東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、原発周辺の20キロ圏内が警戒区域に設定され、立ち入りが禁止された。しかし住み慣れた土地から離れることになった地元住民からは戸惑いの声もあがった。
住民の声
“勝手にここからここは立ち入り禁止、
強制的に立ち入り禁止、とんでもない話”
“ただ危険だ危険だと入れない。その点理解できない”

~困難な生活と向き合う被災者たち~
福島第一原発で起きた事故は、地域の人たちのそれまでの暮らしを一変させた。自分のふるさとを奪われ、避難所暮らしを余儀なくさせられた人たち、あるいはふるさとを取り戻すため、懸命な努力を重ねる人たち。原発事故後の困難な生活と向き合う被災者たちの姿を追う。
震災から半年、原発事故で被災した福島県浪江町では、故郷への帰還を目標に掲げる役場と、代替地への移動を主張する若手経営者たちとの間で激しい議論が交わされていた。町の将来を決める論争に住民たちの心は揺れていた。
福島県内で行われている除染で出た土などの放射性廃棄物をどこに置くのか。国から出された「中間貯蔵施設」の建設要請は、被災地の住民たちに大きな決断を迫る事態となっていた。
震災から3年の2014年、原発事故の影響もあり、福島の復興は思うように進んでいなかった。復興支援にかかわる人たち、ふるさとへ思いを寄せる被災者の姿など、今の福島が抱えるさまざまな表情を伝えた。
おはよう日本「震災から3年 原発事故に苦しむ福島」