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2020年6月1日(月)

【再掲載】ブレイディみかこさん インタビュー全文

2019年の「本屋大賞ノンフィクション本大賞」「毎日出版文化賞特別賞」「八重洲本大賞」「ブグログ大賞エッセイ・ノンフィクション部門」の4つの賞を受賞した『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』。イギリスに住む息子の日常を母親目線でつづった著者のブレイディみかこさん(54)。これまでテレビ出演を一切断ってきましたが、受賞を機に初めてインタビューに応じ、作品に込めた思いを語りました。

※2019年11月7日の記事を再掲載しています

いま書くべき現場は、息子のことだと思って書き始めた

Q:ブレイディさんは子どもの世界の何に魅力を感じて、今回の本を執筆されようと思われましたか?

ブレイディさん:
もともとは託児所で働いていたんです。そのときのことを書いた「子どもたちの階級闘争」という本があるんですが、それが新潮ドキュメント賞という賞をいただいたときに『波』という新潮社のPR誌で連載をしませんかという話をいただいて、編集者の方から「今の現場を書いてください」と言われたんですね。そのときには託児所が潰れて無かったので、今の現場ってどこかなと思ったとき、もしかしたら今の現場は、自分自身の子どもを育てることというか、育児、息子のことになるかなと思って書き始めたんですね。連載なので月1回原稿を出す感じなので、最初に何が書きたいというのが明確にハッキリあったわけではなくて、だいたいあまり戦略とか立てない人間というか、計画性がないんです。だからこれも連載で、流れのままに毎月起こることや、そのなかで心に残ったこととかを書いていきました。返ってくる反応とかが、発想が違うというか、大人が考えつかないような、大人の世界だったらこれはないよねというような、大人だったらもっとこだわってドロドロするなというところを、子どもはわりと、パッと気軽に乗り越えていけている部分があるんです。特にイギリスは、EU離脱でもめていて今は難しいというか、社会的にも分断が進んでいると言われていますよね。人種的にもすごく多様だし、階級的にも、今は貧富の差がすごく開いていたり、そういう難しいところに生きているから、大人はうまく立ち回ろうといろいろ考えて失敗しているところを、子どもは生身のまま学校とかでぶつかりあって、そのなかで、大人はこうはしないよねという、すごい鮮やかな飛び越え方をするんです。これは面白いと思いました。逆に大人こそ読むべきというか、何か大人が忘れているもの、大人が考えすぎているところを、こういう突破口があるんだというのを子どもが見せてくれている気がしました。

Q:大人がこの社会を生きていくうえでの、ヒントや突破口があると感じられたんですか?

どこか突破していかないと、どうにもならないところがあるじゃないですか。ここ数年、イギリスでは本当にそれを思うんですね。EU離脱も、いまだにもめているじゃないですか。もめて、長引けば長引くほど、社会の分断は進んでいく、もっと激しくなっていく部分があるので、それで政治のことは私たち普通の地べたの人間の暮らしのなかに、必ず影響があるから、ムードもそこで変わっていくし、コミュニティ同士の対立もあるし、そういうときに子どもたちが学校で、生身でそういうものとぶつかって、すごく難しい状況に直面しながらも乗り越えていくんです。

大事なのは「その人の立場に立ったらどうだろう?」と想像してみる能力

Q:本の中で「ぼく」が『多様性って、いいことなの?』という問いかけをして、それに対してブレイディさんが『多様性がないと無知になるから』と答えられます。読んでいて、ここがブレイディさんがこの本を書かれようとした一つの答えなのかなと思ったのですが、あらためて「無知」と「多様性」について教えてください。

EU離脱の投票直前直後に、すごくレイシズムみたいなケースが増えたという統計も出ていて、そのときにそういうのが出る理由としてよく言われたのが、「人の無知」で、知らない人のことは怖いじゃないですか。だから無知を恐怖心で煽られるようなことを誰かに言われると、それがヘイトになる。日本語に訳すと憎悪ですね。どこの大元を絶てばいいのかというと、煽られたとき憎悪に変わらないようにするためには無知の部分を変えていかなければいけないじゃないですか。頭が悪いことと、無知ということは違うんだよと、この本のなかで私と息子もしゃべっているのですが、無知を恐怖心で焚き付けられると、差別的になったりするかもしれないけど、もし誰かがそういう煽るようなことを言っても、いや、それは違う、なぜなら僕はこういう人を知っていて、彼らはそんな人たちじゃないからという知識があれば、別に煽るような政治勢力が出てきたところで反応しないし、憎悪に変わらないじゃないですか。今は知らない人は、知るときが来たら知るわけだから、無知は直るというか、改善されるから、一人でも多くの人が無知ではなくなることが大事だよねと息子と話したりしています。単に差別的なことを言う友だちがいたとして、人種差別者だからと言うのではなくて、それは彼が知らないからそういうことを言っていて、単に周りにそういうことを言う大人がいたりして、それが悪いことだと知らないかもしれないし、どうしてそれが悪いかも知らないかもしれないから、それは知っている人が知らせてあげたらいい。その知っている人も、別のところでは、きっと知らないことがあるわけだし、教え合っていったりしたほうが、うまくいくよねということを息子に言っているんですね。

Q:「知る」ことで相手の立場を想像し、考える材料を持つことができるということですね?

そうですね。でも相手の立場、例えばこの本でエンパシーとシンパシーの違いを書いていて、日本語でシンパシーは「同情」とも訳しますが、どちらも割とおおざっぱに「共感」と訳されがちだけど、英英辞書を見ると、明らかにシンパシーとエンパシーは違う意味で、シンパシーは自分がかわいそうだと思う人とか、自分と同じ考え方を持っている人に共鳴するという「感情」の動きで、すっと入っていけるというか、インターネットでいう「いいねボタン」みたいなものですね。でもエンパシーは、自分が必ずしも賛成できない意見を持っている人や、この人は別にかわいそうじゃないよねと自分が思う人でも、その人の立場に立ったらどうだろう?と想像してみる「能力」と辞書に書いてあるんですね。今、世の中、シンパシーは、みんな、自分が好きなものとか、自分が共鳴できるものにはいいねボタンを押しているけど、エンパシーがいまいち、想像力を働かせることをやめているんじゃないかということを、イギリスとかにいると割と思いますね。離脱だ、残留だともめているじゃないですか。お互いに石を投げあって、ああいうことを言っているあいつは許せないみたいな対立があるけど、じゃあどうしてそういうことを言っているんだろうねと、そういうことを支持する理由はどこにあるんだろうと、石を投げる前に一歩引いて考えてみることがあれば、もっとうまく潤滑に回ることはありますよね。エンパシーは知的能力のことですね。そういうことが大事だよねと、私も言っているし、息子も学校で習ってきたんです。学校でCitizenship Education(英国の市民教育)というのがあるんですが、EU離脱とか、ヘイトとか、人間社会が分断していると言われている時代だから、これからはエンパシーが大事だと先生が言って、学校の試験に「エンパシーとは何か、自分の言葉で述べよ」という問題が出たというのが私の本に書いたことです。うちの息子の答えが、「誰かの靴を履いてみること」。まさにそうなんだろうなと思います。

Q:「ぼく」はそれをきちんと理解していた。

まあ、英語の定型表現ですけどね(Put oneself in someone's shoes)。それか、先生が「誰かの靴を履いてみることだよ」と言ったのかもしれないですね。私は、やるなと思いました。まさに、そのまま言い表していますよね。誰かの靴を履いてみることというのは、その通りだと思います。

Q:誰かの靴を履いてみること、つまり、違う立場や考え方の人の考えを想像することって、なかなかできないからこそ、衝突や分断が起きますよね。人々が誰かの靴を履いてみることを実践するためには、ひとりひとりに何が必要でしょうか?

何が必要なんでしょうね。私もそれをずっと考えているんですよ。履きたくない、臭い靴とかもあるじゃないですか。絶対嫌な靴とかもあるから、それでも履いて歩くことまではしなくていいけど、とりあえず履いて「どうなんだろう?」と想像してみるのは、ひと頑張りがいりますよね。そのひと頑張りをさせる力は、なんなんだろうねという、それはこれから考えていく宿題ですね。私自身が、そういうことについて書いてみようと今、思っています。

Q:今の世の中を生きていくうえで、エンパシーは大切なものになっていると感じますか?

そうだと思います。この本も6月に出てから、たくさん感想をいただくのですが、エンパシーという言葉にハッとしたとか、エンパシーという言葉は、これから大事だと思う、ということを書いていらっしゃる方は多いんですね。なので、きっとイギリスだけではなくて日本の人たちにも何か感じてもらえるし、日本社会でもきっと大事になっていく言葉じゃないかなと。日本も、移民の方が入ってこられたりして、今でもコンビニとか行ったら、すでにたくさん働いていらっしゃるじゃないですか。私も東京に来たらお見かけしますし、これから特に、日本がもっと国際化していく中で大事な言葉だなと思いますね。

格差とか階級というのは、歴然と存在している

Q:この本以外でも、ブレイディさんはイギリスでのご経験を踏まえて階級とか闘争をテーマにした著作が多くありますが、なぜそうしたテーマを選ばれるんですか?

もともとの原点は、私が勤めていた託児所が、失業した方々か、低所得の方が無料で子どもを預けられる託児所で、ちょっと特殊な、普通の保育園とは違うところだったんですね。そこで働き始めたとき驚いたのは、こんなにイギリスという国は格差があるのかと。格差ってどこの国にもありますが、本当にイギリスはピンとキリがすごいなというか。それが貧しい、貧しくないの経済的格差だけではなくて、教育格差というか、イギリスには本当に算数の二ケタの計算ができない大人がこんなにたくさんいたのかなとか、成人向けの算数教室の教員のアシスタントをしたことがあって、そのときにそう思いました。格差とか階級というのは、イギリスには歴然と存在しているなというのを、すごく感じたんですね。日本は割と、私なんか年代的に、一億総中流と言われた時代を知っている人間なので、そんなに日本人は、自分が労働者階級だとか、自分は中流だとか考えないじゃないですか。みんな割と均一だと言われてきましたし。それもたぶん日本も今は変わってきていて、イギリスの階級を書くことが、何か日本に示唆するものというか、考えるヒントを与えるのではないかということは思っていました。一億総中流のときだって階級がなかったわけじゃないじゃないですか。そういうふうに言われていたけれど貧しい人たちは存在していたし、そういうのを隠蔽してきたものが今、日本社会はハッキリと現れてきている気がするんです。最近の流行語でありますよね、上流国民ですかね、下流なんとかとか、すごい階級をにおわせるような言葉が出てきてますね。これはたぶん、日本もイギリスを追っている部分があるんじゃないかなという気がします。もう日本も格差が顕在化してきていますよね。かなりそう思います。私は日本にもしばらく滞在して、日本の取材をして、日本のことを書いた本があるのですが、そのときは、かなり日本も貧困化が進んでいるというか、特に女性とか、つらいものがあるなと思いました。

Q:日本に帰国された際のエピソードもありますね。息子さんと日本に帰国されたとき、居酒屋で絡まれるシーンがありますね。あのときは、どんなことがもどかしくて、どんなことが悲しかったですか?

なんとなく思ったのは… うちの息子は見た目はけっこう日本人っぽいんですよ。だから、私と息子が英語でしゃべっているのが、きっと癇に障ったのでしょう。なんで日本人の顔をして英語をしゃべっているんだ?みたいなのがたぶん発端だったと思うのですが、それからうちの息子と私に対して、私が息子に日本語を教えず、英語しか教えていないから、私は日本の母にはなれないと言われて。別に私は日本の母になる気はないんだけどと思って、最初はイライラしましたが、すごく酔っ払っていらっしゃったんです。だから彼も酔っていないとき、泥酔していないときは、きっとあんなことは言わないのかも知れない。でもなんかの拍子で、パーッとそういう人種差別的というか、排他的なものが出てくる雰囲気はあるのかなという気はしますね。今日本に、そういう人は多いんじゃないかなと。普段は言わない、隠しているというか、もしかしたら自分の中にそういうのがあることを、自分でも気づいていないのかもしれないし、なんかでタガが外れたら、バーッと出ちゃうという感じがあるというか。そう思いながら見ていました。

Q:今の日本でいうと外国人労働者が徐々に増えてきて、戸惑っている段階なのかなと感じるんですね。ただ一方で、ヘイトスピーチであったりネットリンチと言われる事件が、たびたび起きていたりして、そういう意味でイギリスと共通する部分は何か感じますか?

イギリスの場合は1980年代とかにも、黒人差別の問題やLGBTの問題が顕在化して、運動をして権利を勝ち取ってきたという歴史があって。一旦ものすごく差別が激しい時代があって、差別する側と、される側の闘いみたいなのがあって、1990年代後半のブレア政権時代からは、ちょっと落ち着いてきていたのが、またEU離脱の問題で、すごくバーッと、ヘイトスピーチの問題とか出てきていますよね。日本の場合もどうなんでしょうね、追っているのかなという気がしますね。そこはやっぱり共通の問題というか、これは日本だけ、イギリスだけという問題ではなくて、欧州全体でもけっこう、いわゆる右翼勢力みたいなのが力を伸ばしていたりする地域もあり、排他的なことを政策に掲げている勢力が支持を伸ばしたりしているので、世界的な動向に見えますね。

Q:格差、差別、偏見、分断ということが世界中に顕在化していて、もしかしたら元々あったものを、人々が隠さなくなっているのかなとも思えるんですね。どんなふうに今の時代を見つめていますか?

イギリスと日本の場合は経済に原因があると思いますね。イギリスの場合は、保守党政権が2010年からずっと緊縮政策で財政支出を大幅に削ってきているんですね。福祉や教育、医療に財政支出しなくなっているから、例えば学校でひとクラスの人数が増えたり、近くの学校に通えなくて遠くまで子どもを送っていかなければいけない人が出てきたり、病院の待ち時間がすごく長くなったりしています。それは移民が増えているからだと言い出す政治勢力ができて、ああ、じゃあ移民がいなくなればもう一回いい国になるんじゃないかと思って、離脱に投票した人々が少なくないんです。日本の場合も先ほどの話に戻りますが貧困化している層は、本当に貧困化しているじゃないですか。デフレ経済がずっと続いていて、経済が縮むとともに、人心も縮んでギスギスしている。もともと日本は財政支出していなかった分野も多いですが。緊縮財政は格差を広げるんです。格差が広がると経済のためにもよくないし、格差があまり広がると、世の中が政情不安になるというか、排外的なポピュリズムもそこにつけ込んでくるんです。貧しくなって、みんな食べることが最優先になってくると、あまり豊かな気持ちになれないじゃないですか。他者や自分と違う者に対して、寛容になれなくなる。経済の問題と、多様性の推進の問題を切り離して考えないほうがいいというか、経済の問題は大きいと思いますね、イギリスは特に。

Q:イギリスはEU離脱の議論が長引けば長引くほど、外から見るとますます国が二分されているように見えるのですが実際に暮らしていかがですか?

普通に生きている人はものすごく熱心な離脱派と、ものすごく熱心な残留派もいらっしゃるけれど、真ん中の人たちも多い。3年半も毎日毎日、EU離脱関連の速報が流れてきて「前代未聞の事態だ!」とやられると、ダレてきちゃうのもあるんですね。結局何も進まないし、また?今度は何?みたいに麻痺してくる。でも総選挙があるんです。これはけっこう面白くなるんじゃないかなと思っています。政権交代もあり得ると思うし。保守党はジョンソン首相でEU離脱じゃないですか。でも実は、労働党はEU離脱のことで戦おうとしていないんですね。労働党はもっと生活のこと、医療にもうちょっとお金を使いましょうとか、前回の選挙同様、反緊縮を打ち出して戦おうとしている。労働党は、今、ジェレミー・コービンという人が党首なのですが、彼はバカにされがちなんです。ちょっと政治家らしからぬところがあって、正直な人だし、ものすごく左翼っぽい人なので。でもあの人は、ああいうふうに、労働党とかジェレミー・コービンは絶対ないとバカにされたとき、すごく力を発揮する人なので、分からないというか、今ちょっと労働党は支持率を上げていますよね。最後まで分からないです。

政治家も労働者階級も、お互いが分からなくなっている

Q:これまでの著作も含めてブレイディさんは高い視点から社会を論ずるのではなくて実生活のなかから世の中を見つめて、問題提起するスタイルでいらっしゃいますよね。そのスタイルにつながるような、これまでの経験はありますか?

私はこういうもの書きになるとあまり思っていなかったのですが、一番今につながっているなと思うのは、イギリスで保育士の資格を取ったとき、実習も託児所でやりましたが、カレッジに行って講義も聞いて、毎学期、ミニ論文みたいな設問があってそれに答える、論ずるというのを、本当にびっちり書かされたんです。そのときに、例えば一つのテーマ、障害児保育について設問があって書くとしますよね。保育士は、保育園でどういうことをしなければいけないかを書いていくと、それは、どの法律の何とつながっているのかとか、その法律ができた背景は何か、どういう運動があったか、そういうところまで書かなければいけなくて、なんで保育士がこんなところまで知らなきゃいけないんだろう?と最初すごく不思議だったのですが、やっていくと、いろんなことが繋がるんですね。今、目の前の子どもに、こういうことをしなければいけない、こういうことを言ってはいけないと言われているのは、なるほど、あの法律に支えられているんだと、その法律ができたのは、そうか、あのときにそういう差別をされたこういう人たちがいて、それが社会問題になってこうなったからと、バーッと点が線でつながる。それはすごく大事というか、私たちは政治というのは、私たちの知らないところで勝手に行われていて、私たちの日々の生活とは関係ないと思いがちじゃないですか。でも実は私たちの生活は、すごく政治に影響されているし、ミクロからマクロを見上げる視点をなくすと、政治にも関心を失ってしまうし、本当は政治をしている人にとっては、自分たちの好きなようにやれるから、そのほうが楽だと思うんです。でもやっぱりそれじゃいけなくて、下から突き上げていかないと、下の人間にやさしい国はつくれないじゃないですか。どうもミクロからマクロを見上げる視点、経路、回路が今、切れているような気がするんですね。EU離脱でも言われましたが一番の理由は政治をしている人たちが、下々の人間が、庶民が何を考えているか分からないエリートばかりになっていて、みんなオックスブリッジとか行ったような中上流階級の人たちばかりだから、労働者階級が今、何を考えてどんなことに悩んでいるか全然分かっていなくて、お互いが分からなくなっていて、それで国全体がおかしくなっているみたいなことをよく言われるのですが、これも上と下の回路がずれている、切れているからです。その回路をつなぎ直すにはミクロからマクロを見上げる視点、マクロ側もミクロをちゃんと見渡さなければいけない。イギリスの人たちは、パブとか行っても政治の話をするんですよ。なるほど、ここはこの回路があるんだなというのをそのときに感じました。日本で取材をしていたときに、貧困問題をやっているNPOの方が言っていたのは、日本はソーシャルワーカーでも、今ある制度のなかでどうやってうまく困っている人を助けるかは学ぶけれど、その制度の何が足りないか、制度を変えるにはどうやったらいいか、どうやって政治に突き上げていくかは学ばないというんです。その回路が切れているから、書くことで回路をつなぎ直すような仕事をしたいですね。ミクロとマクロの回路をつなぐというのはテーマですね。

Q:ミクロとマクロをつなぐ役目とは?

この本は息子のことや学校のこと、中学校のことを書いていますが、私は実はもともとは政治時評とか、社会時評も書いていたんですね。「Yahoo!ニュース個人」というサイトでずっと書いていて、そのときは文体も全然違うし、政治のことを書いていたのですが、そのころから思っていたのは、政治のことを話すとき、政治のことだけ話しても、読む人の数は限られているということです。イギリスの新聞とかに載っているコラムは、ちょっと日本と違ったりするのがあるんです。普段の自分の生活の身の回りのことも書きながら、いきなりそこから政治の話につなげていく、こういうふうなことが身の回りであって、このお隣さんは、こういうことで困っているらしいから、うちに何かを借りに来て、どうしてお隣にはそれがないんだろうと。これは政府の政策で、こういうことの支給が止まっているからなんだよねと、その政策がつくられたのはどうしてかというと、それは国が財政支出を減らしているからで、財政支出を減らしている理由は、財政均衡するためにとか、ものすごく身近なところから鮮やかにマクロな政治につなげていく書きものが、けっこうあるんです。それって、あまり政治に興味がない人でも読めるし、そうか、その政策がネックだったのかと気づけるんですよね。そういう書きものは、日本はあまりないような気がするんです。

Q:川下から、川上に、さかのぼっていくような?

私自身がそういう書きものが好きだし、ダイナミックな遠近感をもつ書き物は、書いていても面白いですよね。きっとそういうものを読んだり触れたりしていると、ミクロとマクロをつなげて考えることが可能になると思うんです。これはいわゆる自己責任というか、私だけの問題じゃない、こういうことに苦しんでいるのは政治が悪いんじゃないかとか、こういう政策が私を苦しめているのではないかとか、そういうふうな考え方ができるようになるのは、そういうミクロからマクロを見上げるようなものを読んだり、触れたりしているからじゃないですかね。これをすごく上手にやっているのがケン・ローチというイギリスの映画監督です。彼はホームドラマ的な、すごく身の回りのことを描いているけど、彼がいつも言いたいのは政治のことじゃないですか。あれがすごくうまいですよね。ああいうことがやりたいですよね、端的に言ってしまえば。自己責任だから、自分が頑張れないからいけないというのでは、制度も、政治も、何も変わらないから、ミクロからマクロに、ちゃんと見上げられる視線は、大事なんじゃないかと思います。

Q:実生活と政治がつながっているんだという感覚がないと、人々も動くに動けない?

動けないし怒れないですよね。自分ばかりを責めるようになるというか。そうじゃないから。イギリスに関しては緊縮財政をやめなければダメですね。緊縮財政のせいで、私が勤めていた託児所も潰れてなくなってしまったし、医療、教育、福祉などの分野に再び財政を投入してもらわないと、社会のぎくしゃくした感じもなくならないと思うし、なにより、本当に貧しい子たちは、貧しいんです。緊縮財政になって、世の中で何が一番変わったと感じたかと言ったら、冬にコートを着ていない子たちがたくさんいて、買えないから、学校とか教会で、コートの寄付とかが始まったんですね。朝ご飯を食べて来れない家庭の子どもが多いから、ブレックファストクラブみたいなものが始まったり。私は23年住んでいますが、労働党政権の時代はイギリスであんなことは全然なかったですから、緊縮財政になったらこんなに変わるんだと思った。子どもたちを見ていると、すごくよく分かる。子どもたちは、自分たちでは変えられないじゃないですか、貧しさを。大人だったら貧しければ働けばいいけど、子どもは親が貧しければ、そのまま貧しいじゃないですか。緊縮財政は弱いところが一番苦しむから、それが子どもたちにダイレクトに出ているなという気がしますね。図書館とかもすごく、今閉じているんです、緊縮財政で。そうなると本を買えない子たちが一番困る。イギリスの学校は小学生のとき毎日本を読ませるんですね。だから本が買えない家の子は、図書館がつぶれちゃうと読めないんです。「地域の図書館を守れ」という運動も、イギリス各地で保護者や子どもたちが今、起こしたりしているので、緊縮財政への怒りは大きいですね。

きっと未来は、私たちには想像できないもの

Q:多様性の話に戻りますが、日本で多様性について考えましょうというと、日本人と外国人について、私たちとLGBTの人たちについてというテーマがメインになってくると思います。ただブレイディさんがイギリスで見ていらっしゃるのは、もっと複雑な構図ですね?

縦の階級の多様性も、多様性なんですよね。それは本当にそう思います。そこを忘れがちだけど、階級も多様性なんです。多様性はすごくいいことだと言うじゃないですか、一般的に。もちろん人種とか文化とか、多様性は素晴らしいことだと思うけれど、逆にみんな違ってみんないいというのは、縦の軸には当てはまらないというか、貧しくてお腹を空かしている子どもがいてもいいと、みんな違っていいんだからというのは残酷ですよね。そこは、複雑なところだけど、うまくバランスをとりながらやっていかなければいけないですね。

Q:多様性について、日本の人たちにどんな意識を持ってほしいと思いますか?

こういう意識を持ってくださいとか言っても、なかなかみんな、自分で経験するまで分からないんですね。だからいろんな経験をするなかで学んでいくべきだと思います、日本の人も恐れずに。本の中にも書いていますが、多様性は縦の軸も、横の軸も、多種多様な違いがあるところで生きていくと、クラゲがたくさんいる海を泳いでいるような感じで、ここに行けば、ここがぶつかるし、こんなことを言ったら、ここを怒らせるかもしれないみたいな。すごくトリッキーで大変なのですが、その中で生きていく上で人間は成長すると思うし、人間はうまくバランスを取りながらできると思うんですね。それをしないほうが楽ですが、さっきの無知の話に戻りますが、それは人間はできるものだと思うので。子どもたちを見ているとできているわけだから、私たちにできないはずはない。自分で経験しながら迷いながら学んでいくことじゃないですか。よく考えたら、多様性は何も、外国人と一緒にとかなんとかじゃなくて、もう私たちは多様性のなかで生きている。会社とかでも、いろんな考え方をする人がいるから多様性はあるはずなんですね。そのいろんな日常のシチュエーションの中でうまく立ち回っていく、うまくやっていく、いなしていくわけじゃないですか。そういうことと、そんなに違わないと思ったほうがいい。すぐ「ポリコレが」とか言って、何か特別で新しいもののように考えがちなんですが。

Q:最後にこの本を読んでいて、子どもたちの存在に一筋の希望というか、本当に生きるヒントを得た気がしたのですが、ブレイディさんには子どもたちの姿はどんなふうに映っていますか?

希望だと思いますね。想像もしなかったようなことを言うときに、逆に私たちには想像がつかないことを、この子たちは考えるようになっていると思ったときに希望を感じますね。きっと未来なんて、もう私たちには想像できないものだと思うんです。未来は、彼らの手の中じゃないですか。多分もう、それは私たちが想像できるものではないし、私たちが、こうなってほしいと思っているものにもならないと思います。

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