2019年3月18日(月)

「オリンピックおじさん」 “応援でつないだ世界”

金ぴかのシルクハット。
ジャンパーにはこのマーク。
オリンピック応援といえば、そう、この人…。

『オリンピックおじさん』 山田直稔さん
「オリンピックおじさん、山田でーす!ありがとう!」

山田直稔さんです。
初めての応援は、55年前の東京オリンピック。
それ以来、夏の大会はすべて駆けつけ、おなじみの格好で選手たちを応援し続けてきました。

今月(3月)9日、山田さんは都内の病院で亡くなりました。
92歳でした。

「派手な服装で、テレビでもよく見かけていたので、さみしい。」

「ほんとに残念。
もう少し頑張ってほしかった。」

訃報は海外にも配信されました。
ロイター通信は「オリンピックのスーパーファン、山田さん。2020年の東京オリンピックの夢、果たせず」と報道。

東京オリンピックで活躍が期待される日本の選手は…。

卓球 女子団体 2大会連続でメダル 石川佳純選手
「選手にとってすごく心強い存在。
すごく残念です。」

1992年 バルセロナ五輪
“内股きまった一本だ。吉田やりました。”

柔道の金メダリスト、吉田秀彦さんは、山田さんの応援が支えになったといいます。

バルセロナ五輪金メダリスト 吉田秀彦さん
「試合場にあがるときは、必ずひとりなので柔道は。
そういうときに目に入ると『オリンピックおじさんがいるな』というリラックスできる気持ちになった。
非常に勇気づけられたし、元気をもらっていた。」

富山県出身で、東京で会社を経営してきた山田さん。
応援にのめりこむきっかけは、メキシコ・オリンピックでの“ある出来事”だったといいます。
羽織はかま姿でにぎやかに応援していた山田さんは、ここで、日本人と勘違いしてメキシコの選手を応援してしまったのです。

『オリンピックおじさん』 山田直稔さん
「日本人とメキシコ人の選手を間違えた。
日本人だと思って(応援)いった。
あの日本人がメキシコを応援したということで、全部立ち上がっちゃった。」

この応援をきっかけに、10数万人の観客が総立ちになったといいます。

『オリンピックおじさん』 山田直稔さん
「そしたら今度は、メキシコがみんなが『ジャポン、ジャポン』って日本の選手を大観衆が応援してくれた。
オリンピックに浸ったのはそれがもと。」

そして、最も記憶に残ったと話していたのが、モスクワ大会です。
東西冷戦のさなか、日本は大会をボイコットしました。

『オリンピックおじさん』 山田直稔さん
「この野郎と思った。
なんでオリンピックなのに、政治のことで(ボイコットとは)何事だと。
五大陸が仲よくするのがオリンピックじゃないのかと。」

山田さんは、当時のソ連大使館に何十回と足を運び、国旗にロシア語で「平和と友好」という文字を書いてもらいます。
そして、それを持って、1人モスクワへ。
現地で応援を通し、たくさんの人と交流しました。

『オリンピックおじさん』 山田直稔さん
「ロシア語で『平和と友好』。
言葉など通じなくても真心は絶対通じる。
私には、そういう体験があるから。」

来年(2020年)に控えた東京オリンピックを応援人生の集大成と話していた山田さん。
つい先月(2月)も、NHKの番組で意欲をみせていました。

『オリンピックおじさん』 山田直稔さん
「元気でいて扇子を振りながらこうやっていかないと、話にならないな。」

このとき、出演していた有森裕子さんは…。

女子マラソン 有森裕子さん
「山田さんにとっては、私たち全員お友達というか、応援した仲間。
平成終わる時に金メダルあげたいくらい。」

今日(18日)、有森さんはコメントを発表。

女子マラソン 有森裕子さん
“多くのオリンピアンが山田さんの応援で背中を押され、大舞台で輝くことが出来たと思います。
心よりご冥福をお祈り致します。”

半世紀にわたって応援人生を駆け抜けた山田さん。
その声援は多くの人に届いています。

『オリンピックおじさん』 山田直稔さん
「さあ東京オリンピックだぞ、みんな日本がんばれ!
にっぽーん!がんばれー!!」

有馬
「山田さんの姿、来年見たかったですけれどもね。」

桑子
「そうですね、山田さんがおっしゃっていた『五大陸が仲よくするのがオリンピック』。
このことを胸に、私たちも応援したいですね。」

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