2017年10月31日(火)

東京五輪1000日前 民泊が身近に その可能性は?

保里リポーター
「開幕まで1000日を切った東京オリンピック。
私たち市民がどう参加できるのか考えます。
今日(31日)注目するのは、『民泊』です。」

期待高まる民泊 “日本文化を体験”

東京・大田区の民泊で出迎えてくれたのは、オーストラリアから来た家族。
日本の文化を体験したいと、民泊を選びました。

オーストラリア人女性
「子どもたちに日本の家を見せたかった。
低い椅子、ちゃぶ台など。」

4人で、1泊およそ2万円という安さも魅力です。

保里リポーター
「この民泊、新たな動きもあります。
これまで民泊は旅館業法の許可などを得る必要がありましたが、来年(2018年)には、新しい法律『民泊新法』が施行され、原則、自治体に届け出をすれば経営できるようになるんです。」

有馬
「そうすると、オリンピックでは民泊でおもてなしというのが、ぐっと身近になりそうですね。」

保里リポーター
「そうですね。
ただ、それだけにとどまらない可能性を探ってきました。」

民泊が身近に その起源は 1964年東京五輪で…

1964年の東京オリンピック。
日本の民泊は、このとき始まりました。
というのは、観客を受け入れるホテルが不足していたため、東京都が呼びかけ。
およそ600世帯が民泊を行いました。

当時、八王子市の民泊で撮影された映像です。
もてなしていた夫婦の娘で、当時高校生だった荻野陽子さんです。

荻野陽子さん
「このシーン覚えています。
おすし食べて、お箸がすごく上手だった。」

一家つきっきりで、アメリカ人の女性を世話しました。
日本の家庭的なもてなしを喜んでくれたそうです。

荻野陽子さん
「母が“お土産にしたいのは何?”と聞いたら、“畳”って。
(女性も)なにかなじもうとしていたし、自分なりに吸収して帰られたんじゃないか。
畳ござまで持って帰ったので。」

保里リポーター
「こちらには、当時の交流をきっかけに人生が変わったという方がいるんです。」

こちら、星野浩平さん。
同じく、実家で外国人旅行者をもてなしました。

星野浩平さん
「五輪じゃなかったら、外国人を家に泊めるようなことはまずない。」

この時の経験がきっかけで、陸上競技連盟の国際部に就職。
選手たちの国際交流に尽くしてきました。

星野浩平さん
「民泊して、外国の人とつきあって、いろいろ世界が開けて。
僕の人生で1964年の東京五輪がなかったら、今までの生活はない。」

民泊が身近に 課題と可能性は

それから半世紀。
外国人旅行者の急増で民泊が広がる中、トラブルも起きるようになりました。
民泊への苦情を受け付けて、調査する会社です。

有馬
「そんな会社もあるんですね。」

民泊調査会社 中込元伸社長
「実際に民泊のある物件で、ごみ捨て場が荒れてしまったと。」

騒音やごみに関する住民からの相談は、多い月で200件余りに上るといいます。

民泊調査会社 中込元伸社長
「自分たちの住んでいる環境が非常に汚くされてしまった、脅かされてるという声は少しずつ多くなっている。」

民泊が地域の理解を得るためには、どうすればいいのか。
東京・板橋区の商店街で去年(2016年)から民泊を始めた、熊沢和志さんです。

熊沢和志さん
「これは外国人用。」

熊沢さんは、夜11時以降は騒がないことや、ゴミの捨て方など、日本で生活するルールを伝えることを徹底しています。

桑子
「母国と違うでしょうから、説明は必要ですよね。」

さらに熊沢さんが大切にしているのは、地元の商店を訪れてもらうこと。
銭湯や喫茶店など、おすすめの店を紹介しています。

その結果…。

熊沢和志さん
「たまに来ますよね。」

喫茶店の店主
「前なんかお土産くれた人がいる。
民泊に泊まっていて、紹介されて来たと。」

民泊に人を呼び込むことで、地域も活性化する。
熊沢さんの目標です。

熊沢和志さん
「五輪に向けては街がにぎやかになってほしい。
にぎやかになるのが民泊の使命。
ずっと長く、地域にこちらも貢献したい。」

民泊 どう生かす?

有馬
「おもてなしに貢献すると同時に、街も元気になるということですか。」

保里リポーター
「しかも、最後にご紹介した熊沢さんは、商店街の空き家を改装して民泊にしたんです。」

有馬
「確かに、空き家の問題もありますからね。」

保里リポーター
「開幕まであと1000日弱ありますから、外国人の皆さんにも楽しんでもらえ、元気な街が増えるといいなと感じました。」

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