2018年3月12日(月)

家族の死と向き合う 母と息子の7年間

有馬
「東日本大震災から7年がたった東北の被災地。
きのうは1日、祈りに包まれました。」

桑子
「こちらの家族。
父親と長女の2人が津波で犠牲になりました。
2人の死と向き合えずにこの7年を生きてきた母。
いま、ようやくあの日の出来事を息子に伝えようとしています。」

家族の死と向き合う “あの日から”奪われた日常

宮城県気仙沼市で暮らす柴田静佳(しばた・しずか)さんと息子の陽太(ようた)くんです。
震災から7年となった昨日。

2人が手を合わせたのは夫の晃佑(こうすけ)さんと娘の日向(にこ)ちゃんです。
日向ちゃんは結婚2年後に生まれた待望の長女。
歌と踊りが大好きで家には笑いがあふれていました。
2歳下の弟、陽太くんも誕生。
家族4人の幸せな毎日でした。

ところが。
地震のあと車で避難する途中、4人は津波にのまれ晃佑さんと日向ちゃんの2人が犠牲になったのです。

柴田静佳さん
「もう笑えなくなっちゃったし、ずっとこんな思いして死ぬまでがんばらなきゃいけないんだって思うと生きてるほうがほんとつらいと思って。」

この7年、柴田さんは一心不乱に仕事に打ち込んできました。
陽太くんのために辛い記憶を閉じ込める日々でした。

柴田静佳さん
「動いてないと悪いことばかり考える、がむしゃらに動いてきた感じですかね。」

柴田さんがいまも大切に保管しているものがあります。

がれきの中からかき集めた夫と娘の思い出の品です。
中でも大事にしているのは日向ちゃんの育児日記。
しかし今も読むことはできません。

柴田静佳さん
「子どもが死んで自分が生きてる自問自答を日々しているので、きっと後悔とか出ちゃうから今はまだダメ。」

心に蓋をしてきた7年でした。

家族の死と向き合う 小学1年生になった息子と

震災の時10か月だった陽太くんは小学1年生になりました。
震災や家族の記憶がほとんどない陽太くん。
それでも亡くなった2人を思いながら必死に生きる母の姿を見てきました。

「ママのことどう思う?」

柴田陽太くん
「津波にも耐えて凄いと思う。」

陽太くんは2人が津波で亡くなったことを少しずつ理解し始めていました。

柴田陽太くん
「日向が好きそう。」

柴田静佳さん
「ありがとう。はいどうぞーって。」

最近、毎晩のように2人のことをたずねてきます。

柴田静佳さん
「おやすみ。」

柴田陽太くん
「日向どこにいると思う?」

柴田静佳さん
「全然わかんないの、お母さんなのに。」

柴田陽太くん
「日向とか、死んじゃったら、どうなるの?」

柴田静佳さん
「わかんない、星になるっていうけど。」

柴田陽太くん
「おいら、奇跡で生きてるの?」

柴田静佳さん
「うん。」

柴田陽太くん
「日向が死んじゃってどれくらい悲しい?」

柴田静佳さん
「…すんごい悲しい。言えないぐらい悲しいわ。」

柴田陽太くん
「ふふふ、がんばろう。」

家族の死と向き合う 初めて伝える“あの日のこと”

先月。
柴田さんは初めて陽太くんにあの日のことを伝えることにしました。

向かったのは家族が流された場所。

柴田静佳さん
「ここから、こう車で逃げてきて、あとちょっとで坂だっていうところでいっぱいになって、津波が、車の中。」

4人が最後に一緒にいた場所です。

柴田静佳さん
「来てどう?」

柴田陽太くん
「また来たい。
ここら辺に日向がいるかなって。
柴ちん(パパ)もここら辺でいたんだなって。」

柴田さんが寄せてくれた2人へのメッセージです。

柴田静佳さん
「あれから7年。
お母さんと陽太はなんとか元気に生きてるよ。
もう2人に会えないなんてほんとうに切ない。
日向のランドセル姿、彼氏、結婚式、見たかったな。
すんごい頑張って、ちゃんと最後まで生きたらあっちでまた2人に会えるかな。
待っててね。」

家族の死と向き合う

有馬
「親子が、しっかり手を握り合ってましたね。
陽太くんの成長したすがたを見ると、7年という時間の重みを感じます。」

桑子
「私も今回被災地をまわって、地元の方にお話を伺いました。
この7年というのはひとことではくくれない、様々な思いで過ごしてきたと強く感じました。
静佳さんは陽太くんから亡くなった2人のことを聞かれるとまだ戸惑いもあるそうですが、それでも少しずつ伝えていくことで、陽太くんの心の中で2人がいつまでも生き続けていってほしいと願っていると話していました。」

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