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証言まとめ

外国人たちの震災体験

地震を知らない国で育った外国人たち。
突然、激しい揺れと津波に遭遇した彼らは、その時どんな行動を取り、そしてどんな思いを抱いたのか。

サラ・ジョーンズさん(26) 福島県双葉町

「避難」の意味が分からなかった

福島県双葉町の高校で英語を教えていたアメリカ人のサラ・ジョーンズさん。テレビのニュースで何度も繰り返される「避難」の意味をようやく理解した彼女は、避難所へと急いだ。

震災から10ヶ月がたち、ジョーンズさんは再び福島に戻った

震災から10か月がたち、ジョーンズさんは再び福島に戻った

“テレビには、原発が円で囲まれた地図と漢字が
映っていました。「避ける」と「難しい」を使った
熟語でしたが、意味が分かりませんでした”

菊田マリサさん(43) 宮城県気仙沼市

気仙沼の人たちに救われた

フィリピンから26年前に来日した菊田マリサさん。高台へ避難する途中、津波に襲われた彼女は近くのマンションの3階に駆け上がり、周りの人たちと一緒に朝まで救助を待ち続けた。

気仙沼への感謝から、彼女は介護士の勉強を始めたという

気仙沼への感謝から、彼女は介護士の勉強を始めたという

“みんな日本人でしょ。私だけがフィリピン人
だから、たぶん救助に来ても、私は一緒に連れて
行ってもらえないと考えたんだけど、
声かけられたの、「行きましょう」って。
すごいうれしかった。やっぱりフィリピン人でも
外国人でも関係なくなると思った”

ポール・フェルズさん(26) 宮城県気仙沼市

不安な日々を支えてくれたみんなの優しさ

ポールさんは、宮城県気仙沼市大島の小中学校で、人生で初めての大きな地震と津波に遭遇した。途方に暮れる避難生活を支えたのは、彼が英語を教える生徒たちとの交流だった。

アメリカのミシガン州出身。地震とは縁がなく、津波の知識もなかった

アメリカのミシガン州出身。地震とは縁がなく、津波の知識もなかった

“私は本当に幸運でした。もし、みんながいないで
一人だったら、寂しくてつらくて、震災で心が
くじけて、今の自分ではいられなかった。
みんながくれた優しさを、みんなにお返しできれば
と思う”

伊藤チャリトさん 宮城県気仙沼市

被災した同郷の仲間を探して

フィリピン人の伊藤チャリトさんは、震災当日、何とか津波から逃れることができた。しかし、同じ気仙沼市内に暮らすフィリピン人の仲間の安否が気になる彼女は、市内在住フィリピン人の
名簿づくりを始める。

震災後、仲間の輪が広がり頻繁に集まる機会が増えたという

震災後、仲間の輪が広がり頻繁に集まる機会が増えたという

“やっぱり私たちの家族は、みんなフィリピンにいて
寂しいじゃないですか。(本当の)お姉さんみたい
なとか、妹みたいなとか、それでつながっていますね。1つの家族みたい”

井手伶さん(47) 福島県いわき市

震災で感じた言葉の壁

中国出身の井手さんは自宅近くのスーパーで大きな揺れに襲われた。しかし、日本語がよく分からないため、スーパーでの避難指示も理解できず、地震や原発事故の状況もすぐには把握できなかった。

震災を教訓に福島県は、日本語が苦手な外国人を対象にSOSカードを作った

震災を教訓に福島県は、日本語が苦手な外国人を対象にSOSカードを作った

“日本は、いつも小さい地震が
たくさんありますので、日本語が少ししか
わからない外国人を助けてほしいです”