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2020年2月9日(日)

渡り鳥を守れ! 日ロ共同プロジェクト

渡り鳥は、季節の移り変わりに応じて、子育てや餌を探すために住む場所を移動しますが、今、その生態に大きな変化が出ています。例えば、シギやチドリの仲間はロシアの北部などで夏に繁殖し、その後アジアを縦断し、オーストラリアなどで冬を越します。しかし、途中で立ち寄る日本や東南アジアなどの干潟が埋め立てられる、温暖化によって海面が上昇してなくなる、などの影響が出ています。
こうしたことが原因でシギやチドリの仲間などは、その数が半減していると報告されています。
国際的な保護が求められていますが、国によって取り組みにはばらつきがあり、自然保護団体は、渡り鳥1451種のうち、およそ9割が渡りのルートで十分な保護が行われていないと指摘しています。
そうした中でも、国際的な協力を通じて絶滅寸前の渡り鳥を増やすことに成功した宮城県とロシアの草の根の交流を通じた取り組みを取材しました。

渡り鳥を守れ! 国境を越えた保護活動

宮城県伊豆沼。
日の出と共に、およそ8万羽のガンが一斉に舞い上がります。
宮城県北部には、毎年、東シベリアから日本に渡ってくるガンのおよそ9割が集まります。最も数が多いマガンやヒシの実を好んで食べるヒシクイなど、伊豆沼周辺では5種類のガンが観察できます。

「朝日にすごくきれいに映って、感動しました。」

「急にたくさん飛んできてびっくりしたけど、とてもきれいでよかった。」

伊豆沼周辺でガンの保護に携わっている、呉地正行さんです。

絶滅危惧種に指定されているシジュウカラガンの生息数を、呉地さんは40年近くかけて回復させる活動を行ってきました。
記録によれば19世紀まではシジュウカラガンは、日本各地で普通に見られる鳥でした。夏に千島列島で繁殖したシジュウカラガンは、毎年冬を越すために日本に渡ってきます。しかし、20世紀初頭、千島列島などに毛皮を捕るために持ち込まれたキツネによって、絶滅寸前にまで追いやられてしまったのです。

1982年に伊豆沼で確認されたシジュウカラガンはたった1羽だけでした。
そこで翌年、呉地さんの所属する「日本雁を保護する会」は、このシジュウカラガンを復活させる計画を立ち上げました。

日本雁を保護する会 呉地正行会長
「客観的に見ると、こんなことはできないと多くの人が思っていた。でも私たちは、そうではなくてやりたいんだと。」

復活のため、呉地さんたちが注目したのは、アリューシャン列島からアメリカに渡るシジュウカラガンでした。アメリカでは、ガンを人の手で増やす取り組みが行われていました。
そこでアメリカのシジュウカラガンを日本で飼育して、数を増やした後、千島列島で放すことにしたのです。しかし、課題は千島列島でどうやって放鳥するかでした。

呉地さんは交流のあったロシアの研究者、ユーリ・ゲラシモフさんたちに相談をもちかけました。1989年のことです。
呉地さんたちは、日本やロシアの施設で増やしたガンを、キツネのいない千島列島の無人島に放ち、日本に渡らせるという計画を立てます。ゲラシモフさんらはすばらしい考えだと、協力することを約束してくれたといいます。

しかし、当時は旧ソビエト時代。計画を進めることはできませんでした。千島列島は軍事的な拠点だったからです。
実現に向けて動き出したのは、1991年のソビエト連邦崩壊後。ようやく放鳥の許可が得られたのです。
しかし、次の壁に突き当たります。

ガンを放鳥する無人島に行くヘリコプターの費用は、一回300万円。ロシア側だけでは用意できない額でした。
呉地さんたちは日本で募金を呼びかけ、資金を集めました。

ロシアの鳥類研究者 ユーリ・ゲラシモフさん
「90年代の半ばから日本は多くの支援をしてくれ、ヘリコプターの費用も出してくれた。」

1995年、日本などで育てた16羽のガンを初めて放鳥。
その後、日ロで資金を集めながら、毎年のように放鳥を続けました。

そして、放鳥開始から12年がたった2007年、シジュウカラガンの群れが再び日本で確認されたのです。

日本で雁(がん)を保護する会 呉地正行会長
「(渡ってきた)鳥たちに、すごく感謝をしました。よく渡ってきてくれた。非常にいとおしく思いました。」

ロシアの鳥類研究者 ユーリ・ゲラシモフさん
「ガンの保護には、日本とロシアの協力が不可欠でした。私たちはこのプロジェクトを20年間やってきましたが、これは大きな成功だと思います。」

その後、シジュウカラガンの数は徐々に増えていきました。
そして、この冬。
およそ5千羽が日本にやってくるまでになりました。

日本で雁(がん)を保護する会 呉地正行会長
「それぞれの国で同じ思いを持っている人たちと出会ったこと。そういう道を開くことに大きな力になったと強く思う。」

日本とロシア。2つの国の人々の思いを乗せて、シジュウカラガンはことしも国境を越えていきます。

日本で雁(がん)を保護する会 呉地正行会長
「毎年、場所を間違えず、何の道具も持たずに、4000キロ離れたここまで飛んできてくれる。単なる鳥というか、それ以上昔からの古い友達 のような感じがします。」

シジュウカラガン復活 乗り越えた試練

1つの種を絶滅させるのは簡単ですが、それを取り戻すことは大変な努力と時間が必要です。

シジュウカラガンの復活にはさまざまな試練がありました。
たとえば、千島列島で放鳥しても、なかなか日本に戻ってこない状況が続きました。調べてみると、渡りの途中でハンターに撃たれていたことがわかりました。そこでロシアの研究者が地元の新聞に手紙を送り、ガンを撃たないように呼びかけということもあったそうです。
こうした双方の細かい努力がいくつもあって初めて、復活につながったというわけです。

今、2つの国の間には、渡り鳥を保護する条約が結ばれていて、定期的な会合が続けられています。
先月の会合では、今後も渡り鳥を守るために両国が協力していくことが確認されていました。

渡り鳥を守るため 今後の課題は?

渡り鳥が利用する湿地の保護に国際的に取り組むことが重要になってきます。
いま、世界各地で温暖化や埋め立てにより、彼らのねぐらとなる湿地が少なくなっています。

呉地さんは、使われなくなった田んぼなどを湿地に戻すことで、渡り鳥の居場所を増やそうとしています。
今後、こうした取り組みがさらに広がれば、保護はいっそう進みます。
こうした地道な取り組みを広げていくための、国境を越えた仕組み作りが必要と言えそうです。

(取材:国際放送局ノヴィツカ・カテリーナ/髙橋英輔)

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