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2019年3月11日(月)

待ちわびた学校再開 子どもがいる3.11 / 進まぬ生活再建

待ちわびた学校再開 子どもがいる3.11

和久田
「震災8年の今年(2019年)、特別な3月11日を迎える福島県富岡町の学校に高瀬キャスターが行っています。」

高瀬
「富岡小中学校です。
原発事故による避難指示が解除されて、去年(2018年)4月にこの学校が再開されました。
こちらをご覧ください。
窓に子どもたちが思い思いに描いたイラストや言葉です。
この中で、こちら『自分の命は自分で守る』。
月1回の防災授業を通して学んだ教えを、子どもが自ら選んでここに描いたということです。

今日、3月11日は、学校が再開されたあと、子どもがいる中で迎える特別な3.11ということになります。
このあと8時過ぎに子どもたちが登校して、ここは多目的スペースと呼ばれていますが、ここで震災に関する特別授業が行われることになっています。
廊下をはさんで、子どもたちが学ぶ教室が並んでいます。
再開されたとはいえ、まだまだ小規模です。
現在、小学生が17人、中学生が6人です。
この中の小学校の3、4年生の教室に入ります。

複式学級で学んでいるのですが、ちょうど三学期も間もなく終わる時期で、終業式や卒業式を控えています。
この1年間学んだ中で、子どもたちが残した作品や目標などが掲示板に張り出されています。
学校において、当たり前の風景がここにも戻ってきたということなのです。
ちょうど1年前、私、まさにこの教室から中継でお伝えしました。

このときは、まだ黒板も設置されたばかりの新品。
そして、棚にもまだ何もない状態でした。
学校が再開されるとはいっても、一からのスタートだったのです。
待ちに待った学校の再開。
けれども、本当に子どもたちが通ってきてくれるのか。
また、1年を通して楽しく学び続けてくれるのか。
そこには大きな期待と不安がありました。」

子どもの姿が戻った町 原発事故を乗り越えて

今月(3月)上旬。
1年ぶりに富岡町を訪ねました。
現在の住民は877人。
原発事故前のおよそ20分の1ですが、この1年で倍増しています。
去年は見ることができなかった小さな子どもの姿もありました。

高瀬
「こちらの公園では、富岡に戻ってくる子ども、それから新たに移り住む子どものために、このように遊具を設置する工事が行われています。
ブランコや滑り台、ベンチなどが設置されるということです。」

そして、学校に行ってみると…。

高瀬
「こちらから子どもの声が聞こえてきます。
グラウンドに子どもたちいますね。
サッカーやっています。」

通っているのは23人の子どもたち。
人数は少ないですが、みな元気いっぱいでした。

高瀬
「学校が楽しい人?」

子どもたち
「はーい!」

去年4月、富岡の人たちは学校の再開を待ち望んでいました。
開校式に駆けつけたのは、およそ1,000人。
子どもたちを大歓迎します。

それ以来、子どもたちは、町一番の人気者に。
イベントが開かれるたびに引っ張りだこになりました。

実は、子どもたちのほとんどは富岡にゆかりがありません。
親の仕事の関係などで移住してきました。
そのため学校では、さまざまな工夫をしています。
こちらはテレビ会議システムを使った、他の地域の学校との「合同授業」。
数多くの同学年とつながる機会を作りました。

そして、給食もひと工夫。
毎日、小学生と中学生全員が集まって、教員も一緒に食べています。
学校が1つの家族のようになることを目指しています。

生徒
「先生、手を洗いましたか?」

先生
「洗ってきました。」

高瀬
「どんなお兄ちゃん?」

小学1年生
「優しいお兄ちゃん。」

1年前はお互いほとんど見ず知らずだった子どもたち。
今は、笑顔あふれる日々を過ごしています。

小学4年生
「みんなと仲よくできて楽しい。」

小学6年生
「学校に来るととても明るい感じで、楽しくていつもわくわくしている。」

そんな子どもたちに、富岡の人たちも勇気づけられています。
この日は、小学生たちが地域の高齢者などを学校に招き、交流会を開きました。
招待された1人、伊藤ヒデさんです。
避難指示が解除されて、すぐに富岡に戻ってきました。

小学3年生
「生まれたところはどこですか?」

伊藤ヒデさん
「富岡の小良ヶ浜、今は帰れない。
校歌にもある。」

積極的に話しかけてくれる子どもたちから元気をもらっています。

伊藤ヒデさん
「震災前は孫もすぐそばにいて、ふれ合っていたが、今は離れ離れ。
子どもの姿を見るのは本当にいい。」

現在、災害公営住宅で夫と2人暮らしの伊藤さん。
地域に子どもがいることの大切さを改めて感じるといいます。

伊藤ヒデさん
「やっぱり子どもたちが一番。
子どもたちもこうやって元気にやっている。
私たちもそれと一緒に少しでも力になれればと思って暮らしている。」

富岡に戻ってきた子どもたちの姿。
町が1歩ずつ前に進む力になっています。



高瀬
「小学校の岩崎秀一校長に来ていただきました。
1年ぶりでございます。」

富岡第一小学校 校長 岩崎秀一さん
「1年ぶりですね。」

高瀬
「再開から1年たちました。
いかがでしょう?」

富岡第一小学校 校長 岩崎秀一さん
「4月に撮った集合写真と、最近撮った集合写真を見比べるんですけれども、子ども表情が違うんです。」

高瀬
「非常にのびのびと学んでいるなという印象を受けたのですけれども、地域の皆さんからも本当に歓迎されていますね?」

富岡第一小学校 校長 岩崎秀一さん
「本当に学校に来ることを楽しみにしている人がたくさんいます。」

高瀬
「地域における学校の存在というのは大きいということですか?」

富岡第一小学校 校長 岩崎秀一さん
「そう思います。」

高瀬
「今、小中あわせて23人ということですが、この教室でこんなものを見つけました。
子どもが残しているメモなんですけども、『富岡町に人が増えるといいな』と書いてあるんです。
岩崎さん、まだまだこの町に多くの人が戻ってきていない。
そして、この学校で学ぶ子どもたちもまだまだ少ないといった中で、学校としてできること、これからやっていこうとしていることはどういったことですか?」

富岡第一小学校 校長 岩崎秀一さん
「この学校で学ぶ子どもたちが一生懸命に頑張っている姿を見ていただければ、もしかすると、富岡町に戻ってきてくれる人が増えるかもしれません。」

高瀬
「『お、富岡、元気出てるな』ということでですね。
今日は3月11日ということで、初めて学校再開を迎えますけれども、今日は岩崎さんとしては、どんなことを子どもたちに伝えようと思っていますか?」

富岡第一小学校 校長 岩崎秀一さん
「ここにいる子どもたちは、震災の記憶がほとんどありません。
でも、富岡町に住んでいます。
だからこそ、あのとき何があったのかという事実をしっかりと伝えるとともに、防災教育、放射線教育にも力を入れていきたいなと思っています。」

高瀬
「岩崎さん、ありがとうございました。
今回、1年ぶりに富岡町にお邪魔して、本当にうれしかったです。
学校だけではなくて、町中でも子どもたちの元気な声、それから元気な姿を見たり聞いたりすることができました。
この富岡町の原発事故による困難、それから課題は今も長く重く続いていますけれども、確かに前に進んでいるという一歩、それから希望と思える一歩をここで感じられることを、この機会に全国の皆さんにも知っていただけたらと思います。」





東日本大震災8年 進まぬ生活再建

岩野
「東日本大震災から8年たった今も、被災者の生活再建は道半ばであることがNHKのアンケート調査でわかりました。」

和久田
「岩手・宮城・福島の被災者などに震災や原発事故による収入への影響を聞いたところ、震災前と比べて収入が減ったという回答が53.9%と、半数以上を占めました。」

岩野
「なかでも高齢者の間でこの割合が大きくなっていて、震災後の生活環境の変化に適応できず、厳しい暮らしを強いられている現状が浮き彫りとなっています。」

生活再建 道半ば 取り残される高齢者

リポート:高杉北斗

宮城県石巻市の尾形勝壽さん、73歳です。
移動販売車で焼きそばを売るほか、月々6万円の年金で暮らしています。

尾形さんの妻、きみ子さんは津波に巻き込まれ、今も行方がわかっていません。
震災前は月50万円の売り上げがあった夫婦の店も全壊しました。

一度は廃業も考えた尾形さんですが、地元の復興に貢献するため、移動販売車で営業を再開しました。

尾形勝壽さん
「“お父さん、店やってよね”という感じがして、かあちゃんの後押しがあったからできた。」

震災後数年間は、全国各地で開かれる復興イベントで営業したほか、被災地に来る人たちに焼きそばを販売。
売り上げが月20万円に上ることもありました。

尾形勝壽さん
「被災地を見に来る人がたくさんいた、全国から。
観光客がバスで来るときに、“焼きそば30個作ってください”と注文があった。」

しかし今、尾形さんが焼きそばを作る機会は激減しています。
この日は2か月ぶりの営業。
震災から8年がたち、移動販売車を出せるイベントが減っているのです。

尾形勝壽さん
「(これまで)土日はずっと(営業日に)丸印がついていた。
5月の連休はまだ(予定が)入っていない。
稼ぎたいと思っているんだけど。」

営業したくても思うように営業できず、先行きに不安を感じています。

尾形勝壽さん
「大変だ、今から頑張って生きていくの、年が年だし。
どうやっていくかというのが今の悩み。」

進まぬ生活再建

岩野
「収入の減少に悩む尾形さんのような人たちにとって、さらに大きな問題になっているのが『災害援護資金』の返済です。」

和久田
「『災害援護資金』は被災者が生活を再建するための資金として、自治体が最大で350万円を貸し付ける制度で、岩手・宮城・福島の3県では、およそ2万8,000件の貸し付けがあります。
しかし今、多くの人たちが返済の時期を迎えていて、暮らしの負担となっています。」

災害援護資金 返済したくても…

リポート:野島裕輝

阿部徳子さん、67歳です。
災害公営住宅で1人暮らしをしています。
石巻市の自宅は震災の津波で全壊。
家財道具や車などもすべて流されました。

阿部徳子さん
「お金を借りてる、震災で。」

震災から2年半後。
阿部さんは、仕事などに使う車を買うため、「災害援護資金」を利用し、150万円を借りました。

阿部徳子さん
「若いときの借金は怖くない。
年をとってからの借金は怖い。
でも、あのときは絶対必要なお金だった。」

震災後、阿部さんがなんとか収入を得ようと始めたのが居酒屋でした。
得意な料理の腕を生かし、月の利益はおよそ10万円。
しかし、地元・石巻市から店がある仙台市まで、1時間半かけての通勤は体力的にも厳しく、去年、店をたたみました。

この先の収入をどう得るか。
悩んだ末にたどりついたのが、飲食店での経験も生かせる民宿を始めることでした。
知人から地元の古民家を安く買い上げ、今、準備を進めています。
しかし、建物の補修などに予想外の費用がかかることがわかり、開業の見通しは立っていません。

阿部徳子さん
「できるだけ早いうちにやりたい。
やらないことにはどうしようもない。」

借り入れた「災害援護資金」はすべて使い果たし、貯金も底をついた阿部さん。
今年10月から始まる返済までに、収入を確保しなければなりません。

阿部徳子さん
「やっぱり一文無しだから。
もし(返済を)後にできるんだったら、後にしてもらったほうがいい。
それができるんだったら。」

進まぬ生活再建

岩野
「この『災害援護資金』は、申請があれば返済猶予の期間を延長することもできるということです。
自治体では、返済が難しい場合は、そのための手続きを行うよう呼びかけています。」

和久田
「こうした自営業などで年金が少ない高齢者を中心に、多くの人があの日から8年たった今も生活の再建を果たせないままです。
そうした人たちが安定的に収入を得られる場を確保するためにも、被災地の産業面での復興が待ち望まれています。」

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