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2019年3月17日(日)

東日本大震災8年 浪江町 “闘う町長”の遺志

新井
「東日本大震災と原発事故から8年。
福島県浪江町では、震災で多くの命が奪われ、原発事故ですべての住民がふるさとを追われました。
今も、山間部を含む町の8割の地域で住むことができないままです。」

小郷
「その浪江町で、当初から復興の先頭に立ってきた町長が、去年(2018年)亡くなりました。
その遺志は、町の人たちに引き継がれていました。」

“闘う町長” 後悔と葛藤

浪江町に去年開校した学校です。
1年近く経ってようやく校歌が完成し、昨日(16日)披露されました。

♪“虹をかけたい なみえの朝だ
創成のとき”

町に子どもたちが戻ってくることを待ちわびていた人がいます。
震災と原発事故の発生当初から、町長として指揮を執ってきた、馬場有さんです。
住民の代表として、国や東京電力に厳しく対じしてきました。

福島 浪江町 馬場有町長(当時)
「私どもが避難する時点で連絡がなかった。
本当にはらわたが煮えくり返る。
私は許すことができません。」

その姿勢から、「闘う町長」と呼ばれていました。

当時、秘書として行動をともにしていた、清水中さんです。
厳しい姿勢の背景には、馬場さんの深い葛藤があったと明かしてくれました。

当時の秘書 清水中さん
「自分が失敗したという自責の念と、何とか打開したい気持ち。」

事故の直後、馬場さんは国や東京電力から十分な情報がない中、自らの判断で避難を指示しました。
できるだけ原発から離れようと、30キロほど離れた同じ町内の津島地区に誘導し、およそ8,000人が身を寄せました。
しかし、当時この地区で、周辺より高い放射線量が予測されていたことを、その後、知ったのです。

さらにもう1つの後悔が、原発を推進してきた自らの姿勢でした。
町は福島第一原発とともに、地元に計画された別の原発の新設も受け入れていました。
馬場さんは、その方針を引き継いでいました。
住民を被ばくの危険にさらし、自分も容認した原発で、町の存続さえ危うくさせてしまったことを、ずっと後悔していたというのです。

当時の秘書 清水中さん
「“原発はだめだ”とは誰も言えない状態だった。
災害を起こした瞬間に、馬場町長は“しまった俺が…やはりそうだったか”と。
“(町民に)無用の被ばくをさせたのではないか”。
責任感の塊のようになった。」

ふるさとを守る “町のこし”

そうした中で、おととし(2017年)、ある方針が国から示されました。
一部の地域の避難指示を、国が解除するというのです。
実現すれば、全国に避難した住民が町に戻り、復興の足がかりになります。
馬場さんは住民の意見を直接聞こうと、全国10か所で開いた懇談会に足を運びました。

しかし、町民から上がったのは、否定的な声ばかりでした。

町民
「企業には人が来ない状況。」

町民
「生活用品が手に入らなくては帰りづらい。」

副町長として馬場さんを支えた、本間茂行さんです。
国の方針通り、住民に戻ってもらうのか、不安が解消されるまで避難を続けるのか。
2つの選択肢の間で、馬場さんは迷っていたといいます。
判断を後押ししたのが、住民の声を集めたアンケートでした。

“今すぐ帰りたい”。
“ふるさと浪江をなくすわけにはいかない”。
どんな厳しい状況でも、半数以上の住民が「いつか町に帰りたい」という思いをいだいていたことが分かったのです。

福島 浪江町 本間茂行副町長
「馬場町長の中では確信を得た。
“浪江を廃れさせない、残すためには、今、決断が必要だ。帰って、先駆者(パイオニア)として、まずやっていくんですよ。そして皆さんを迎えるように頑張っていきます”と言っていた。」

避難指示の解除を受け入れた馬場さん。
町に戻るにあたり、掲げた言葉があります。

福島 浪江町 馬場有町長(当時)
「“町のこし”をし、町を創建するという断固たる決意のもと…。」

「町のこし」。
避難が長期化しても、住民のよりどころとなるふるさとを守りたいという思いが込められていました。

住民の足となる鉄道の再開。
さらに、新たな小中学校の開設。
住民の帰還を促す環境作りを、1つずつ進めてきました。
しかし、その矢先の去年6月。
馬場さんは、がんのために亡くなりました。

引き継がれる遺志

震災と原発事故から8年、町には900人余りが戻り、徐々にですが、その数も増えています。
住民たちの交流イベントも、定期的に開かれるようになりました。

住民
「6年間まるまるストップしていたが、毎日毎日動いていて、進んでいると感じる。」

秘書として馬場さんを支えた、清水さんです。
今は、町の産業分野の責任者として復興に関わっています。

福島 浪江町 産業振興課 清水中課長
「一歩踏み出したということだから、馬場町長に“やりました”とまだまだ報告できる段階にない。
なんとかこの部分は成し遂げましたということを報告したい。」

副町長として、馬場さんを支えた本間さんです。
今進めているのは、馬場さんが誘致した、水素を製造する工場の整備です。
新たな雇用の受け皿としても期待されています。

福島 浪江町 本間茂行副町長
「町長が非常に重要視したプロジェクト。
なおさら気合いが入る。」

昨日開かれた、新しい学校の校歌のお披露目会です。
本間さんも役場を代表して参加しました。

♪“虹をかけたい なみえの朝だ
創成のとき”

福島 浪江町 本間茂行副町長
「町長は“種はまいた、花を咲かせるように頑張れ”。
馬場前町長が言っていた“町のこし”、子どもがいなければありえない。
子どもが戻ってくる町づくりに貢献したい。」

馬場さんが亡くなっておよそ9か月。
町の復興はまだ道半ばですが、馬場さんの遺志は引き継がれ、少しずつ芽吹き始めています。

報告:佐藤志穂(NHK福島)

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