。
平凡な内野ゴロを打ってしまったとき。それでもうまくすれば内野安打になるかもしれないし、相手野手がお手玉をするかもしれません。コンマ1秒でも早くベースに到達するためにどうすればいいか。そこで口を酸っぱくして言われたのが、ベースの2~3メートル先をベースと思え、という言葉です。ベースそのものを目標にすると直前でスピードが落ちてしまうし、気持ちが勝ってヘッド・スライディングをするのも得策ではないと教わりました。
ベースがその先にあると心得ることで、スピードを落とすことなく本物のベースを駆け抜けることができるというわけです。

これだな、と思いました。

ぼくがニュースウオッチ9のキャスターとなって、まもなく5年です。井上あさひ、廣瀬智美両キャスターとトリオを組んでからも4年が経とうとしています。
私たち3人と、抜群の取材力を発揮してくれた井上裕貴リポーターは、3月27日の金曜日をもって後任と交代することになりました。残り任期はもう2か月を切っています。

でも、そこをゴールとは考えないようにします。目標はもっと先にあると考えて、スピードを落とさずに駆け抜けようと思います。それが今までご声援を送ってくださった皆さんへのぼくたちなりの感謝の表し方であり、仕事の全うのし方だと思っています。

これまで本当にありがとうございました。そしてこれからのラストランも、変わらぬご声援をよろしくお願いします。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:19:28 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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張りつめた緊張の中で

2015年01月28日 (水)

過激派組織「イスラム国」によると見られる日本人拘束事件は、湯川遥菜さんの殺害という極めて残念な経過をたどっている。ジャーナリストの後藤健二さんについても、依然危険な状況が続き、救出の展望は開けずにいる。

後藤さんやヨルダン人パイロットの男性など、人質になってしまった人たちの思いはいかばかりか。救出の責任を負う政府関係者の緊張も多大なものがあるだろう。そして、それを伝える我々も、細心の注意が求められる中で報道にあたっている。
人命を扱うニュースであることに加え、「イスラム国」が繰り出してくる狡猾なメッセージに操られることがあってはならないからだ。

難しさを感じさせられたのが彼らによるタイムリミットの設定だ。当初、日本政府が72時間以内に2億ドルの身代金を支払わなければ2人の人質を殺害すると脅してきた。事柄の性質上、交渉の進展具合がつまびらかにされない中で時間が過ぎていく。焦りから、72時間のリミットをさす23日の午後2時50分を気にするようになる。伝える側も、タイムリミットまであと○時間、などという言い方をしがちだ。

だが、そのリミットとは人質の生死の境を意味する。まるでカウントダウンのようにしてその時刻を待つような印象を与える伝え方は、報道倫理の上から許されない。表現には細心の注意が求められるのだ。
その後「イスラム国」は72時間の刻限を何ごともなかったかのようにやり過ごした。週末に入って突如、湯川さん殺害を示す映像を公開すると、今度はヨルダンに収監されている仲間の死刑囚の釈放を求めてきた。日本と連携するヨルダンを窮地に追い込み、日本を困惑に陥れている。

そもそも「イスラム国」という呼び名を使うことにも議論はある。「イスラム国」は無論、国際社会に認められた国家ではない。日米両政府などは、この過激派組織の以前の呼び名の英語名(ISLAMIC State in Iraq and the Levantイラクとレバントのイスラム国)の頭文字を取ってISILなどと呼んでいるが、支配地を広げたこの過激派組織は昨年、名前を改称(英語名Islamic State 略称IS)した。和訳すれば「イスラム国」である。

そこで我々の報道でもこの「イスラム国」の呼称を使っている。個人的には、彼らが支配地を拡大し、国の形を整えようと企図している現実から目をそらさないためにも、ISIL(ISISも同義)という記号ではなく、「イスラム国」という呼称を使うことは妥当だと思っているのだが、「イスラム国」という呼称は、いきおい日々のニュースの中で何度も登場し、視聴者の耳にすりこまれるようになる。それが、この過激派組織を「国」として広く認識させる手伝いをしてしまうという指摘もある。このあたりは実に悩ましいところなのだ。

もっと突き詰めて言えば、このニュースを大きく取り上げること自体に問題があると指摘する専門家もいる。それこそ「イスラム国」の思うつぼだと。

「イスラム国」は残虐な殺りく行為によって、急速に支配地域を広げ、石油の採掘施設なども支配下において潤沢な資金を得たとされる。恐怖による支配に加え、徴税などを含む巧みな組織運営によって疑似国家としての体裁を整えてきた。
しかし、アメリカ主導の有志連合の空爆や、原油価格の下落などによって弱体化が進んでいるとも言われる。そんなときに打って出たのが、軍事作戦に加わっていない日本の人質を公開し、脅迫するという行為だった。世界はこの蛮行に驚き、さらには協力国ヨルダンを揺さぶり、分断を狙うかのようなその後の要求によって、その狡猾さを改めて思い知らされることになった。

連日、この一連のニュースが世界をかけめぐることによって、グローバルに戦闘員を集め、勢力の回復をもくろむ「イスラム国」にとっての絶好のPRの場にも使われているという見方も、確かにできなくはないのだ。

しかし、人命をことごとく軽視するこの過激派組織の行動をつぶさに報道するのは我々の使命だ。いまなお捕われたままの後藤さんが、いかに細やかで心やさしい報道に携わってきたか。そして日本は、難民などを対象とした人道支援に徹してきたという事実。このことを世界に発信して、「イスラム国」の一連の行為は何の得もないのだという国際世論を形成し、彼らに納得させるという正攻法で行くしかない。

日本時間の今夜遅くには、「イスラム国」が言う、後藤さんの24時間の期限が来る。命の無事を祈りながら、かつ踊らされることなく、冷静に事実を伝えなければならない。(28日午後4時記)

投稿者:大越健介 | 投稿時間:16:07 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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ジハーディスト

2015年01月21日 (水)

「私はそもそも、『イスラム過激派』という言い方そのものが好ましくないと思っているんです。『ジハーディスト』と言うべきでしょう」
ジハードとは異教徒との聖戦を意味する言葉である。番組で取材した中東専門家の保坂修司さん(日本エネルギー経済研究所)はそう指摘した。シリアとイラクにまたがる地域を中心に勢力を伸ばしてきた「イスラム国」を説明する言葉についてである。

確かに指摘にはもっともなところがある。なぜなら彼らが彼らたるゆえんは、イスラムにあるというよりも、テロリストの集団という点にあるからだ。「イスラム過激派」という呼び名を冠して繰り返すことで、イスラム教という宗教そのものに過激というイメージがついて回ることになりかねない。穏健な一般の信者とテロリストを無意識のうちに混同してしまう危うさがないわけではない。

そのイスラム国が、とうとう日本を標的にした。民間軍事会社を経営する湯川遥菜さんとフリージャーナリストの後藤健二さんが人質に取られた。イスラム国のメンバーと見られる黒覆面の男が、2億ドルの身代金を支払わなければふたりを殺害すると脅迫する動画がインターネット上に公開されたのである。

動画にはいろいろと細工が施されていた可能性もあるが、イスラム国の犯行である可能性が高いと政府は判断した。イスラム国をはじめとする「過激」なグループが、中東やアフリカ、そして最近ではヨーロッパで巻き起こしている恐怖の連鎖は、残念ながら日本にも及んだのだ。

この年明け、ちょうどぼくがヨーロッパを取材中に、パリで新聞社「シャルリ・エブド」の乱射事件が起きた。ポーランドでの取材予定を繰り上げてパリに赴くと、今度は食料品店で立てこもり事件があり、おびただしい血が流れた。実行犯はいずれも、イスラム教の名のもとにテロを繰り返す過激派組織とつながりを持つ人物だった。

これを機にヨーロッパでは、イスラム系の移民を排斥するデモや、モスクへの投石などが相次いだ。最初のテロ事件が起きた新聞社は、表現の自由を高らかに歌い上げるように、イスラム教の預言者ムハンマドを描いた風刺画を掲載。フランス国内には喝さいも上がったが、イスラム社会全体への挑発と受け取られると、懸念の声も上がった。
事実、中東やアフリカ、アジアに至るまで、穏健なイスラム教徒の間からも強い抗議の声が上がり、世界は価値観の衝突の様相である。

しかし、ぼくは思う。確かに自らの宗教を侮辱されたと過激な行動に走る人間がいるのは事実だし、表現の自由がそれに屈してはならないのも事実だろう。だが、その対立がエスカレートしてもいいことはひとつもない。実際、世界の多数派は、宗教の多様性を認め、同時に表現の自由も尊重する「中庸」の人たちのはずだ。そしてわれわれ日本人は、そのことを本能的に知っている国民だと思うのだ。

だから、一連の不穏な動きが日本に連鎖を見せたいまではあっても、ぼくらは地に足をつけて構えなければならない。
保坂さんの言う「ジハーディスト」という言葉はまだ耳になじみがないし、日々のニュースは「イスラム過激派」という表現にしばらくは頼らざるを得ないだろう。だが、少なくとも日本では、イスラム教とその信者への誤った偏見が広がることはないと信じたい。仮にそうした危険な動きが出たとしても、社会の良識がしっかりと抑止してくれるに違いないと、ぼくは考えている。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:19:06 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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