2017年8月14日(月)

被爆相談 戦後72年のいまも…

有馬
「こちらは、原爆で被爆した人たちの悩みや苦しみの声がつづられた“相談カルテ”。
実は今、増え続けているんです。」

 

桑子
「このカルテが保管されているのは、被爆者の相談所。
東京都内にあります。
広島や長崎で被爆し、その後、上京した人などを支援するために設けられました。」

有馬
「終戦から72年がたった今も、相談所を訪れる人が後を絶ちません。」

後を絶たない被爆相談 戦争の苦しみは終わらず

リポート:福納将之(映像取材部)

東京・文京区にある被爆者の相談所です。

相談員
「80歳、長崎で被爆。」

相談員
「被爆2世の制度は、ご存じですか。」

 

東京都からの委託を受け、被爆者健康手帳の交付や原爆症の認定といった手続きの支援などにあたっています。
戦後72年となる今も、電話やメール、訪問などによる相談が相次ぎ、その数は1日平均30件にのぼります。

この日、75歳の男性が相談所を訪れました。
男性は3歳の時、長崎で被爆。
17歳の時、仕事を求めて上京しました。
大きな病気をしたことはありませんでしたが、今年(2017年)4月、前立腺がんと診断され、原爆症の認定について話を聞きに来たのです。

長崎で被爆した男性(75)
「家が全壊したのは見ている。
それだけは記憶している。」

相談所は被爆者の団体によって昭和37年に開設されました。
現在は医療や介護の事務の知識を持つ5人がスタッフを務めています。
これまでの相談やアドバイスの内容を記録した“相談カルテ”は、およそ5,000人分にのぼります。

相談員の1人、村田未知子さんです。
35年にわたって被爆者たちの支援を続けてきました。

相談員 村田未知子さん
「被爆者というのは、心と体と両方傷つけられている。
『体の中に原爆抱えてる』という言い方を、被爆者はするが、いつ出てくるか、わからない恐怖。
『ついに原爆が出てきたか』という人がいる。」

カルテからは、相談に訪れた原爆の被害者の苦しみが浮かび上がってきます。
被爆者への偏見が、家族の仲を裂いたケース。

“長男の嫁は、一緒にいると、自分たちまで被爆したと見られるからと言って、一家をあげて遠くに行っている。”

被爆の後遺症に悩んで、自殺を選んだ相談者も。

広島の原爆で両親と妹を亡くした男性のカルテです。
妹は、半身にやけどによるケロイドができ、白血病も発症。
アメリカのABCC・原爆傷害調査委員会に研究のために引き渡され、まもなく亡くなりました。

“主治医が「どうせ死ぬのだからいいだろう」と言って、連れて行かせた。”

男性は、この医師をナイフで刺し、少年院に送られました。
上京後、体調を崩した男性は生活保護を受け、70代後半になった今も、社会から孤立したまま、1人アパートでの生活を続けているといいます。

相談員 村田未知子さん
「心を開く人がいない。
話しているときも、いつも壁がある。
自分を守らないといけないと、ずっと思って生きてきた方。」

相談者の中に、被爆者であると明かせず、長年、葛藤を抱き続けてきたという人がいました。

原爆症認定の申請のため、初めて訪れた中村彰吾さん。
3歳の時、長崎で被爆し、姉を2人亡くしました。
その後、大学進学のために上京。
偏見を恐れ、被爆したことを周囲に明かさず、当初は妻にも言えずにいました。

中村彰吾さん
「結婚してしばらくしてから妊娠したときに。」

相談員 村田未知子さん
「そのとき被爆したと言った。」

14年前、前立腺がんの手術を受ましたが、この時もあえて原爆症の認定を避けました。
しかし、75歳と高齢になって健康に不安を覚えたことや、知人の被爆者から強く勧められたこともあって、認定を申請することにしたのです。
被爆者としての悩みを、誰かに打ち明けたいとも考えるようになりました。
その悩みの1つが、同居を続ける一人娘についてです。
自分が被爆者であることが、娘の人生にも影を落としたのではないかと心配してきました。
娘は、これまで何度かあった縁談を自ら断ってきたといいます。

「(娘が)被爆2世だからと思っていると心配している?」

中村彰吾さん
「そういう気持ちはあったが、聞けない。
聞いて『そう』だと言われたときに、何て答えていいのか。
彼女には責任ない。
そこまで原爆は人の心まで傷つけるのかと、今も思う。」
 

今も終わらない、原爆の被害者の苦しみ。
相談所は、その声に耳を傾け続けます。

相談員 村田未知子さん
「70年以上も不安に苦しんでいる人を残しているような被害は無い。
相談員は被爆者の話を聞ける立場にいるから、聞ける立場にいる者の責任というものがある。
それが私たちの使命。」
 

有馬
「今もあのように、ひっきりなしに相談が寄せられているということの事実にびっくりしまして、そして、70年以上たって初めて苦しみを打ち明ける人がいるということにも胸がつまる思いがしました。」

桑子
「自分の健康だけでなくて、自分の子どもや孫のことまで案じて苦しみ続けているというのが克明に記されていました。
相談員の村田さんは、“相談カルテ”に残された原爆の被害者の人生を講演活動などで紹介する取り組みを始めています。
さらに今後は、カルテの内容をまとまった形の記録として、次の世代に伝えていくことも検討しているそうです。」

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