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東京都港区/新宿区/大田区

街

新聞記者になる夢を持って上京した徳富猪一郎は、赤坂で暮らすことになりました。父の知り合いだった勝海舟の邸宅裏に移り住み、勝とも交流を深めます。
 1887(明治20)年、猪一郎は「民友社」を設立し、日本初の総合雑誌『国民之友』を創刊。雑誌は大いに売れ、猪一郎はジャーナリストとして不動の地位を確立したのです。
 さらに、財界人を集めて行われた、大隈重信邸での同志社大学設立の募金集会にも参加するなど、新島襄を助け、大学設立に向け奔走します。
 1888(明治21)年には、襄の理想を熱く記した『同志社大学設立の旨意』を作成。全国20以上の新聞や雑誌に掲載されると、大きな反響が寄せられました。猪一郎の協力により、同志社の名は全国に知れ渡り、大学設立へさらなる進展を遂げるのです。

山王草堂記念館

JR「大森」下車、徒歩15分