2018年3月5日(月)

震災の記憶を刻む

桑子
「私は今、宮城県気仙沼市の寺に来ています。
階上地区のお寺の中にお邪魔しています。



こちらに並んでいますのは、7年前の東日本大震災で犠牲になった、このお寺の檀家の方々です。
130人あまりに上ります。
一瞬にして多くの命が奪われたことを心に刻み続けるために、毎年3月11日には法要が営まれています。

当時60歳の佐藤才子さん。
いちご農家を営んでいました。
まだ行方は分かっていません。



畠山深治郎さん、孝子さんご夫妻。
揺れの後、2人で地区の高台に避難しましたが、津波に流されました。
東日本大震災から7年。
被災地の今を取材してきました。」

桑子が見た被災地のいま 津波の傷痕伝える“震災遺構”

桑子
「あぁ、あれですね、荒浜小学校。
本当に、ぽつんと建っていますね。」

海から700メートル内陸にある、仙台市の荒浜小学校です。

桑子
「『ありがとう 荒浜小学校』って、看板ありますね。」

震災の記憶を後世に伝えるため、去年(2017年)4月から、震災遺構として公開されています。


桑子
「ベランダの柵なんですけど、ものすごい曲がり方をしています。」

あの日、高さ4.6メートルの津波に襲われました。

桑子
「ここは、教室でしょうか。
天井が、ひどいですね、電気ももう落ちそうですもんね。
天井と梁の間に缶がはさまっていますよ。」

分刻みで何が起きたのか、展示を見ながら追体験できるようになっています。





震災前の荒浜地区です。
松林が広がり、夏には海水浴客でにぎわうおだやかなところでした。
その町を津波がのみ込みました。
指定避難所になっていた小学校には、地域の住民など320人が避難。
全員3階以上に避難して助かりましたが、地区では、住民の1割、およそ200人が犠牲になりました。
この10か月で、訪れた人は6万3,000人以上と予想を上回っています。

訪れた人
「このころは、僕は赤ちゃんだったから、ぜんぜん覚えていない。
教えてもられるから。」




海外からも多くの人が訪れています。

“災害から7年なのに、ここは2011年のまま。
自然災害はおそろしい。
人間は無力な存在だ。”




当時、小学校に避難して助かった、早坂勝良さんです。

早坂勝良さん
「山みたいなのが、波が盛り上がっている。
ものすごい音をたてている。」




かつて住宅が建ち並んでいた小学校の周辺は、まったく違う景色が広がっています。
災害危険区域に指定され、住民は戻ることができなくなりました。

桑子
「震災が起きて7年たったと感じますか?」

早坂勝良さん
「私らは諦め。
隣近所に誰が住んでいた、どうなってた、頭の中ではあるけども、いつまでも思いに浸っていられない、何年もたつと。
切り替えないと生きていけない。
自然の災害だから、災害おこるなという訳にいかないので、そのような時にどうしたらいいか、どうすべきかというものを伝承して、つないでいかないといけないと思う。」

桑子が見た福島のいま 原発事故に向き合う

東京電力福島第一原発の事故の影響で、今も県内外でおよそ5万人が避難を余儀なくされている福島県。
現状を知ってほしいと企画されているツアーに参加しました。
この日は、東京、関西、九州から教師たちが訪れていました。

楢葉町をスタートして、国道6号線を北上。
今も住むことができない帰還困難区域を通過し、浪江町や南相馬市、飯舘村などを訪ねます。

案内してくれたのは、浪江町に住んでいた、松村茂郎さんです。





松村茂郎さん
「このへんは、ほぼ両側、震災当時のままという感じ。
道路が封鎖されたり、家の前にバリケード、盗難があったりもしたので。




福島第一原子力発電所がある。
空間線量があがってきて、3マイクロシーベルト超えた。
国道6号線では、この辺が最も高いぐらいかなと思う。」

松村さんは、事故前に住んでいた浪江町の自宅にも案内してくれました。


去年3月に避難指示が解除されましたが、避難先での生活に慣れたこともあり、今も戻っていません。

桑子
「このお宅の家族の記録です。
一番新しいのが一昨年(2016年)の5月。
これは靴で入ったので、その分、身長が高くなっているということが書いてあります。」

松村茂郎さん
「福島がもつ複雑さ、なんとかお伝えしたかった。
先生方が自分の言葉で、何らかの形で伝えていただければいい。」

桑子が見た福島のいま ツアーから復興の希望を

実はこうしたツアー、「ホープツーリズム」と名付けられています。
福島の復興について一緒に考え、希望を見出してほしいという思いからです。

飯舘村で特産品の農作物の栽培に挑戦している渡邊とみ子さんが、事故から7年たつ今の思いを話してくれました。

渡邊とみ子さん
「何にもやらないでダメダメダメと言っていては前に進まない。
とにかくやらないのではなく、やってみて自分が納得するものをやりたいとの思いでやった。」

桑子
「来た人にどんなことを一番受けとってほしい?」

渡邊とみ子さん
「飯舘村も大変な地域だったけど、私のようにふるさとのことを思って活動している人もいることを(知って)飯舘村のファンをいっぱいつくってほしい。」

震災の記憶を刻む

有馬
「桑子さん、復興について一緒に考えてほしいんだ、何らかの形で参加してほしいんですという被災地からのメッセージ、しっかり伝わってきました。」

桑子
「まず参加することが第一歩なんだなということを、私も強く感じました。
今回取材をしていて、時が止まったかのような光景を前にして、言葉が出てこなくなってしまったこともあったんですけれども、そこでなんとか前を向いていこうとしている方々の力強い言葉というのは、とても印象に残っています。」

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