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証言まとめ

震災直後のくらしを守る

危機に見舞われた町を救うため、いち早く行動を起こした人たち。
彼らはいかにして被災地のライフラインを守ったのか。

中澤康雄さん(32) 茨城県水戸市

“緊急交通路”を確保せよ

地震発生直後、茨城県内の常磐自動車道は、片側車線がおよそ150メートルにわたって崩落。被災地への物流を確保するため、急ピッチでの復旧作業がはじまった。

11日かかるとみられていた工事を、6日間で終えた

11日かかるとみられていた工事を、6日間で終えた

“今回あったことを記録として残して、また万が一
同じようなことがあっても、できるだけ早く
高速道路を復旧させることが重要だと思います”

小山隆一さん(52) 宮城県気仙沼市

2次被害を防げ 都市ガスを停止へ

津波に襲われた後、大火災にみまわれた宮城県気仙沼市。技術者の小山さんは、市民生活に大きな影響が出ることを考えながらも、震災の2次被害を防ぐため、都市ガスの供給を停止する。

全ての世帯で再びガスが使えるようになるまでおよそ3か月かかった

全ての世帯で再びガスが使えるようになるまでおよそ3か月かかった

“あれだけの被害ですと、ガス管も壊されている
可能性が非常に高いので。供給を全面停止という
判断をしました”

水野美晴さん(43) 近藤将来さん(32) 福島県玉川村

空からの救援拠点の再開

震度6弱の揺れによって、福島空港の通常の管制機能は失われた。そんななか、新潟県中越沖地震を経験した空港職員は、自らの経験を生かし、管制業務の再開に取り組んだ。

仙台空港の拠点機能の一端を、福島空港が担うことになった

仙台空港の拠点機能の一端を、福島空港が担うことになった

“管制塔が被災した状況で、(滑走路が)見えない
中で、運航を支えたというところは伝えていきたい”

今野雅彦さん(39) 宮城県石巻市

社員7人のコミュニティFM局の奮闘

激しい揺れが続くなか、放送を続けたラジオ局があった。電話は不通、頼みの綱のノートパソコンに市民から寄せられる救助や安否確認の情報を、コミュニティに発信し続けた。

今も復興に関する番組を放送している

今も復興に関する番組を放送している

“大きなエリアの放送ではなく、
小さなエリアの細かい情報というところに
私たちの役割があると思います”

太田かおりさん(42) 宮城県石巻市

葬儀社の使命を果たして

津波で父親を亡くした太田さん。しかしその葬儀を執り行ったのは、1年余りが過ぎたときだった。葬儀会社の社長だった父に代わって、次々と持ち込まれる葬儀の依頼に対応しなければならなかったのだ。

半年間で200体に上る遺体を預かったという

半年間で200体に上る遺体を預かったという

“振り返ったり、考えたりする余裕もなかったような
感じで。とにかく今やるべきことをやらないと
いけないという思いで”