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証言まとめ

震災2日前の地震で、避難を見直す

東日本大震災の2日前、三陸沖を震源とする最大震度5弱の地震があり、津波注意報が発表されていた。
そのときの避難で、準備や対応の不備に気づき、すぐに対策を見直した人たちがいる。

外舘 恵子さん 岩手県宮古市 保育士

保育所の“道路横断作戦”

海から500メートルほどの保育所では、毎月1日を「安全の日」と定め避難訓練を重ねてきた。
2日前の地震でも訓練どおりに行動。しかし避難先に向かう途中、交通量の多い国道を園児全員で一度に渡りきることができなかった。

保育所では、昭和8年の三陸津波を教訓に、津波の教育に力を入れてきた。

保育所では、昭和8年の三陸津波を教訓に、津波の教育に力を入れてきた。

“2日前に4列で渡ったんですけど、1回では渡れ
なかったので、その時の反省で「6列でも8列
でも、一気に渡ろうね」ということを話し合って
いたので、その通りに行きました”
3月11日、園児たちは地震発生からおよそ20分後に避難先に到着できた。

河原 明洋さん 岩手県大船渡市 高齢者施設職員

認知症のお年寄り 想定外を想定内に

認知症のお年寄りが通う施設。2日前の地震の時、一人のお年寄りがトイレに閉じこもり、避難に30分かかった。震災の時も、同じお年寄りが閉じこもったが、トイレの鍵を取り外してドアを開け、抱え上げて運び出した。10分でお年寄り全員を高台へ避難させることができた。

“本当に津波が来るときは、無理やりにでも
利用者さんを担ぎ上げて運ぼうという打ち合わせはしていたので”
“有事の時に認知症の利用者さんが、どういった行動に出るかというのも、ある程度シミュレーションして想定外を想定内にするような”

田﨑 實さん 岩手県陸前高田市

災害時は障害のある息子のところへ

障害のある息子と妻の3人で暮らしていた田﨑實さん。災害時、持ち出す物に迷わないようにと、食料やラジオなど必要なものをあらかじめまとめていた。日中は別々の場所で過ごしている3人。2日前の地震後、家族で話し合い、いざという時には息子がいる施設に避難することに決めていた。

災害時に慌てず迷わないための備え。

災害時に慌てず迷わないための備え。

“たぶん(家族と)話していなかったら、お互いに
「連絡がつかない、どうしよう、どうしよう」で、
迅速に行動できなかったと思います”

三浦 誠さん 宮城県石巻市 建設会社現場監督

会社が用意した無線機で迅速な避難

港の近くで工事を行っていた40人の作業員たち。2日前の地震の時、現場から3.5キロメートル離れた山に避難したが、集合に手間取り1時間40分かかった。
その教訓から、会社は現場の連絡用に無線機を配備。東日本大震災では、地震発生から7分後に集合でき、40分で避難が完了した。

港では今も工事が続いている。

港では今も工事が続いている。

“2日前に避難を経験していたことが、
私たちの命が助かったかどうかの分かれ道に
なったのは間違いないと思います”

今野 義雄さん 岩手県大船渡市 小学校元校長

緊迫感のない児童たちを一喝

2日前の地震で、児童たちが自主避難を始めた。小学校から海岸までの距離はおよそ200メートル。しかし、日ごろから訓練慣れしているせいか緊迫感はなく、児童たちのおしゃべりは止まらなかった。

“これは練習ではない。訓練でもない。実戦です。
命が惜しかったら、きちきちと動きなさい”
東日本大震災では、71人の児童全員が
無事避難することができた。