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京都府京都市

街

京都の振興に力を尽くした山本覚馬。晩年は同志社のために力を注ぎ、1887(明治20)年に同志社礼拝堂で卒業生に言葉を贈っています。「弱を助け強を挫(くじ)き、貧を救ひ富を抑ゆるものは誰れそ」。ひたむきに正義を貫く覚馬の思いがうかがえます。
 1892(明治25)年12月28日、覚馬は自宅で永眠しました、享年65。自宅は現在の河原町御池の辺りだったといいます。遺言には、一部の資産を旧会津藩主松平家へ贈呈することが記されていました。
 幕末に京都へ来てから30年、ふるさと会津の土を踏むことはありませんでしたが、覚馬の心は常に会津と共にあったのです。

山本覚馬之墓

市バス「南禅寺・永観堂道」下車、徒歩30分