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  2. 「八重の桜」紀行

京都府京都市

街

新島襄が2度目の海外周遊から帰国したあと、多くの資金集めに成功した同志社では近代建築を取り入れた校舎が建ち始め、将来的な総合大学設立に向けた準備が着々と整えられていきます。さらに襄の布教活動の成果も現れ、京都をはじめ、各地にキリスト教が広まっていきました。
 一方、八重が教べんをとっていた同志社女学校では、ある事件が起きます。1885(明治18)年、ジャパン・ミッションが女学校を一時閉鎖すると決めたのです。八重たちと外国人宣教師の文化の違いによる確執が原因でした。
 八重たちは、同志社女学校を存続させるために奔走します。その後、実業家・大沢善助らの支援により、廃校を免れました。この事件を機に、教師と生徒との絆は一層強いものになっていくのです。

同志社女子大学 今出川キャンパス

市営地下鉄「今出川」下車すぐ