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復興の軌跡

原発事故後のくらし

~困難な生活と向き合う被災者たち~

福島第一原発で起きた事故は、地域の人たちのそれまでの暮らしを一変させた。自分のふるさとを奪われ、避難所暮らしを余儀なくさせられた人たち、あるいはふるさとを取り戻すため、懸命な努力を重ねる人たち。原発事故後の困難な生活と向き合う被災者たちの姿を追う。

2011年4月22日 NHKニュース「福島県南相馬市 原町区大甕」

20キロ圏内が警戒区域に設定される

東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、原発周辺の20キロ圏内が警戒区域に設定され、立ち入りが禁止された。しかし住み慣れた土地から離れることになった地元住民からは戸惑いの声もあがった。

住民の声

“勝手にここからここは立ち入り禁止、
強制的に立ち入り禁止、とんでもない話”
“ただ危険だ危険だと入れない。その点理解できない”

2011年9月7日 クローズアップ現代「町をどう存続させるか ~岐路に立つ原発避難者たち~」

帰還か移動かで町が揺れる

震災から半年、原発事故で被災した福島県浪江町では、故郷への帰還を目標に掲げる役場と、代替地への移動を主張する若手経営者たちとの間で激しい議論が交わされていた。町の将来を決める論争に住民たちの心は揺れていた。

クローズアップ現代「町をどう存続させるか ~岐路に立つ原発避難者たち~」

2011年11月8日  クローズアップ現代「放射性物質を減らせ ~福島・限界に挑む農家たち~」

福島の農業再生に向けて立ち上がった

福島県内の農家たちが、国や自治体に頼らず、自ら放射能汚染の測定と農地の除染に取り組み、農業再生を図ろうと立ち上がった。

クローズアップ現代「放射性物質を減らせ ~福島・限界に挑む農家たち~」

2011年12月23日 NHKニュース「福島県郡山市 郡山市元気な遊びのひろば」

子どもたちの屋内遊び場がオープン

原発事故による放射能の影響への不安から、屋外での活動を控えている子どもたちのために、福島県郡山市に大規模な屋内の遊び場がオープンした。現地では屋外で遊ぶ機会が少なくなっていた子どもたちのはしゃぐ姿が、至るところで見られた。

2012年4月16日 ニュース7「福島県南相馬市」

南相馬市の警戒区域が解除される

福島県南相馬市は、津波の被害を受けた沿岸部の自治体としては初めて警戒区域が解除され、住民の立ち入りが自由になったが、がれきの撤去や除染、それにインフラの復旧など、住民が元の生活を取り戻すには多くの課題が残されていた。

住民の声

“早く前みたいに戻ってもらえればと思う反面、
不安のほうが多い”

2013年6月10日 NHKニュース「福島県飯舘村」

帰還困難地域での試験栽培

原発事故ですべての住民が避難している福島県飯舘村の帰還困難区域で、将来の農業再開の可能性を探るため、除染を行った後の水田で試験栽培の田植えが行われた。

住民の声

“結果が良ければ明るい未来ができると思うので
楽しみに待っている”

2013年10月18日 おはよう日本「福島県いわき市」

2年7か月ぶりに海へ乗り出す

東京電力福島第一原子力発電所の事故以来、2年7か月にわたって漁が行われていなかった福島県いわき市の沖では、2013年10月、震災後初めて試験的な漁が始まった。今回の漁では、福島第一原発から40キロ離れた海域に限定し、対象の魚介類も16種類にしぼりこんでいた。

2014年1月22日 クローズアップ現代「故郷はどうなる 除染廃棄物に揺れる福島」

決断を迫られる被災地住民

福島県内で行われている除染で出た土などの放射性廃棄物をどこに置くのか。国から出された「中間貯蔵施設」の建設要請は、被災地の住民たちに大きな決断を迫る事態となっていた。

クローズアップ現代「故郷はどうなる 除染廃棄物に揺れる福島」

2014年3月7日 おはよう日本「震災から3年 原発事故に苦しむ福島」

福島の復興は

震災から3年の2014年、原発事故の影響もあり、福島の復興は思うように進んでいなかった。復興支援にかかわる人たち、ふるさとへ思いを寄せる被災者の姿など、今の福島が抱えるさまざまな表情を伝えた。

おはよう日本「震災から3年 原発事故に苦しむ福島」

2014年4月1日 NHKニュース「福島県田村市」

住民の半数が戻らないなかでの
避難指示解除

原発事故に伴う避難指示が、福島県田村市都路地区で解除された。しかしながら放射線への不安などから、当面自宅に戻らない世帯が半数以上もいたなかでの帰還だった。

< 震災後のくらし 学舎(まなびや)の記憶 >