2009年10月から11月まで20回にわたって放送されたミニ番組「明治の夢・歴史の今」を再録。「坂の上の雲」ゆかりの地を訪ね、明治という時代と現在とを浮かび上がらせた番組を振り返ります。
愛媛県立松山東高校の一角に古い木造の建物が残されている。江戸時代の松山藩の藩校、明教館だ。藩士の教育を目的に今からおよそ180年前に建てられた明教館には武芸の道場もあり、文武両道の教育がなされていた。武士の子どもたちは8歳になると明教館に入学し、60畳の大広間で学んだ。維新後藩は廃止され、明教館も藩校としての役割を終えるが、明治11年、その気風を受け継いだ松山中学校となる。松山の名だたる人物を輩出し、秋山真之と正岡子規も同級生として通った。

- 真之と子規も学んだ明教館の大広間
真之と子規の出会いは、師範学校を出たばかりの教師が新しい教育をすると評判の勝山学校だった。勝山学校はその後統合され、番長小学校として現在も市内の中心地にある。卒業した子規と真之は、そろって松山中学校に進学する。さらに、当時の最高学府・東京大学予備門を目指した二人。明治になって、学問に励み優秀な成績を修めれば、誰でも出世のかなう世の中になったのだ。

- 勝山学校(現在の番長小学校)
松山中学を中退し、一足先に上京した子規。その後を追うように真之も東京へ向かった。二人は東京大学予備門に入るための予備校、共立学校で再会する。そして念願どおり、同時に東京大学予備門に入学を果たした。司馬遼太郎が「坂の上の雲」を執筆した動機も、真之と子規が小学校から大学予備門まで同じコースを歩いていたことに気づいたことからだったという。時代とともに歩んだ子規と真之。固い友情で結ばれた二人の原点は明教館にあった。

- 二人が再会を果たした東京の共立学校(スペシャルドラマ「坂の上の雲」より)

