2016年11月24日(木)

差別とたたかった雑誌 “終刊”のメッセージ

鈴木
「こちらの雑誌、『そよ風のように街に出よう』。
障害者への偏見や差別をなくそうと37年にわたって訴えてきた雑誌ですが、部数の減少などから、来年(2017年)発行を終えることになりました。」

 

河野
「そうした中で起きたのが、相模原市の障害者施設で19人が殺害された事件でした。
雑誌を終えるにあたって、どんなメッセージを投げかけようとしているのでしょうか。」

“そよ風のように” タイトルに込めた思い

リポート:松井裕子(社会部)

大阪にある編集部です。
障害のある人やない人、10人ほどが編集に参加し、半年に1度、発行してきました。




創刊から携わってきた、副編集長の小林敏昭(こばやし・としあき)さんです。

『そよ風のように街に出よう』副編集長 小林敏昭さん
「障害を持っている人に、もっと街へ出よう、いろんな出会いを作ろうという思いと、障害者問題なんて考えたことがないという人に届けたい。」



 

「そよ風のように」というタイトルをつけた背景には、創刊当時の厳しい現実がありました。

昭和52年の「川崎バス闘争」。
車いすのまま乗車することを拒否した、バス会社への抗議活動です。

「車いすで乗りたい。」

「なんで乗られないんだ。」

障害者がバスや電車に自由に乗れず、出歩けない。
「こうした差別を乗り越えたい」と、雑誌は創刊されたのです。

第1号では、障害のある女性の結婚・出産を特集。
結婚に反対する夫の両親から勘当された、厳しい現実も伝えました。




思い切って街に出てみたという障害者の体験談、さらに、タブー視されていた障害者の性の話題も。




 

ほかに例のない雑誌は大きな反響を呼び、多いときには1万部が発行されました。

“そよ風のように” 背中を押された人たち

雑誌の購読を続けてきた、梅谷明子(うめたに・あきこ)さんです。





創刊当初、取材を受けた梅谷さん。
当時、障害のある息子の尚司(しょうじ)さんを、地域の中学校に通わせたいと奮闘していました。



 

梅谷明子さん
「ありのまま、さらけ出すようなものも含め記事になってたから、学ぶところ多い。」



 

尚司さんは重い知的障害があり、子どものころ医療施設で拘束されたり、薬漬けにされたりしました。
障害者も地域で暮らしていいのだと、雑誌に背中を押され、長年、自宅で生活してきました。

梅谷明子さん
「毎回いろんな人、全国回って取材しているから、こんな人もいるんだ、知り合いになりたいなとか。
身近な支援者。
『そよ風』そのものが。」

創刊から37年。

この間、障害者のための法律や制度が作られ、街のバリアフリー化も進みました。





雑誌の発行部数が6分の1にまで減る中で、小林さんたちは去年(2015年)、一定の役割を終えたとして、終刊を決めました。

障害者殺傷事件 “優生思想”の衝撃

しかし、今年(2016年)7月。

相模原市の施設で、障害者19人が殺害される事件が起きます。

容疑者の男は、「障害者はいなくなればいい」と供述しました。
一歩一歩、社会との距離が縮まってきたと感じていた梅谷さん。
事件は、その思いを打ち砕くものでした。

梅谷明子さん
「19人の命、夢にまで出てくる。
どんな顔してたのか、どんな名前だったのかとか。
いつまでたっても堂々巡り。
差別社会が心の中に入り、それがまた社会にまん延する。
そういう中で翻弄され、殺されていく障害者。
たまらない。」

“優生思想”と向き合う 編集者たちの模索

容疑者のように、障害者を排除しようとする考え方と、どう向き合うか。
事件後に初めて出される号の編集会議です。

『そよ風のように街に出よう』副編集長 小林敏昭さん
「(植松容疑者が)特殊である部分と、われわれと同じ問題抱えているのではと思ってしまう部分、両方あるような気がするんだけど。」



 

「(今の社会は)生きられないからでは?
一人一人が。」



 

「植松青年も追い込まれていた。
行き場所がなくて、頼るところがなくて。」



 

「ちょっといいですか?
私は、植松青年の立場に立って、ものを言うこと自体が間違いだと思う。」



 

『そよ風のように街に出よう』副編集長 小林敏昭さん
「簡単に分かってしまっちゃいけないし、“もうこれ分からない”と放り出してもいけないし、その中間で、ああでもないこうでもないとやっていくしかない。」

事件によって、今なお優生思想が社会に潜んでいることを思い知らされたという小林さん。
それでも雑誌には、希望の言葉をつづりたいと感じていました。



 

『そよ風のように街に出よう』副編集長 小林敏昭さん
「優生思想は僕ら自身も持っているし、それから全く自由な人はいないと思っている。
人間が作り上げた文化・社会は、それを本能だからと認めていくのではなく、そこまで変えていけるんだ、みたいな希望は持っている。」

“優生思想を乗り越えて” 最後のメッセージ

議論の末、先週完成した最新号です。
その巻頭、小林さんの「明日へつむぐことば」がつづられていました。

“相模原で起きた事件の背後に、障害者の生そのものを否定する優生思想が存在するのは明らかだ。
本誌の37年間という時間は、この根深く暗い思想の扉を、控えめにノックした程度なのかもしれない。
しかし、雨だれも石をうがつのだ。



障害者を中心とした共生の取り組みは、1秒たりとも止まらない。」

障害者雑誌“終刊” 重い問いかけ

鈴木
「障害のある人たちが町に出て生活している姿を当たり前のように見ていますが、これは、この雑誌に関わった人など、多くの人たちが長年たたかってきて得たものと言えるんですね。」


 

河野
「ただ、副編集長の小林さんは、今『弱いものを排除しよう』という考え方は、むしろ強まっているのではないかと指摘をしています。
『共生の取り組みは1秒たりとも止まらない』という言葉、非常に重い問いかけです。」

鈴木
「雑誌は、来年(2017年)発行される次の号が、最後になるということです。」

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