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  2. 「八重の桜」紀行

京都府京都市/福島県会津若松市

街

1911(明治44)年、旧会津藩、山川浩・健次郎兄弟が会津の汚名をすすぐべく書き残した『京都守護職始末』が出版されました。そこには、朝敵とみなされていた会津藩が、孝明天皇から密かに信頼の証として御宸翰(ごしんかん)を賜ったことが記されています。この事実は世間を驚かせました。
 1928(昭和3)年、松平容保の孫・勢津子(せつこ)と秩父宮雍仁(やすひと)親王との婚礼が決まり、会津の人々は歓喜したといいます。名誉回復を喜び行なわれた提灯(ちょうちん)行列は、「会津まつり」として今も引き継がれています。
 そして八重は、襄の死後、看護や慈善活動に身を投じていきます。その傍ら、打ち込んだのが茶(ちゃ)道です。師範にまで上り詰め、女性茶人の先駆けとなりました。
 1932(昭和7)年6月、茶会から帰宅した八重は突然倒れ、86年の生涯を閉じます。葬儀は同志社の栄光館で執り行われ、参列者はおよそ2千人の盛大なものだったといいます。
 戊辰戦争の敗北から立ち上がった会津魂。八重をはじめ会津の人々の決して諦めない生き方は、永遠に語り継がれていくのです。