2018年9月13日(木)

北海道地震 1週間

桑子
「北海道で震度7の揺れを観測し、41人が亡くなった地震。
今日(13日)で発生から1週間です。」

北海道地震 1週間 残る爪痕 犠牲者に黙とう

住宅や田畑を飲み込んだ、大量の土砂と倒木。
震度7を観測した北海道厚真町では、地震の爪痕が生々しく残されています。
今日で地震発生から1週間。
北海道の各地で黙とうが捧げられました。

あるじ失った水田…

厚真町の水田では、収穫を待つ稲穂がこうべを垂れていました。

しかし、水田のあるじ佐藤正芳さんは、刈り取りを前に帰らぬ人となりました。
崩れてきた大量の土砂に自宅ごと巻き込まれたのです。
その当日、現場には隣の家に住む、いとこの佐藤泰夫さんが途方に暮れた様子でたたずんでいました。

正芳さんのいとこ 佐藤泰夫さん
「あんな状態だから(正芳さんの家に)全く行けない。
まさかこんなになるとは想像もしていなかった。」

40年以上、同じ農家として切磋琢磨してき2人。
泰夫さんは、夜になっても正芳さんの救出を待ち続けていました。

正芳さんのいとこ 佐藤泰夫さん
「地元で生まれて育ち、お互いに農業経営しているから、(正芳さんが)『兄貴』みたいな付き合い。」

しかし、無事でいてほしいという願いは、地震から3日目に絶たれてしまいました。

正芳さんのいとこ 佐藤泰夫さん
「もう覚悟はしていたが、がっかりだ。」

稲刈りは、今月(9月)下旬から始まる予定ですが、不安がぬぐえません。

正芳さんのいとこ 佐藤泰夫さん
「いつまで裏山がもつか。
住宅は地割れ入り、途中あたりの斜面は膨らんできている。
それでどうなるか。」

泰夫さんは、正芳さんの分まで稲刈りをしたいと考えていますが、見通しは立っていません。

停電復旧でも続く影響

地震直後からほぼ全域が停電となった北海道。
復旧した地域でも、その影響が続いています。

こちらの「野菜工場」では、停電で、水や液体の肥料を流すポンプが停止。
室内の温度を調節する電動の天井や壁のシートも動かせなくなりました。
その結果、レタスなど8品種の野菜がほとんど枯れる被害が出ました。
出荷を再開できるのは、早くても来週末になるということです。

野菜工場責任者 黒川知也さん
「他の農家さんと違い、水と電気で育てているので、2つがなくなったら、すべてが何も出来ない状態。」

病気で避難所 諦める人も

今回の地震では、今も1,474人が避難を続けています。
避難所を訪れ、炊き出しを手伝ったのは、歌手のさだまさしさん。
被災した人やボランティアの人たちを励ましました。

歌手 さだまさしさん
「みんな元気を出してって言いに。
僕らはボランティアの人たちを応援するというような思い。
あと、被災者の人たちとふれあえたらね。
話を聞くだけでいいので。」

一方、避難所を諦め、自宅で生活せざるを得ない人たちがいます。

松井満男さんです。
営業を再開した厚真町のスーパーを取材中に、こう話していました。

松井満男さん
「家内が透析で1日おきに病院へ連れていくから買い物ができない。」

避難所へは行かずに、重い糖尿病の妻・弘子さんと自宅で生活していました。

松井満男さん
「(避難所へ)行けば食事は3食出るし、水の心配もいらないが、病気が病気なだけにね。」

弘子さんが避難所で食事をとれないため、避難所に行くことを諦めざるを得ませんでした。

松井満男さん
「(外での食事は)砂糖や何かを使っているしね。
弁当を買って食べさせたて血糖を計ったら400になって、びっくりした。
煮炊きをするしょうゆ、みそも、普通の人とは違うしょうゆじゃないと。」

今も断水が続く自宅。
夫の満男さんが冷蔵庫に残っていた食材で食事を作り、皿をラップフィルムで覆って盛りつけるなどの工夫をしながら生活しています。

東京では“買って支援”

「都内の北海道物産館です。
今、4時なんですけれども、ご覧ください。
このように多くのお客さんでにぎわいを見せています。」

地震の後、2日間は営業できなかったこちらの店。
再開後の客足は地震の前より伸びているといいます。

来店客
「何かしてあげたいが、あまり行けないので、買ってちょっとでも支援になればと。」

来店客
「(北海道旅行に)1回行って、やさしくしてもらったので。
早く元気になってほしい。」

北海道からトマトを売り込みに来ている農家もいました。

来店客
「北海道も大変だったもんね。」

北海道のトマト農家 篠田孝一さん
「どんな状況だったかって皆さんによく聞かれたし、本当に応援で皆さん買ってくれるので感謝。」

“花火は復興のシンボル”

復興へ向けた動きは北海道でも。

今月6日の地震の当日、洞爺湖温泉です。
停電であたりが真っ暗な中、450発の花火が打ち上げられていました。
洞爺湖温泉の観光協会が打ち上げを決断したのです。
当時、神奈川県から母親と訪れ、宿泊していた男性は。

電話:観光で訪れていた男性
「停電と断水は人生で初めての経験で不安でしかなかったが、花火をいつもどおりやってくれたのは、日常に戻った感じでとてもうれしかった。
言葉では言いあらわせないが、人生でいちばんきれいだった。」

花火を打ち上げた観光協会の事務局長、野呂圭一さんです。

洞爺湖温泉観光協会 野呂圭一事務局長
「地震が起きたとき停電になり、温泉供給も止まって、真っ暗のなか花火を楽しみに来ている人がたくさんいた。
少しでも元気になってもらおう、災害が起きても続ける事が大事だろうと。」

実はこの花火、温泉街をかつて襲った自然災害がきっかけで始められました。
それが、繰り返し噴火を起こしている有珠山。
花火は、およそ40年前の噴火の後、復興のシンボルとして始まりました。

その後、18年前にも大きな噴火が発生。
この時は、北海道全体が観光客の落ち込みに苦しんだといいます。

洞爺湖温泉観光協会 野呂圭一事務局長
「2000年噴火(被害は)ここの地域だけ。
メディアに出てくるのは『北海道の洞爺湖噴火しました』『危ないな』と。
北海道全体の観光入り込みが落ち込んだのが、すごく申し訳ないと。」

そして今回の地震。
11月までに少なくとも30万人に上るキャンセルが見込まれるなど、影響は再び北海道全体に広がっています。

「いまホテルの予約状況は?」

洞爺湖万世閣 岡部諭史さん
「予約いただいたお客様から半分以上はキャンセルがいま出ているのが実状。
頭を悩ましている状況。」

こうした中、地震の当日から続けられた花火。
温泉街で働く人たちも勇気づけていました。

飲食店店主 伊比美香子さん
「地震のその日も打ち上げるってすごいなって感動した。
いままででいちばんきれいだった。」

洞爺湖温泉観光協会 野呂圭一事務局長
「花火もあがらず、洞爺湖にきていたお客様がすごくがっかりすると思う。
そうではなくて、まるべく日常に戻す。
『違う地域にはこういうものがある』、力強く発信できれば、北海道全体の観光も早い時期に回復してくれるのではないか。」

そして、今日も…。
午後8時45分、いつもと同じ時間に復興のシンボル、洞爺湖の花火が打ち上げられました。

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