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2019年5月21日(火)

復興支援 どう生かす日本の知見

2015年4月、ネパールを襲った大地震。
100万棟もの建物が倒壊し、およそ9,000人が犠牲になりました。
その直後から、日本は救助活動を開始。
その後、住宅の復興に力を注いできました。
しかし、地震から4年。
現地の取材を通じて、日本の支援が必ずしも行き届いていない実態が浮き彫りになっています。
数々の災害を経験してきた日本の知見がなぜ生かされていないのか、現地からの報告です。

ネパール大地震から4年 復興支援 日本の模索

リポート:道下航(国際部)

ネパールの首都・カトマンズです。
各国からの支援で、今、寺や学校などの公共施設が次々と再建されています。
一方、復興が滞っているのが、住宅です。
4年前の地震では、建物の5軒に1軒が倒壊し、被害を受けた住宅の半分が再建できていません。

震災直後から復興を支援してきたJICA=国際協力機構の永見光三さんです。
再び地震が起きても同じような被害が繰り返されないよう、地震に強い住宅の再建を呼びかけてきました。
耐震住宅は、一般的な住宅の2倍にあたるおよそ70万ルピー、日本円で70万円ほどかかります。
そこで、耐震住宅を建てる人には、その費用の半分ほどを補助することにしました。

JICA(国際協力機構)職員 永見光三さん
「『単なる元に戻す復興じゃだめだ』と、必死に訴えなくてはいけない立場だった。」

しかし、補助金の制度を作っても、地震に強い住宅は思うように普及していません。
農業を営むパンデイさんです。
1年前、補助金をもらい、住宅の再建に乗り出しました。
パンデイさんは、補助金では足りない費用は友人から借金するなどして工面しようとしました。
ところが、集めたお金で造ることができたのは、住宅の基礎部分だけでした。

今も、仮住まいのトタンの家での暮らしから抜け出せずにいます。
劣悪な環境のため、家族も体調を崩すようになりました。

ウッタム・ラージ・パンデイさん
「私は地震に強い家に住みたいと思っただけ。
しかし、借金を返していないので、これ以上、誰も貸してくれない。」

日本からの支援の窓口になった、ネパール政府の元高官、シャハ・ラビさんです。
地震で財産や仕事を失い、日々を生きるのが精一杯の人たちに、日本が求めるような住宅を再建させるのは容易ではないといいます。

ネパール政府 元高官 シャハ・ラビさん
「ネパールで耐震住宅をどうやって普及させるのか。
地震で、さらに70万人が貧困になってしまった。」

限られた資金で、どうすれば地震に強い住宅を建てられるのか。
JICAは、人々が置かれた現状と改めて向き合うことから始めています。
再建が進んでいない地域を訪ねたところ、山間部では輸送のコストがかかり、建設資材が高騰していることが分かりました。
そこで、レンガなどの資材を地域で共同購入することで、建設費用を低く抑える仕組みを、住民たちと一緒につくりました。
日本が目指す復興の形をどう実現していくのか、支援の現場では今も模索が続いています。

JICA(国際協力機構)職員 永見光三さん
「『こういうやり方です』と言うだけでは、効果はなかなか発揮できない。
寄り添い方によって効果が大きく違ってくる。」

現地の実情に寄り添う支援を

和久田
「取材した、道下記者です。
多くの災害を経験してきた日本が、復興支援の分野でミスマッチという壁にぶつかっているというのは意外でした。」

道下航記者(国際部)
「日本は多くの地震から復興を進めてきた経験をもとに、ネパールがよりよい形で復興できるよう、積極的な支援を行ってきました。
しかし、日本の『地震に強い家を作る』という理想に対し、資金が工面できないといった現地の厳しい現実との間に大きな溝があると感じました。
日本も支援を前に、現地政府と何度も議論を交わしてきましたが、その段階で溝を埋めることはできなかったんです。
支援を受ける側とのこうした溝をいかに埋めていくかが、日本に問われていることだと思います。」

高瀬
「その理想と現実の溝は、ネパール以外でもあるのでしょうか?」

道下記者
「日本のODA=政府開発援助は、かつて、アジアや中南米の途上国で、道路や港などの整備にあてられながら、実際にはあまり利用されないなど現地のニーズにそぐわず、見直しを求められてきた経緯があります。
ただ、途上国の日本への期待は依然として高く、また日本にとっても、ODAは国際社会で存在感を高めるうえで重要な手段であることにかわりはありません。
だからこそ、日本が現地の実情に寄り添った効果的な支援をしているのか、私たち国民も目を向けていかなければならないと思います。」

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