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2019年3月9日(土)

“あの日”の星空見上げて

小郷
「仙台市の天文台が、プラネタリウムで、8年前の3月11日の星空を再現したものです。
あの日の夜は、広い範囲で停電が発生し、ふだんは町のあかりにかき消されて見えない星が、空一面に輝きました。
天文台では、1年をかけて被災した人々に話を聞き、その思いを星空にのせて朗読するプログラムを今月(3月)完成させました。」

星空で伝える思い

“この星空には、多くの震災の記憶が刻まれています。”

津波で自宅を流された女性
“震災当日の夜、30畳ほどのセンターの中は、あふれるほどの避難民だった。
ふと夜空を見上げた私は、星の美しさに息をのんだ。”

妻を亡くした男性
“『一番きれいな星がママだよ』。
私は、2人の息子にそう言って聞かせました。
『ママはね、星になったんだよ』。
それからというもの、子どもたちは一生懸命、明るい星を探すようになりました。”

プログラムを制作した仙台市天文台の職員、大江宏典さんと高橋博子さんです。
巨大津波が押し寄せた町で、人々はどんな思いで夜空を見上げたのか。
星空を通してこそ伝わることがあるのではないかと取り組んできました。

仙台市天文台 大江宏典さん
「震災が契機となり、星を眺める人が多かったのは驚きだった。
僕らもそれと対じして、星空とともに何を伝えていくか。」

大江さんたちが真っ先に話を聞きに行ったのは、宮城県石巻市で暮らす阿部任さんです。
阿部さんは、あの日、自宅で津波に襲われ、倒壊寸前の部屋から出られなくなり、長時間、命の危険にさらされ続けました。

奇跡的に救出されたのは、9日後。
運ばれた病院のベッドで阿部さんが語った言葉は、「星がきれいでした」。
壮絶な体験の直後、星のことを口にした阿部さん。
閉じこめられた部屋の隙間から唯一見えたのが、星の光だったからだといいます。

阿部任さん
「日が暮れると、とにかく寒い。
部屋の中につららができるくらい。
状況は救いようのない状況だった。
やることは星をみることしかなくて。
死にたくないので頑張るしかない、怖いと思わないように星を見る。
自分は星に助けられた、気持ち的には救われた。」

あの日から8年。
星空に支えられ生きてきたという人もいます。
石巻市で暮らす、今野初美さんです。
最愛の娘と孫を、突然、津波でなくしました。

娘の春菜さんと4歳だった孫の杏ちゃん。
春菜さんは杏ちゃんを幼稚園に向かえに行き、避難する途中で津波に巻き込まれたといいます。
今野さんにとって、星空が特別なものになったのは、震災のひとつき後に偶然目にした、ある記事がきっかけでした。

今野初美さん
「『星空は亡き人が迷わず天国へ行けるように』と書いてあった。
だったら、あの子たちもきっと…。」

2人を天国に導いてくれたであろう星空。
今野さんは、毎晩星空を見上げるようになりました。
娘と孫の姿を星に重ね、見つめる時間が今野さんを支えています。

今野初美さん
「星空を見上げて、ほとんど365日見上げて、(杏ちゃんに)『ばっぱだよ』だよとか言って、星がたまに光るんですよ。
(2人が)見てるねって思う。」

ようやく完成したプログラム。
話を聞かせてくれた人たちは、100人を超えました。
星空にこめた、人々の8年間の思いです。

妻を亡くした男性の言葉
“もしもあの夜、星のない暗闇だったら、不安と深い悲しみに襲われていたのかもしれない。
星になったお母さんが、子どもたちのさみしさを和らげてくれた。”

部屋に閉じこめられた、阿部さんの言葉です。

阿部任さんの言葉
“あの夜は、多くの人が星を見つめていたそうです。
それなら僕も、その中の1人にすぎない。
『震災の夜は星がきれいだったね』。
誰かにそう言えるだけで、僕は少しホッとするのです。”

今野初美さんの言葉
「私は夜になると、星を探すようになりました。
ご飯を食べてからパジャマに着替えて、家のまわりをぶらぶら歩きます。
光る星があれば、春菜かな、杏かなと思います。
雨の夜は『雨だね』と空を眺め、雪の夜には、『雪が降っているよ』と空を眺める。
これまでずっと、毎晩のように。」

語りきれない8年の歳月がつまったプログラム。
星でしか伝えられない思いがあふれています。



小郷
「『震災のことは話せない』という人でも、星空のこととなると、自然と言葉が出てくるのだそうです。
仙台市天文台では、こうした人々の思いを伝え続けていきたいということです。
このプログラムは、今日(9日)から全国13か所のプラネタリウムなどで上映されます。」

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