2019年2月21日(木)

元政府高官が語る“沖縄の苦悩”

アメリカ軍普天間基地の移設問題。
今月(2月)24日、辺野古沖の埋め立てへの賛否を問う県民投票が行われます。
その辺野古がある名護市では、22年前にも住民投票が行われました。

「不法侵入!」

「お父さんもう行こうよ。」

住民たちは賛否をめぐり、激しく衝突。
投票は、移設への反対が半数を上回る結果となりました。
しかし、その3日後。
名護市長は移設を受け入れる代わりに辞職するという異例の事態となったのです。
今回、当時の状況を直接知る元政府高官が、初めてカメラの前で告白しました。

沖縄 22年前の住民投票

桑子
「沖縄では、今度の日曜日に県民投票が行われますが、今日(21日)ご紹介するのは、22年前の住民投票を目の当たりにした元政府高官の証言です。」

有馬
「語ったのは、沖縄の人たちの苦悩でした。」

元政府高官の告白 “住民投票 おそれていた”

リポート:中村雄一郎(社会部)

元防衛施設庁長官の嶋口武彦さん。
当時、現地のトップとして沖縄に赴任しました。
普天間基地の移設を名護市辺野古で進めるため、地元との折衝を任されたのが、嶋口さんでした。
当時、名護市では辺野古移設の賛否を問う住民投票を求める動きが活発化。

嶋口さんは、辺野古への移設について水面下で協議してきた比嘉市長に対し、住民投票を行わないよう直談判しました。

元防衛施設庁長官 嶋口武彦さん
「おそれたんですよ、住民投票を。
普天間ももともとを言えば“銃剣とブルドーザー”でとられた。
そこで賛成・反対をやられたら、賛成なんてほとんどしてくれるとは思わない。
私は説明に行った。」

当時、防衛庁長官を務めていた久間章生さんです。
住民投票を行わないよう働きかけていたと言います。

防衛庁長官(当時) 久間章生さん
「だいたい意見が(政府内では)一致していた。
住民投票をやったら何が起こるかわからない、そういうことはするべきじゃないと。
その結果については拘束力はない、法的にも事実上も。
拘束力はないけれども、それを利用する人に有利になると。
政治は利用する側が上手に利用すれば、それは怖い。」

しかし、比嘉市長は市民の声を受け、住民投票の実施を決定したのです。

22年前の住民投票 基地移設めぐり“分断”

住民投票決定後、嶋口さんは移設先の辺野古地区やその関係先に日々、通い詰めました。
住民投票で反対が多数になっても、地元中の地元と言える地区に容認してもらうことで移設を進めるのが狙いでした。
地域振興などの要請にも、積極的に応じたと言います。

ところが、現場で目の当たりにしたのは、地域の分断でした。
移設に対する考えの違いで家族や友人の間でも対立。
基地負担に悩んできた沖縄で、新たな問題が生じたことを痛感したと言います。

元防衛施設庁長官 嶋口武彦さん
「『普天間返還』といえば、そのまま返してくれというのが沖縄県民の声。
私もよくわかる、そのことは。
『危険だからどこかへ移る』、それは東京のロジックだということ。
家族の間で口をきかないとか喧嘩になるなんて申し訳ない。
あちこちやっていたと聞いている。
それは申し訳ないと謝った。」

22年前の住民投票 “沖縄の苦悩”

そして、迎えた住民投票。
辺野古移設への反対が53%と、半数を上回る結果となりました。

普天間基地の危険性を除去するには、辺野古への移設しかないと考えていた嶋口さん。
その2日後、比嘉市長に会い、移設受け入れを迫ったと言います。
翌日、比嘉市長の姿は総理大臣官邸にありました。

名護市 比嘉鉄也市長(当時)
「ヘリポートを受け入れると同時に、私のこれまでの政治生命を終わらせたい。」

住民投票の結果とは異なり、受け入れを表明し、辞職したのです。
この直前、比嘉市長は橋本総理大臣に、古くから伝わる沖縄の歌・琉歌をその場で書いて渡していました。

“義理ん 背からん ありん捨てぃららん 思案てぃる橋ぬ 渡いぐりしゃ”

「義理か感情のどちらかを選ぶのは難しい」という意味でした。
歌にどういう思いを込めたのか。
これまで多くを語らなかった比嘉市長。
今回、私たちの取材にこう答えました。

“「義理」は地元に振興策を約束してくれた国に対するもの。そして、「感情」は住民投票で明らかとなった名護市民の気持ち。国に対しても義理がある。名護市民のことも捨てられない。橋本総理(当時)もかなり涙を流して泣かれた。このことについて、これ以上話すことはない。”

元政府高官の告白 “沖縄の苦悩”

あれから22年。
政府と沖縄県の対立が深まる中、県民投票によって、再び移設への賛否が問われることになりました。
政府は、県民投票の結果に関わらず、基本的に移設方針に変わりはないという考えを示しています。

移設を進めるために、地元と話し合いを続けてきた嶋口さん。
当時、痛感した沖縄の苦悩は今も変わっていないと感じています。

元防衛施設庁長官 嶋口武彦さん
「沖縄県民の気持ちは(簡単には)本土の人はわかりません。
あの苦しみ、悔しみね、ひどい目にあっている。
本当に心を割って腹を見せ合って話ができるのならいいが、私はずっとその仕事をしてきた、話し合い、全部。
話し合いしかない。」

22年前の住民投票

有馬
「県民投票が行われるのは、次の日曜日です。」

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