2019年9月6日(金)

北海道地震から1年 厚真町 進まない生活再建

有馬
「震度7を観測し、44人が犠牲になった北海道地震から1年。
復旧作業は、半年近く雪に閉ざされる長い冬に阻まれて、崩れた山肌は今もむき出しのままです。」

桑子
「被害が大きかった地域では、暮らしの先行きに不安を抱えながらきょう(6日)を迎えました。」

北海道地震から1年 今も続く復旧工事

リポート:星真琴

「なんでこんなに、みんないなくなったの。」

「やっとちょっと落ち着いてきたけど、涙出てきて話できなくなる。」

町のいたる所で土砂崩れが発生した厚真町。

星リポーター
「被害が大きかった地区です。
今もトラックが行き交って、復旧作業が行われています。」

雪溶けを待って、この春ようやく始まった本格的な復旧工事。
まだ全体の2割弱しか、終わっていません。

町の人口は4,500人余。
今も367人が、仮設住宅などでの生活を余儀なくされています。

“この土地を離れる” 苦渋の決断

生活の再建が進まないなか、悩んだ末にこの土地を離れることを決めた人もいます。
中田正人さんです。
娘と2人、仮設住宅で暮らしています。
妻の美江さんは自宅1階で寝ていたところ、土砂に巻き込まれ亡くなりました。

中田正人さん
「思い出すと悲しくなる。
なんで、なんでって…。」

中田正人さん
「この辺り。」

星リポーター
「この辺りに家があったんですか?」

中田さんの家も、その隣の家も、すべてがさら地になっていました。
家族のように暮らしてきた13世帯34人の住民のうち、半数を超える19人が亡くなりました。

星リポーター
「これは何ですか?」

中田正人さん
「鳥居。」

地区の人々が大切に守ってきた、神社の鳥居。
今週になって、土砂の中から見つかりました。
住民たちの心のよりどころだった神社。
その再建も、諦めることにしました。

中田正人さん
「何人もいないから。
それこそもう、ほとんど亡くなっちゃったから。
だから一人や二人では、もうどうしようもないかな。」

多くの家族や仲間を失った吉野地区。
ふるさとの将来は、1年がたった今も見えないままです。

“この土地で生きる” 遺志を継いで

リポート:中尾絢一(NHK苫小牧)

その厚真町で、再起を目指して踏み出した人もいます。

山本隆司さん
「まだまだ実が入ってくれないと困ります。」

コメ農家の山本隆司さんです。
ともに農業を営んできた家族3人を、土砂崩れで失いました。
明るさで家族を包んでいた母・リツ子さん。
一家をひたむきに支えた妹・ひろみさん。
父・辰幸さんは、コメ作りの名人として地元の農家に一目置かれる存在でした。
家族を一度に奪われた山本さん。
今は1人、アパートで暮らしています。

山本隆司さん
「家族3人は、一緒に天国に行った。
私だけ連れて行ってもらえなかった。
除外された、仲間外れにされたのかなって、そんな気持ちも湧いてきた。」

父親が大切にしてきた田植え機やトラクター、田んぼもすべて土砂に埋まり、一度はコメ作りを諦めかけました。
それでも自分にはこれしかないと、再起を決めた山本さんを後押しするような出来事がありました。
手つかずだった納屋で初めて、家族の遺品を整理したこの日。

山本隆司さん
「これがじいちゃんの葬式のときですね。
うまい具合に出てきましたね。
これがじいちゃんです。
持ってるのが、ばあちゃんで。
いい写真出てきました。
父さんも若いな。」

旅行にも行かず、コメ作りに打ち込んできた山本さん一家。
家族全員が写った、たった1枚の写真です。

山本隆司さん
「コメ作りは、生活するための糧ではなかった。
生きがいというかこだわりというか、1つの勲章のみたいな感じの位置づけだったのかな。」

親戚に農地を借り、この春、なんとか田植えを再開した山本さん。
父親の誇りだったあの田んぼで、再びコメ作りをしたい。
この土地で生きていく決意です。

山本隆司さん
「3人亡くなって終わりじゃなくて、俺がとりあえず受け継いでいってるような気がして。
死んではいるんだけどもつながっているっていう感じがして。
俺、独りぼっちになっちゃったけど、父さん生きてた頃と変わらない風景だよって、それだけを思いにやっている。」

桑子
「山本さん、秋においしいお米が収穫できるといいなと、心から思います。
被害が大きかった3つの町では、今も700人あまりの方が仮設住宅などでの暮らしを余儀なくされています。」

有馬
「北海道の被災地は、まだ復興の手前です。
暮らしの立て直しに手を差し伸べることが必要です。」

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