2019年2月26日(火)

“沈んだ島” 調査開始

桑子
「海に連なる岩のかたまり。
長崎県沖にあるこの岩礁、実はかつては700人が暮らす島でした。
しかし、昭和40年ごろ、沈んでしまったといいます。」

有馬
「島は、なぜ沈んだのでしょうか。
その原因を明らかにする専門家の調査が、今日(26日)から始まりました。」

沈んだ島の謎 京都大が調査開始

長崎市香焼町の沖合です。
京都大学の研究チームの調査が今日から始まりました。

京都大学防災研究所 山崎新太郎准教授
「海底の地形をスキャンしています。」

今は2つの岩礁が残るだけの「横島」。
かつて1つの島だったというのですが…。

沈んだ島の謎 地図に残る証拠

栗原望リポーター
「海に沈んだ長崎の横島。
国土地理院の地図で、どんな形だったのか確かめてみます。」

栗原リポーター
「国土地理院のデータベースで地図を見させていただいています。
こちらが現在の横島の様子です。
2つの岩礁に分かれている状況です。」

左側は、明治30年代の地図です。
そこには確かに1つの島がありました。

「これだと当時の炭鉱、鉱山のマークがついている。
建物もあったような感じ。」

栗原リポーター
「船ですね?」

「港もあった。」

栗原リポーター
「煙突?」

「煙突ですね。」

栗原リポーター
「人の営みが、かつてあったことを地図が証明している。」

“沈んだ島”横島 かつての栄枯盛衰

横島にはかつて、どんな人の営みがあったのか。
向かったのは、群馬県内にある古書店の倉庫です。

栗原リポーター
「書いてあります、郷土誌。
こちらに記述が。」

栗原リポーター
「これ見て下さい。
横島炭鉱、明治33年の写真です。」

大きな屋根と黒煙を上げる煙突。
横島で炭鉱が始まったのは、明治31年のことだといいます。

香焼町郷土誌より
“最盛期には130戸、人口は700を数え、明治33年1月には私立の横島小学校も創立された”

最盛期には、およそ700人が住み、小学校のほか病院も建設され、島は大きなにぎわいを見せていたと記されています。

しかし、島が栄えたのは、わずかの間でした。
思うように石炭が取れず、5年で閉山。
島民は次々と島を後にし、無人島となります。
その後、島は昭和40年頃に沈み始めたと書かれています。

香焼町郷土誌より
“山頂の西側の岩礁が徐々に海中に没し、山頂も傾斜し、少し沈下。山頂の東側も一部が水没して、2つの岩礁の横島になった”

郷土誌の横島の記述は、こんな文章で結ばれていました。

香焼町郷土誌より
“かつて、炭鉱の島として咲きに栄えた横島の運命は、あまりにも太くて短く、その末路が哀れでならない”

“沈んだ島”横島 海底に残る痕跡

リポート:館岡篤志(NHK長崎)

かつての横島の痕跡が海底に残されているのではないか。
特別な許可を得て潜りました。
水深5メートル。
岩のあちこちに見える丸い穴。
柱を立てるために開けた穴ではないかと考えられています。

岩の合間にあったのは、花瓶でした。
茶碗も。
明治の人たちの暮らしがあったことを伺わせています。

それにしても、島はどうして海に沈んだのか。
島の周囲を調べてみると、気になる地形を見つけました。
深さ20メートル、長さ数百メートルに及ぶ大きな「崖」です。
NHKの水中カメラが初めて捉えました。

崖の下には、崩れ落ちた岩が積み重なり、まるで大きな土砂崩れが起きたようです。

“沈んだ島”横島 その原因は…

大きな崖は、島が沈んだことと何か関係があるのか。
専門家に映像を見てもらいました。

長崎大学 後藤恵之輔名誉教授
「驚きました。
ちょうど滑って上に乗っかっていた土地が、ここに堆積している。」

「海底地滑り」という現象で島が沈んだ可能があるというのです。
「海底地滑り」は、地震などによって海底の土砂が一気に崩壊する現象です。
去年(2018年)インドネシアで起きた津波の原因の1つと考えられています。

今日から調査を始めた京都大学の山崎准教授。
岩には、大きな亀裂が入っているのが確認できました。

京都大学防災研究所 山崎新太郎准教授
「東西方向にこの島を割るような力が加わったんだと思う。
それが島を沈める力と関係しているとは思う。」

山崎准教授は、横島が沈んだ原因を特定することで、ほかの島での防災にも役立てたいと考えています。

京都大学防災研究所 山崎新太郎准教授
「この周辺は地滑りも多いし、かつて坑道あったところは崩壊して沈没する可能性も、今後、考えられるかもしれない。
そういったところの防災にも資すると考えている。」

沈んだ島の謎

有馬
「かつて人が暮らした島が海の底。
映像がきれいな分、かえってちょっと切ないなという感じはしました。」

桑子
「茶碗とか花瓶とかを見ると、じーんとするところがありました。
今回は防災のためだということですが、島の歴史も見えてくるのでしょうか。」

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