2018年8月6日(月)

広島 原爆投下から73年 減り続ける被爆者

桑子
「8月6日の今日、広島に原爆が投下されてから73年となりました。」

有馬
「いまだ核兵器廃絶への道筋は不透明なまま、被爆者は年々、減り続けています。」

どう語り継ぐ 核の悲惨さ

早朝から途切れることなく、ささげられた祈り。

「動ける間は、ここに来てお参りしようと思う。」

「戦争とか起こらない、平和な世界になってほしい。」

平和記念式典には、およそ5万人が参列しました。
原爆死没者名簿に、この1年で亡くなった被爆者5,393人の名前が加えられ、慰霊碑に納められました。

広島市 松井一実市長
「被爆者の訴えは、核兵器の恐ろしさを熟知し、それを手にしたい誘惑を断ち切るための警鐘。
年々、被爆者の数が減少する中、その声に耳を傾けることが一層重要になっている。」

全国の被爆者は今年(2018年)3月末の時点で15万4,859人と、前の年より9,762人減りました。
平均年齢は82歳を超えています。

佐伯敏子さん
「後ろからピカッとしたかと思ったら、広島は死者の町。」

去年10月には、広島の平和公園の原爆供養塔で40年間にわたって清掃活動を続けるとともに被爆体験を語ってきた佐伯敏子さんが亡くなりました。

今年2月には、語り部として国の内外で被爆体験を証言し続け、広島の平和運動を支えてきた松原美代子(まつばら・みよこ)さんも亡くなっています。

松原美代子さん
「核兵器が無くなるまで、私たちの残っている間に何とか道筋でも開かれないか。
頑張らなくちゃ、頑張らなくちゃ。」

被爆者が減り、高齢化も進む中で、核兵器の悲惨さをどう伝えていくかが課題になっています。

“命を削ってでも” 被爆体験を語り継ぐ

そうした体験を語り継ぐために、命を削る決断をした被爆者がいます。
兒玉光雄さんです。

兒玉光雄さん
「原爆の放射線は、人間の外観ではなく、中身の臓器をメタメタにする。」

被爆した時は12歳。
爆心地からわずか850メートルほど、中学校の教室で見た光景を今も忘れられません。

兒玉光雄さん
「生きたまま足を挟まれ、手を挟まれたまま、外に出られない。
すまん、申し訳ない、もう助けられない。
そういうつらい思いは、今でも胸に焼き付いている。」

通っていた中学校では353人の生徒が犠牲になり、戦後復学できた仲間はわずか19人。
その多くも被爆の後遺症で次々と命を落とし、今も生きているのは兒玉さんを含め、2人だけです。
20年以上にわたって続けてきた証言活動。
一昨年(2016年)には手記を英語に翻訳して自費出版し、自らの体験を世界にも発信してきました。

ところが去年(2017年)、その活動を続けるべきか、重大な決断を迫られることになりました。
被爆の後遺症との闘いが最後の局面に入ったのです。



リポート:辻英志朗(広島局)

兒玉さんと原爆の放射線との闘いが始まったのは、60歳を過ぎたころからです。
直腸、胃、皮膚、甲状腺と、次々にがんを発症し、これまでに受けた手術は21回にも及びます。
兒玉さんの染色体です。
先端部分が切断され、別の染色体の一部と入れ替わっています。
こうした異常が遺伝子を狂わせ、がんを発症しやすくなっているのです。
放射線の影響だと考えられています。

そして、去年。
新たに腎臓にがんが見つかりました。
秋には22回目の手術を受ける予定でしたが、その手術は中止せざるを得なくなりました。
「骨髄異形成症候群」によって、血を止める血小板が極端に少なくなり、手術に耐えられないことが分かったのです。
白血病につながるこの病気。
患った仲間たちは、相次いで命を落としていきました。

兒玉光雄さん
「とうとうわしにも来たかと。
みんなあの頃は、若い時もそうだが、白血病、血液のがんに皆なって死ぬ。
私もある程度、瞬間的には覚悟決めた。」

進行していくがんと、迫り来る白血病。
治療に専念すべきか、証言活動を続けるべきか。
兒玉さんの選択は、被爆体験を語り続け、自らのことばを引き継いでくれる人を育てることでした。

兒玉光雄さん
「やがて私も白血病になって、末路をたどるということになる。
とにかく皆さんにこうして伝えて、無謀なる放射線は地球上からなくそうと。」

兒玉光雄さん
「野球部の選手だったが、かわいそうに、鼻血が止まらなくなって死んでいった。」

原爆の放射線で苦しむ人間を2度と生んではならない。
命を落とした友への思いが、兒玉さんを突き動かしています。

兒玉光雄さん
「彼らに本当に私以上にすばらしい未来があったはず。
その声なき声を、誰かが再現しないといけない。
放射線の怖さを1人でも多く伝えて死ぬことが、私の亡くなっていった友への務め。」

桑子
「声なき声を何とか残そう、それが生き残った自分たちの使命だと証言活動を続ける方を、私も広島局にいたときに何人も取材させていただきました。
その広島にいた4年前は、被爆者の数が初めて20万人を下回った年でした。
それが今年、15万5,000人、この短期間で4分の3ほどにまで減ってしまいました。
残された時間の少なさ、そして重さを強く感じます。」

Page Top