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2020年3月11日(水)

震災の記憶を“伝承”する

悲劇を繰り返さないために、あの震災をどう後世に伝えていけばいいのか、「震災の伝承」についてです。

子どもたちに伝える“震災の記憶”

岩手県陸前高田市に去年つくられた津波伝承館。その中に、思い切った展示に踏み切ったものがあります。
9年前に岩手県各地を襲った、津波の映像です。津波の映像や展示などの記録は、震災の「恐怖」を思い起こさせることもあり、被災地では、特に子どもたちには見せるべきではないという意見もありました。
しかし今、こうした映像や展示物などを活用して、震災の恐ろしさを伝えようとする教育現場の取り組みが始まっています。

伝承館を訪れた気仙小学校。
子どもたちに津波の映像を見せるべきかどうか、職員の間で、いまも意見が分かれています。

気仙小学校 6年生の担任
「震災のことに触れずに、とにかく日常取り戻すことを頑張ってきたので、もし学校が発信することによって、誰かを傷つけてしまう可能性もあるのかなと。」

校長の金野美惠子さんは、自身も津波で両親を失いました。
被災地の復興が進むなか、踏み込んだ教育を行わなければ震災の恐ろしさと、教訓が伝わらなくなると考えています。

金野美惠子校長
「子どもたちが震災前の景色を知らないとか、震災当時を知らないとか、この陸前高田市に起きた大きな災害について伝えていかなければいけないと思った。」

6年生の小嶋海音さんは、自宅を津波で流され、家族と災害公営住宅で暮らしています。

震災の時は3歳。
それ以来、当時のことを口にすることはほとんどありませんでした。

小嶋海音さん
「小さい時だったから、あんま覚えてなかったりして。でも、思い出すとちょっとつらくなる時もあった。」

母親 小嶋仁美さん
「震災後しばらく1年くらいは、何回も緊急地震速報が鳴ったりして、その音にびっくりして、とにかく怖がっていた。」

伝承館を訪れた後に行われた授業で先生が、自分の体験を同級生と話しあってみるよう促しました。
すると子どもたちは思い出すように、あの日のことを語り始めました。

小嶋海音さん
「お父さんとお母さんでこっちの方に来て、そこで家族みんなで逃げた。」

同級生
「おれ、最初、お父さんいなかったんだよね。」

小嶋海音さん
「そうなの?」

同級生
「お母さんが迎えに来て、そのあと、姉と一緒に行って、お兄ちゃん先に行っちゃって。」

小嶋海音さん
「(私たちは)そこらへんに逃げた。」

        
海音さんは、これまでしまい込んでいた記憶を初めてクラスメートの前で口にしました。

伝承館を訪れた海音さんには、ある変化が起きています。
震災後に生まれた妹の青空(せいら)ちゃんに、自分の命を守って欲しいと、あの日の記憶を伝えるようになったのです。

小嶋海音さん
「津波が来たら、高いところに逃げる。」

母親 小嶋仁美さん
「覚えた?」

妹 小嶋青空ちゃん
「うん」

母親 小嶋仁美さん
「青空が、『地震来ると怖い』と言うと、こういう時はこう逃げるんだよとか教えているのを見て、やっと口にできるようになったんだなと。」

小嶋海音さん
「青空がいたから、伝える人がいるから。自分の命を守ることがすごく大切だということを伝えたい。」

NHKが岩手・宮城・福島の被災者およそ2000人に行ったアンケートでも、7割が「津波が襲った時の映像を配慮を最小限にとどめた上で、ありのまま見せるべきだ」と回答しています。

語り部の活動を支援している、東北大学災害科学国際研究所の佐藤翔輔さんです。

東北大学災害科学国際研究所 佐藤翔輔さん
「子どもについていえば、それぞれに震災体験があるので、個別にしっかり見て対応をしていく必要があると思います。家庭の中での伝承というのは、三世代が限界で、子どもが知ることになれば孫の代まで伝わることになります。」

より深く震災を伝える中学生

より深く震災を伝えるために、中学生たちが立ち上がった現場もあります。

宮城県気仙沼市の気仙沼向洋高校の旧校舎です。
最上階の4階まで津波が押し寄せました。被害の爪痕を伝えるため、去年から一般公開されています。

ここで語り部を行うのは、地元の中学校の生徒たち。年に数回、全国から訪れた人たちに震災の記憶と教訓を伝えています。
そのひとり、2年生の小松心咲さんは震災当時5歳。幼稚園にいるときに強い揺れを感じ、迎えにきた母親と高台に逃げて助かりました。

小松心咲さん
「地震が起きたあとの火事の光が、夜になると空に見えたりして、ちょっと怖い思いをした記憶はあります。」

生徒による語り部を企画した階上中学校です。
校長の菅原定志さんは、当初、震災を思い出すと生徒たちがつらいのではないかとも考えました。
しかしそれ以上に、生徒がみずから語ることを通して、より深く震災のことを学んでほしいと考えたのです。

階上中学校 菅原定志校長
「9年前、この地域で何があったのかを自分の目で見て、考え、人に伝えることで理解していく。そして、自分の命、話した相手の命を守ることにつながるという意味が大きいのではないか。」

小松さんたちは、地元の人から当時の話を聞いて被害状況などを学びました。はじめは記憶が少ない自分が語り部をしていいのか、悩んだといいます。

小松心咲さん
「大人たちに比べたら、やっぱり知識が少ないわけだから、話す資格はないのかなとか考えたこともあったんですけれど。」

そんな小松さんの思いを変えたのは、見学に来た人からかけられたある言葉でした。

「記憶が少なくても、自分が覚えていることを話してほしい。」

それから小松さんは、あの日の自分自身の経験を積極的に伝えるようになりました。

小松心咲さん
「総合体育館という大きなところに避難したんですが、結構人が多くて、車で寝たりしたという日もありました。」

ツアー参加者
「怖かったですか?」

小松心咲さん
「はい、怖かったです。」

これまで学んだ過去の地震を例に出し、津波が来たら、まず避難してほしいと伝えました。

小松心咲さん
「明治の大震災の時に、あそこの高台に登って無事だった歴史があったので避難したんですけれど、それをはるかに超える津波が来てしまったため、全員流されてしまいました。『昔大丈夫だったからここで大丈夫』と思わず、地震が起きたら高台へ、高い方へ逃げてほしい。」

ツアー参加者
「彼女や彼らが話してくれるのを聞くと、リアル感というか、すごく心に刺さった。」

小松心咲さん
「自分が伝えていかないと、これからの世代の人たちはもっと伝えられなくなる。子どもの目線から見た震災を語っていけたらいいなと思います。」

原発事故を伝承する

一方で、原発事故が起きた福島県では、あの事故をどう伝えていくか、まだ議論の途上にあります。
東京電力福島第一原発の近くでは、町立や県立の3つの伝承施設がいま、まさに建設中です。とくに最大規模となるのが県立の伝承館です。
どのような展示をしていくのか。そのあり方をめぐって、さまざまな声があがっています。

双葉町に建設中の福島県のアーカイブ施設、「東日本大震災・原子力災害伝承館」です。
ことし夏のオープンに向けて、工事が進められています。県が、福島大学と連携して津波や原発事故の被害を伝えるために集めた資料はおよそ22万点。具体的な展示内容はまだ決まっていません。

この施設に、原発を推進した歴史を展示してほしいという人がいます。
双葉町に住んでいた大沼勇治さんです。

大沼さんが展示を希望しているのが、かつて町の玄関口にあった看板
「原子力 明るい未来のエネルギー」
大沼さんが小学生のときに宿題で考え、採用された標語でした。

大沼勇治さん
「直接町長から賞状を手渡されたときは、すごく緊張したけれども、うれしかった。誇らしかったのを覚えています。」

看板は、原発事故のあと撤去され、今は町役場の隅に置かれたままになっています。

大沼勇治さん
「“育ったふるさとは原発と共に、それを誇りに思って信じて生活していたんだよ”と一目でわかると思ったので。看板が重要な震災遺構だと思っている。それはいまだに変わりません。」

新しくできる県の伝承館に、原発がもたらした厳しい現実も盛り込んでほしいと考えるグループもあります。
白河市の住民たちがつくった原発災害情報センターです。
この施設の倉庫には、まだ展示が決まっていない資料が保管されています。

原発事故を苦に命を絶った酪農家の男性が、牛小屋の壁に残した遺言です。
事故の影響の大きさを物語る資料として、県と伝承館での展示も議論しましたが、まだ結論は出ていません。

原発災害情報センター 小渕真理さん
「原発事故が起こるとどうなるのか、次の世代にバトンタッチをしたいし、その責任はあると感じています。」

県の伝承館では、原発事故の発生やその後の対応、復興への歩みなどを時系列で展示する計画です。具体的な展示内容は、有識者や地域の語り部からなる委員会が議論しています。

しかし、NHKが情報公開請求でその議事録を入手したところ、4回に及ぶ会議の発言部分はほとんどが黒く塗りつぶされ、議論の内容はうかがい知ることはできませんでした。

福島県生涯学習課 本多智洋主幹
「検討委員会の中で決まったというものであればいいんですが、途中経過の時点、時点で公表するのは混乱を来すのではないかと。」

事故の教訓を後世に伝える役割を担う伝承館。
専門家は、反省の視点が欠けてはいけないと指摘します。

福島大学 後藤忍准教授
「みずからの責任を振り返るというのは確かにしんどい作業だが、なぜ福島に原発があったのか、なぜ安全神話が広まっていたのか、みずから広めていたのか。そういうところから振り返らないと、本当の意味のメモリアル施設にはならない。」

今回のシリーズでは、東日本大震災から9年の現在地がどこにあるのか探ろうとしました。
各地を訪ねてみると復興のスピードに追いついていない実感や暮らし。いまも避難をした人から時間を奪い続けている原発事故。そして、震災を伝えようとする新たな試みもありました。
「復興五輪」と位置づけられている東京オリンピック。続く震災10年を表面的な節目や区切りにはしてはならないと思います。そのためにも震災9年のいま、これからの1年が大きな岐路になるのではないかと思います。

取材:舟木卓也記者(NHK盛岡)・藤家亜里紗記者(NHK仙台)・山本勇輝記者(NHK福島)・高橋峻記者(おはよう日本)・石川香矢子ディレクター(おはよう日本)

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