帆翔(はんしょう)
2013年05月22日 (水)
若死にした幼なじみの三回忌法要があった。同級生たちと故人をしのびながら都内で昼間から一杯傾け、ほろ酔い気分で帰宅したのが夕方。居眠りして目が覚めてもまだ宵のくちだ。いつもなら夜9時の放送に向けてバタバタしている時間帯だが、「そうか、きょうは土曜日か」と平日とのギャップに妙に納得する。そして、ゆったりと降りはじめた夜の帳とともに、所在なさがつのってくる。
飲み直すのも気が引けるし、お腹もすかない。アルコールが中途半端に残ってしまった頭では読書も気が進まない。所在なさは孤独感となり、間違いなく後半に入ってしまったこれからの人生なんぞをぽつねんと考えたりする。柄にもなく、沈みがちな週末であった。
是枝裕和監督の1998年の映画「ワンダフルライフ」を見た。是枝作品は国際的にも高い評価を得ており、今年のカンヌ映画祭でも「そして父になる」がエントリーされ、10分間ものスタンディング・オベーションを受けて話題となった。
日本映画史上5作目の最優秀作品賞との期待も上がる。インタビューさせてもらう場面もあろうかと、準備の意味も込めて、彼の名作といわれるこの「ワンダフルライフ」のDVDを手に取ったのだ。
一気に引き込まれた。
死者たちが「あの世」に旅立つまで1週間を過ごす場所が描かれる。そこで彼らは、生きていた中で「最も大切な思い出」を選択することを求められ、スタッフたちは(これもまた死者である)彼らのその大切な思い出を再現する役割を担う。そして劇中映画のようにして、さまざまな大道具小道具を取りそろえて、死者が語った場面を用意する。
思い出の再現にあたっては、死者みずからがいろいろと注文をつけ、演技指導まで行う。そうして制作を終え、一週間の最終日が上映会という設定だ。満足した死者たちは、映像化されたその思い出のみを抱いてあの世へと旅立っていく。自分の人生をプロデュースするのは、結局は自分自身なのだというメッセージを、ぼくはこの映画に感じた。
改めて、亡き友を思う。
物静かでいつも本が傍らにあった。出版の仕事が気に入っていた。
彼の妻は、三回忌を前にやっと見つけた都内の墓地で、読書好きな夫にふさわしい墓を作った。そこには開かれた本が彫刻されている。そして「帆翔」という聞き慣れない言葉が記された。「帆翔」とは、気流に乗った鳥が翼を動かさずとも悠然と空を飛ぶ様を言うそうだ。そう、彼は不器用な男だったが、時流をしっかり見据えるぶれない男だった。
映画「ワンダフルライフ」で描かれているような、死後に自らの人生を振り返る場面が本当にあるのかどうかは誰にもわからない。確実なのは、人は残された人の思い出とともに生き続けるということだ。
亡き友は、「帆翔」する鳥たちの姿に、自分の人生の在り方を重ねたことがあったのかもしれない。そして最後に、愛する妻から「帆翔」というすてきな言葉を引き出し、自らをプロデュースしてあの世へと旅立った。







