これまでの放送

2019年3月4日(月)

「定点映像」が記録した被災地の歩み

和久田
「8年前の津波で打ち上げられた大型船。
2年後、船の解体が始まりました。
今、大型船の跡地は、住宅や商店が建ち並ぶ、新たな町となっています。
長年、地域の人々に親しまれていた桜並木。
復興工事が進む中で姿を消していきました。」

高瀬
「東日本大震災から、まもなく8年です。
おはよう日本では、今週、さまざまな角度から被災地の今を伝えていきます。」

和久田
「今日(4日)は、定点映像で振り返る震災8年。
NHKは、震災直後から被災地のおよそ100か所で、同じ場所から撮影を繰り返し、8年間の変化をつぶさに記録してきました。」

高瀬
「定点映像には、被災地のどんな歩みが映し出されているのでしょうか。」

「定点映像」が記録した 被災地の歩み

リポート:小嶋陽輔(NHK仙台)

一面ががれきで埋め尽くされた8年前の宮城県南三陸町。
定点映像は、町が土台から作りかえられる変化を、記録していました。

震災発生の8か月後には、がれきが消え。
その5年後には、9メートルのかさ上げ工事が本格化。
そして、国道が整備され、震災6年で商店街が完成しました。

この映像では、画面中央にあった道路は右側に。

今度は左側に。
土地が整備されるまで複雑な工事が繰り返されていました。

そこにあったはずの、かつての町の面影。
人々の営みも、風景からは感じられなくなりました。

“震災を忘れてほしくない” 残り続ける建物

町の姿が変わっても残り続けるモノがあります。
岩手県・陸前高田市の定点映像に、ずっと記録されていたこの建物。

鉄筋・3階建ての米沢商会ビルです。
震災前は、包装用品や生活雑貨を販売する、地域に密着した店でした。
ビルの持ち主、米沢祐一さんです。
あの日、このビルを襲った津波の高さは15メートル。
米沢さんは、煙突の上で命をつなぎました。

米沢祐一さん
「このへりに手をかけて、壁に足を踏ん張って。
自分の足元より津波が来たら、こんなことをしても耐えられるわけがない。
そのまま、のまれて死んでしまう。
幸いなことに、ここまでしか津波が来なかった。」

震災を忘れてほしくない。
米沢さんは自らビルを保存し、あの日の体験を語り続けています。
米沢さんに定点映像で8年間を振り返ってもらいました。

米沢祐一さん
「変わらないのは、うちの建物だけなんだな。
(町が)どんどん変わってきて、昔の陸前高田が思い出せるものはうちの建物だけなんだな。
何もないこの場所にたくさんの人たちが住んでいて、たくさんの人たちがここで暮らしていたことも忘れてほしくない。
物言わぬ語り部ということ。
自分が話さなくても、建物がここにたっているだけで、当時のことや津波のことを無言のうちに語ってくれている。」

スタートラインに立ち 新たな生活へ

福島第一原発のある大熊町。
原発事故後、全町民が避難を余儀なくされました。
町中心部の定点映像は、8年たってもほとんど変わりません。

原発からおよそ7キロ離れた同じ町内の大川原地区です。
ここも長年荒れ地でした。

しかし、去年(2018年)この風景が変わります。
住民の帰還に向けて、災害公営住宅と商業施設の整備が始まりました。
この春、この地区で避難指示が解除される見通しとなったのです。

武内一司さん
「ここが第2の住みか。」

武内一司さん。
町外での8年間の避難生活を経て、今年(2019年)ここで新たな生活を始めます。
武内さんは、町でただ1つの喫茶店を経営していました。
しかし、原発事故による避難により、常連客とも離ればなれになりました。

避難指示解除の見通しがたった今も、町に戻る意思を示しているのは全町民の1割余り。
武内さんは、自らが店を再開することで、今後、にぎわいを取り戻して行く町の姿が記録されることを願っています。

武内一司さん
「今まで大熊町民にお世話になってここまできた。
まだまだなんだけど、スタートラインに立ってこれから1歩進むと思う。」

あの日から、まもなく8年。
それぞれが歩みを進める新しい町を、定点映像は記録していきます。

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