2019年1月8日(火)

メダリストを追い詰めたのは

昭和39年、東京オリンピックの男子マラソンの映像です。
銅メダルに輝いたのが、円谷幸吉選手。
日本中から脚光を浴びることになります。
しかし、この3年後、円谷選手は自ら命を絶ちました。


円谷の兄 円谷喜久造さん
「精いっぱい頑張ってはいたんだが、本当は死ななくてもよかったんだけれど。」

有馬
「円谷選手が亡くなったのは、51年前の今日、1月8日です。
銅メダリストに何があったのか。
新たに見つかった写真や手紙から、その苦悩を追いました。」

東京五輪 銅メダリスト 円谷幸吉の素顔

リポート:斉藤隆行記者(社会部)

円谷の後輩だった、白倉和義さんです。
今回、テレビの取材に初めて応じました。
白倉さんに、東京オリンピック前の円谷の写真を見てもらいました。

そこには、どこにでもいる明るい青年の姿が写っていました。

円谷の後輩だった元自衛隊体育学校 陸上班 白倉和義さん
「懐かしい。
こんな茶目っ気があった。
練習は厳しかったが、いったん終わると人が変わったように優しくなってしまう。」

円谷幸吉 栄光から苦悩へ

円谷の運命を大きく変えたのが、昭和39年の東京オリンピックでした。
当時、自衛隊体育学校に所属していた円谷。
戦後初めて、オリンピックの陸上競技でメダルを獲得するという快挙です。
そして、レース直後のインタビュー。

円谷幸吉選手
「あと4年頑張って、メキシコで雪辱を果たしたい。」

このひと言が、その後の円谷の人生を大きく左右することになります。
メダリストとして、各地の行事に引っ張りだこになりました。
メキシコでのメダル獲得の期待が高まっていきます。

円谷が最も信頼を寄せていた、元コーチにあてた手紙です。
今回、新たに見つかりました。
そこには、急に脚光をあびて戸惑う円谷の姿がありました。

“私にも理解に苦しむものがあります。
とにかく余り振り回されぬ様、マイペースを固守するつもりです。”

さらに、ショックな出来事が起こります。
自身が望んだ結婚が、自衛隊幹部の反対により破談に追い込まれたのです。
当時、円谷が家族に宛てた手紙には、憤る気持ちがうかがえます。

“公私を混同された学校長のもとではやれない。
方々を引っ張り回して英雄視させるのです。”

追い打ちをかけたのが、持病の腰痛でした。
大会で結果も残せなくなりました。
メキシコオリンピックの前年。
腰の手術に踏み切ります。
その頃、円谷は学生時代の友人に手紙を出していました。

“お見舞いに来て頂いた時とは見違えるほど元気になり、治療に専念致しております。
走れそうにあっても見通し暗いです。
とにかく時間をかけて、焦らず一歩一歩進んでみます。”

円谷の、言葉にできなかった胸の内が感じ取れるといいます。

円谷が大学に通っていた頃の友人 神立修司さん
「たぶんここに書かれているように、順調に回復は本当はしていないんだなと。
『走れそうにあっても見通し暗い』と書かれているので、これが当時の円谷さんの本当の気持ち、心の持ち方だったのではないか。」

自衛隊で円谷の後輩だった白倉さんです。
円谷が自殺する前日、一緒にこんな写真を撮っていました。

「Vの字」の隊列。
オリンピックでの勝利を意味したものだったと、白倉さんは打ち明けました。

円谷の後輩だった元自衛隊体育学校 陸上班 白倉和義さん
「メキシコでVを飾ろうということで、要するに金メダルを狙おうと。
普通の円谷さんの笑いでなく、さみしそうな笑い。
よけい本人はプレッシャーを感じたと思う。」

24歳で勝ち取った、栄光。
円谷が自ら命を絶ったのは、それからわずか3年余り後のことでした。

東京五輪メダリストの苦悩 ライバルからのメッセージ

円谷の死を、当時のライバルはどう感じていたのか。

メキシコオリンピックの銀メダリスト、君原健二さん、77歳です。
円谷とは東京オリンピックの代表同士、合宿をともにした仲でした。
君原さんは、ある大会で一緒になった円谷が、控え室でもらした言葉を今でも覚えていました。

当時の円谷のライバル メキシコオリンピック銀メダリスト 君原健二さん
「『メキシコでもう一度メダルを取る。それが国民に対する約束だ』との言い方を記憶している。」

異常なまでの責任を背負い、悲壮感を漂わせて走る姿に、あの国立競技上で抜かれた負い目があったのではないかと感じています。

当時の円谷のライバル メキシコオリンピック銀メダリスト 君原健二さん
「国民の面前で抜かれてしまった。
強い責任感をもっておられた。
だから、もう一度国民におわびするために、メキシコでメダルをとらなくてはいけないと。」

円谷の自殺を知った当日の日記。
君原さんは、こう記していました。

“1月9日
円谷君自殺。
なんてかわいそうな英雄だろう。
オリンピックの民族の代表といえども個人だ。
民族の期待に応えようが応えまいがどうでもよい。
自分が競争したいから選ばれたのだから、勝手に競争すればよいのだ。
彼の死は、今のゆがんだスポーツのあり方に大きな波紋を投げるであろうが、ただすことはできないだろう。”

東京五輪 銅メダリスト 円谷幸吉 栄光から苦悩へ

有馬
「君原さんの日記、皆さんはどのように受け止められたでしょうか。
君原さんは半世紀前を振り返って、『自分は自分のために力を発揮しようと言い聞かせたことが結果につながった』と話しています。
ただ、代表として強い責任を感じていたともお話になっています。」

桑子
「来年(2020年)開かれる東京オリンピックでも、多くの期待、そして重圧が選手たちにかかります。
メダリストのメッセージ、今一度かみしめたいと思います。」

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