2018年9月26日(水)

初めて山頂へ向かった遺族は

桑子
「死者・行方不明者が63人にのぼった御嶽山の噴火です。
戦後最悪となったこの火山災害から、明日(27日)で4年になります。」



有馬
「今日(26日)噴火後初めて山頂付近の立ち入り規制が解除されました。
この日を待ち続けた遺族たちが山を目指しました。」

御嶽山噴火 あす4年 息子の足跡を追って…

秋山秀子さん
「あんなとこまで行ったんだ。」

一人息子を亡くした秋山秀子さんです。
標高3,067メートルの山の頂きを目指していました。

秋山秀子さん
「あの子が亡くなってから、私たちは時間が止まってしまっているので、4年たったっていうイメージはあまりないです。」

25歳で亡くなった、息子の浩和さんです。
あの日、浩和さんは、会社の同僚8人と一緒に御嶽山に登っていました。

秋山秀子さん
「これがスマートフォン。
ポケットに入っていたものなんですけど。」

息子はどこで、どんな最期を迎えたのか。
秀子さんと夫の則行さんは、その足跡を探し続けてきました。

山頂で、記念撮影に収まる浩和さん。
秀子さんは、浩和さんが御嶽山に登っていたことすら、噴火が起きるまで知りませんでした。

秀子さんと夫が集めてきた息子が写っている写真。
時間ごとに整理されています。

秋山則行さん
「ここにね、偶然写っていた。」

午前11時48分、噴火直前の写真です。
浩和さんは、山頂付近で一緒に登ったメンバーと写っていました。
その4分後、午前11時52分。突然の噴火でした。
「浩和さんは山頂近くの神社で、火山灰の下に埋まっていた」。
警察から伝えられたのは、4日後でした。

秋山秀子さん
「あの子が亡くなったことを体感してみたいと思うんですよ、上に行って。
もちろん供養にも。
あの子がどうやって亡くなったのかなって。」

息子が亡くなった場所へ

昨日(25日)秀子さんは、体が不自由な夫を残し、御嶽山へ向かいました。
2日がかりの登山。
この日は、立ち入り規制区域のすぐ外にある、標高2,800メートルの山小屋を目指します。
登山の経験は、ほとんどありません。

*秋山秀子さん
「あの子の時は本当に晴れていたので、きれいだったと思います。」

息子が見た景色を思い浮かべながら歩みを進めます。
しかし…。

「くらくらする?」

秋山秀子さん
「大丈夫です。」

「ちょっと座って休みますか?」

秋山秀子さん
「でも時間がないですよね。
頑張ります。」

午後5時。
日暮れ前に山小屋に到着しました。

秋山秀子さん
「疲れちゃって、もう何も考えられない。
息子もこうやって登ってきたんだなって思って。」

そして今日、午前10時30分、立ち入り規制が解除されました。

頂上が見えてきました。
息子の最期の場所は、もうすぐそこです。

秋山秀子さん
「ああ、ここなんだ。」

浩和さんが倒れていた、山頂近くの神社。
噴火の傷跡を、今も生々しく残していました。

浩和さんの好物だったという味噌味のそぼろを供えます。
その場を離れた時でした。

亡くなった息子の足跡を追い求めてきた4年間。
息子の最期の場所で、これまで止まっていた時間に、ようやく区切りがついたと感じています。

秋山秀子さん
「あの子がいたところに来たいって、私の願いだけなので、それでどうしようというでもないし、『ここで亡くなっちゃったんだね』『お母さん来たよ』ということは伝えました。
やっと来たなという感じです。」

規制一部解除

有馬
「噴火から4年。
登山道の安全対策が整い、ようやく立ち入り規制が一部解除されました。
ただ、突然の噴火が起きた場合に、どうやって登山者を迅速に避難させるのかなど、課題は残されています。」

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