2018年3月8日(木)

亡き母と同じ道に… 震災遺児 旅立ちの春

桑子
「こちら、東日本大震災の2年前に撮影された、ある家族の記念写真です。
両親と、息子2人。
しかしあの日、津波が母親の命を奪いました。」

有馬
「それから7年。
小学生だった男の子が、この春、高校を卒業します。
母親と同じ介護福祉士の道へ。
その旅立ちを見つめました。」

亡き母と同じ道に… 震災遺児 旅立ちの春

横山泰雅(よこやま・たいが)さん。
父と弟、そして祖父母の、家族5人で暮らしています。
高校へは、電車とバスを乗り継ぎ2時間。
介護福祉士を目指して、通い続けてきました。
就職を前に、今、実習を繰り返しています。

横山泰雅さん
「授業や実習を受けている時、くじけそうになった時、お母さんのことを思い出しながら頑張るようにしています。」

36歳で亡くなった、母親の志保さん。
何事にも動じない子に育ってほしいと、泰雅という名前をつけました。
公園や図書館など、どこに行くのも一緒。
小学校に入ると、宿題も見てくれました。

介護福祉士として、いつも明るく、お年寄りに愛される存在でした。
ところが、7年前のあの日。
町は津波に襲われました。
志保さんは、お年寄りの避難に必要な名簿を取りに施設に戻り、津波にのまれました。
葬儀の日、泰雅さんは、大好きだった母の最期の姿をどうしても見ることができませんでした。

横山泰雅さん
「会いたいとは思いましたけど、遺体の姿を見たいとは思わなかった。
お母さんも、津波で傷ついた姿を息子たちには見られたくないのではと思った。」

施設に戻り、犠牲になった志保さん。
当時10歳だった泰雅さんは、母親の行動を理解できませんでした。
そのころ、母の日に、泰雅さんが志保さんに宛てて書いた手紙です。

“お母さん、天国でいま何をしていますか。
泣きたくなるので、お母さんのことは思い出さないようにしています。
そして、東日本大震災のことを、うらまないようにしています。”

横山泰雅さん
「名簿を取りに行かないで、利用者と避難してほしかったという思いは、少なからずある。
ちゃんと避難して、生きていてほしかった。」



リポート:勝又千重子(仙台局)

なぜ母親は、死ななければならなかったのか。
泰雅さんは考え続けてきました。
泰雅さんに、母親を再び意識するきっかけを与えたのが、父親の俊一さんです。

信頼されていた仕事ぶり。
人のために尽くす姿。
そんな志保さんのことを、少しずつ語りかけてきたのです。

父親 俊一さん
「母親のことは、小学校・中学校の最初のころは(泰雅さんに)聞かれたこともない。
そんなに触れたこともない。
話すようになってくれたので、ちょっと安心というか、うれしい。」

横山泰雅さん
「最後まで利用者さんのために尽くす行動は、お母さんらしい行動だと思った。
それを運命なんじゃないかと、受け入れるしかないと。」

就職を前に、泰雅さんは、志保さんのかつての同僚を訪ねました。
知りたかったのは、母の仕事ぶりです。

母親の元同僚
「利用者が入院して、初めて退院してデイサービスに来た時に、『おかえりー』ってハグして迎えた。
それがとっても心に残っている。」

この日のために、用意してくれていたものがありました。
志保さんが書いた連絡帳です。

横山泰雅さん
「これお母さんが書いたんですよね?」

母親の元同僚
「そうそう。」

横山泰雅さん
「字体がいっしょです。」

母親の元同僚
「覚えてます?」

横山泰雅さん
「覚えてますよ。」

意外な話も聞くことができました。

母親の元同僚
「泰雅くんのことも言っていた。
『小さいうちはかわいいけど、大きくなっていくと、男の子だから声変わりして、中学校になったら手が離れていくのかなぁ、悲しいな』とか。」

母親の元同僚
「かわいくてしかたないって感じ。」

横山泰雅さん
「お母さんの、他人のために努力する姿勢を、自分が仕事をしていく時に受け継ぐことで、お母さんの死は無駄じゃないというのを、みんなにアピールする。
お母さんができなかった分まで頑張って、利用者さんに喜んでもらう。」

先週金曜日、高校卒業の日。

父親 俊一さん
「母親がいたら、たぶんこういうことも全部、『曲がってる』『こっちの方がかっこいい』とか言ったんでしょうけど。」

「3年間よく頑張りました。
すてきな介護士になって下さい、お母さんの分もしっかり。」

横山泰雅さん
「みなさんのおかげで、3年間楽しく…笑っちゃうなぁ。
楽しく過ごすことができました。
お父さん、ばっちゃん、今まで支えてくれて本当にありがとう。
…泣いちゃうなぁ、もう。
これからも迷惑かけるかもしれないけど、頑張ります。」

父親 俊一さん
「いろいろな人の支えもあって、ここまで来られたなって。
成長したんだなと思いましたし、これからも成長を続けてもらいたい。」

旅立ちのこの日。
泰雅さんは7年ぶりに、母親・志保さんに手紙を書きました。

“私にとって、お母さんは誇りであり、目指すべき目標となっています。
これからも、みんなをそばで見守っていてくれるとうれしいです。”



桑子
「泰雅さんは、この春からもお父さんやおばあさんたちと一緒に暮らすそうです。
お父さんが買ってくれることになっている車で、50分かけて職場に通うということです。」

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