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2019年3月10日(日)

記憶伝える“震災遺構” どう残し 伝えるのか

小郷
「震災の風化が懸念される中、それをどう食い止めるのか。
新たな試みが始まろうとしています。
気仙沼市の上空から中継です。」

宮城県気仙沼市の階上(はしかみ)地区です。
200人余りが犠牲になりました。

一帯は、現在もかさ上げや防潮堤の工事が続いています。
震災の爪痕を残す建物も少なくなり、さら地が目立つ状態です。
そんな中、今も震災当時の姿のまま残された建物があります。
気仙沼向洋高校の旧校舎です。

震災の記憶を風化させないため、建物を「遺構」として残すことが決まり、今日(10日)、初めて一般に公開されます。

報告:五十嵐康仁(NHK仙台)

津波の恐ろしさを伝える“震災遺構”

勝呂恭佑アナウンサー(NHK仙台)
「その気仙沼向洋高校の旧校舎です。
壁は大きくえぐられています。
校舎は4階建てで、津波はその4階部分、高さ12メートルまで達しました。
このあと午前9時半の開館を前に、特別にお邪魔しています。

ここは校舎の1階です。
こちらは、事務室として使われていた部屋です。
床には流されてきた木などが散乱しています。
窓は津波によって大きく壊され、全くない状態です。

隣の部屋を見ていきます。
こちらは校長室だった場所で、その面影はありません。
天井を見ると、照明器具がだらんとぶら下がっています。
時折吹く冷たい風に揺らされています。

この震災遺構の最大の特徴は、『震災当時の姿をできる限り残している』ことなんです。
そこには、津波による被害を二度と繰り返したくないという、地元の人たちの危機感があります。
地震発生時、校舎にいたおよそ170人の生徒は高台に避難。
一部残った教職員などは屋上に避難し、全員が一命をとりとめました。
この校舎を残していくことで、津波の恐ろしさを後世に伝えようと地元の人たちは考えました。
しかし、残すのは容易ではありません。
こちらは、自治体が保存を検討した『震災遺構』を示したものです。

すでに公開されているのは、岩手県宮古市の『たろう観光ホテル』、そのほか東松島市の『旧野蒜駅』、仙台市の『荒浜小学校』などです。
また、保存が決まっていて、今後どう公開するかの検討が進んでいるのが、宮城県石巻市の『旧大川小学校』や『旧門脇小学校』です。

一方で、岩手県大槌町の旧役場庁舎などは、多くの建物は震災から8年がたつ中で、すでに解体されました。
そこにはどんな理由があるのか、震災遺構を残す難しさを取材しました。」

消える“津波の爪痕”

震災遺構として残そうとしたものの、解体せざるを得なかった建物があります。
宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区。
この地区でかまぼこ工場を経営していた、佐々木直哉さんです。

佐々木直哉さん
「いろんな思いが詰まってますね。」

津波の被害を受けた工場を、震災遺構として残したいと考えていました。

佐々木直哉さん
「(現物が)あれば、ここまで来たんだ、実際こういうことがあったんだと。
あることを忘れますからね。
津波が来たこと自体が、わかんなくなっちゃうからね。」

あの日の津波で、工場は1階の天井部分まで浸水。
佐々木さんは被害の大きさを伝えるため、およそ200万円をかけて危険物などを撤去し、当時のままの状態を維持してきました。
建物が次々と取り壊される中、唯一、震災遺構の候補として残されていた工場。
名取市は保存の検討を始め、佐々木さんもそれを望んでいました。

ところが、市が住民に意見を募ったところ、「民間企業の建物を税金を使って残していいのか」などと、異論が寄せられたのです。

名取市 総務部 小平英俊次長
「民間の建物に公費を使ってですね、それを維持していくことについてどうなのか。
使うのであれば、復旧、復興の予算に回すべきではないかと。」

そして、去年(2018年)11月。
工場は解体せざるを得ませんでした。

“震災遺構” 自力で残す試み

震災を伝える多くの建物がなくなる中、民間で独自に残すことを決めたケースもあります。
南三陸町。
地元のホテルが所有する元結婚式場です。

建物を所有するホテル 伊藤俊さん
「ここが美容室。
大きい鏡がそのまま残っているのが、はっきりわかります。」

跡形もなく壊れた衣装室。
15メートルもの津波に襲われ、4階建ての3階まで浸水した当時の様子がそのまま残されています。
ホテルは、津波の記憶を伝えていくためにと、この建物の保存を町に提案しました。

しかし、問題が持ち上がります。
国の方針では、建物を震災遺構として残す場合、復興交付金を保存費用に充てることができるのは、1自治体1か所に限られていたのです。
南三陸町では、多くの人が亡くなった町の防災対策庁舎を遺構として残すことが検討されているため、保存対象とはなりませんでした。

ホテル側は自力で残していくことを決断したものの、さらに大きな課題に直面します。

建物を所有するホテル 伊藤俊さん
「これもやがて、さびてくるはずなので。」

見学者を安全に誘導するための建物の補修やがれきの撤去に、ばく大なコストがかかるのです。
維持費を含めると、ホテルにとって大きな負担です。

建物を所有するホテル 伊藤俊さん
「当時、解体するだけでも数億円かかるといわれた。
残していくのも同じくらいかかるんじゃないかな。」

「語り部バス、出発してまいります。」

こうした中、ホテル側が始めたのは、多くの人に見てもらうことで遺構の必要性を感じてもらう取り組みです。
この日、訪れたのは福岡から来た高校生。
建物を案内し、理解を深めてもらいます。

建物を所有するホテル 伊藤俊さん
「結婚式場ですよ、もともと。
津波で壊された、廃虚みたいな怖い建物にしか見えないかもしれない。
うれしい時間とか笑顔の時間、幸せな時間があった場所だった。」

福岡から来た高校生
「実際来てみてすごい、8年たった今でも変わらないんだな。」

福岡から来た高校生
「津波の力で残った傷跡は、テレビで見るよりもずっと怖くて、想像を絶していた。」

参加費は500円。
維持費には遠く及びませんが、こうした取り組みが、建物を残し、記憶の風化に歯止めをかけることにつながると考えています。

建物を所有するホテル 伊藤俊さん
「残っているから、いろいろ考えることができる。
何も見えないと、そこで何か思うことも終わりがち。
建物があると、いろんなことを見つけられる。
気づく、時間がたってからも。
つらくても、しんどくても、まずは続けようと。」

報告:平山真希(NHK仙台)

震災の教訓 記憶を伝えていくために

勝呂
「今日、震災遺構として公開される気仙沼向洋高校の旧校舎、3階に上がってきました。
ここからは、8年前に津波を引き起こした海が見えます。
あの日、この海から、津波がさまざまなものを巻き込みながら、この校舎に向かってきました。
ベランダは大きく壊れています。

そして、こんなものも流れ着きました。
車がひっくり返った状態です。
およそ8メートルのこの高さまで持ち上がって、教室の窓やベランダを壊して中へと入ってきました。
静かに津波の脅威を伝えています。

被災した方の中には、こうしたものを見ると、当時のつらい記憶がよみがえってつらいという方もいらっしゃいます。
実際に、気仙沼市によると、この校舎を残すにあたっては、地域の方にもさまざまな思いがあったということです。
ただ、議論を経て、その後、公開・保存が決まりました。
その議論を見守ってきた、震災遺構・伝承館 館長の佐藤克美さんです。
改めて、この地域では、なぜこの校舎を残すということになったのでしょうか?」

気仙沼市 震災遺構・伝承館 佐藤克美館長
「ここは地元の方々、階上地区の方々が、この校舎を震災遺構として残して、津波の怖さを伝えていきたいという思いから残しています。」

勝呂
「この施設について、一番何を伝えていきたいですか?」

気仙沼市 震災遺構・伝承館 佐藤克美館長
「ここでは、家族、友人、そして生徒の学び舎を一瞬にして奪っていった津波の怖さを皆さんに伝えていきたいと考えております。」

勝呂
「この施設では語り部などの活動もされるということですが、そうしたところにも触れていただきたいですね。」

気仙沼市 震災遺構・伝承館 佐藤克美館長
「多くの階上地区、地元の方々にも語り部となっていただいて、この校舎を皆さんで回り、いろいろなことを語っていただきたいです。
杉ノ下地区や岩井崎などにも、さまざまな物語がありますので、そこを皆さんに聞いていただきたいと思います。」

勝呂
「東日本大震災から8年、震災遺構を今後どう生かしていくかが問われています。」

新井
「明日3月11日は、福島県富岡町からの中継などを交えて、震災から8年となる被災地の今をお伝えします。」

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