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京都府京都市

街

将軍・徳川家茂の後見職となった一橋慶喜は、将軍の上洛準備のため京都へ入りました。その際、宿舎としたのが徳川家と関係が深い東本願寺です。
 慶喜は心が2つあるかのように度々考えを変えるため、「二心殿(にしんどの)」とも呼ばれ、周囲はいつも翻弄されました。
 その後、滞在すべき二条城に入らず城の南にあった小浜藩の屋敷を拠点とし、松平春嶽らと会談を重ねた慶喜。春嶽は、一度決めたら自説を曲げない慶喜を「剛情公」とやゆしたと伝わります。やがて慶喜の幕政改革は、徳川幕府最大の試練を迎えるのです。

東本願寺

JR「京都」下車、徒歩7分