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証言まとめ

日頃の備え

9月1日は「防災の日」。
東日本大震災では、いざという時の備えは万全だったのだろうか。
いつか来るであろう災害に備えていた人たち、あるいはその重要性をあらためて認識した人たち…、それぞれの証言。

昆野昭子さん(81) 岩手県山田町

用意していたリュックが役に立った

自宅で激しい揺れに襲われた昆野さん。ふだんから用意していた避難用のリュックを持って、高台の小学校へ避難した。避難所となった体育館では、このリュックの備えが大いに役に立つこととなる。

町から全世帯に配られていたリュック。しかし、避難所に持参したのは昆野さん夫婦だけだった。

町から全世帯に配られていたリュック。しかし、避難所に持参したのは昆野さん夫婦だけだった。

“ずっと何年も準備して、1年に1回、9月に
避難訓練がある時、全部、中身を出して、下着とか
靴下を干したり、その時に食べ物を取り替えたり。
ふだんの心の準備、そういうのが私は大事だと思う”

鶴岡毅一さん(68) 宮城県石巻市

“命の水”を求めて山を目指す

宮城県石巻市の沿岸部にある渡波(わたのは)地区。津波で広い地域が浸水し、ライフラインも途絶えてしまった。鶴岡さんは、水不足に悩む避難所のために、水を求めて山へ向かった。

防災庁舎では同僚記者も津波に流された

疲労による突然のめまいに襲われながらも、水を運んだ

“命の水、神の水と言ってもおかしくないくらいの水
だった。できるだけ多くの水を備蓄して、
次に備えるしかないのかな。
どこでも起こりうることだからね。
ここだけでなく”

狩野秀昭さん(64) 宮城県仙台市

震災翌日に弁当を提供

弁当の製造・販売会社で災害対策担当だった狩野さんは、従業員とともに震災発生翌日から弁当を作り、販売を行った。その迅速な行動の裏には、災害に備えた備蓄があった。

津波が引いたあとのがれきの中でも撮影をやめなかった

地下水の浄化装置、備蓄米など震災への備えは万全だった

“「よし、作るんだ。水もある。
炊飯のガスコンロもある。米もある。
人もみんな集まってくれたんだ」と。
昨日、地震があって、今日、この時間にお客様に
お弁当を提供できる。本当にうれしかったですね”

伊藤朋子さん 宮城県仙台市

災害時の出産に備えて

助産院を経営する伊藤さんは、激しい揺れが収まった後、倉庫へと急いだ。そこには地震に備えて、石油ストーブやランタン、水を入れる容器などが保管してあったからだ。

平成18年に明治三陸大津波の絵を集めた絵画展を開いていた

日本海中部地震の経験が日頃の備えにつながった

“秋田沖の地震を子どもの時に体験して、
とても怖かったという思いと、もしかしたら
大きいのが来るかもというのを、
みんなで話し合ったりしていたので、
「とうとう来たな」という気持ちで”

椿阪信弥さん(58) 千葉県佐倉市

“歴史”を残すための備え

千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館は、震度5強の強い揺れに襲われた。しかし、阪神・淡路大震災の教訓を生かした展示や収蔵の工夫があったため、被害は少なかった。

落下防止のネットやベルトも取り付けていた

棚板は鉄製から木製に交換、落下防止のネットやベルトも取り付けていた

“何千年、何百年、伝えてきた物を、ある意味、
不注意で壊してしまうことは避けなければ
いけないと考えています。
それが博物館の使命ではないかと”