
桑子
「『世田谷一家殺害事件』から、まもなく19年となります。
今も犯人逮捕には至っておらず、『平成の三大未解決事件』の一つとされています。
現場の住宅は、証拠として警視庁が保全してきましたが、遺族に対し、取り壊しを打診していることがわかりました。」
有馬
「事件が解決しないまま、現場がなくなってしまう。
遺族には戸惑いが広がっています。」
桑子
「『世田谷一家殺害事件』から、まもなく19年となります。
今も犯人逮捕には至っておらず、『平成の三大未解決事件』の一つとされています。
現場の住宅は、証拠として警視庁が保全してきましたが、遺族に対し、取り壊しを打診していることがわかりました。」
有馬
「事件が解決しないまま、現場がなくなってしまう。
遺族には戸惑いが広がっています。」
宮沢みきおさんの母 宮沢節子さん
「恐竜にずっと小学校のころから、凝っていて。
全部、恐竜の本。」
殺害された宮沢みきおさんの母、節子さん、88歳。
毎週のように、みきおさん家族の家を訪れ、孫たちと過ごすことを楽しみにしていました。
宮沢節子さん
「1週間に2度、お守りに行っていた。
子どもたちが、時間だなと思っている。
にいなと礼がとんでくる。
楽しみで行っていた。」
しかし、幸せな日々は突然断ち切られました。
息子の家族4人を殺害した犯人は、今も見つかっていません。
そうした中で、ことし(2019年)3月、警視庁から住宅の取り壊しを打診されました。
宮沢節子さん
「取り壊して何もなくなると、事件があったことすら、忘れられるのが早いのではないか。
(有力な)情報も入らなくなり、それが普通になるという心配もある。」
節子さんは、事件が忘れ去られるのではないかという不安から、答えをまだ出せずにいます。
ではなぜ、ことしになって警視庁は取り壊しを打診したのか。
1つには建物の老朽化があります。
事件当時、築10年だった住宅。
警視庁は事件の翌年、証拠として保全するため、遺族に住宅の取り壊しの延期を求めていました。
しかし、老朽化が進み、5年前からは外壁の落下に備え防護ネットを設置。
現場周辺は都立公園で、きょう(15日)は遊具で遊ぶ子どもの姿も見られました。
壁の落下や家屋の倒壊によって、通行人など近くにいる人がけがをする可能性があるといいます。
現場近くの人
「もうだいぶ傷んでいる。」
ただ、犯人のものとみられる指紋や血痕など、多くの遺留品が残されながらいまだ未解決の事件。
その現場をなくしていいのか。
警視庁は指紋や血痕などをすべて集めて証拠化し、当時の家の周りの様子などを3D動画で再現する取り組みを行っています。
警視庁の「平成の三大未解決事件」のうち、平成7年に八王子市のスーパーで3人が殺害された事件も、建物は解体され、3D動画で再現しています。
警視庁は世田谷区の現場を、警備上の理由などから警察官が24時間態勢で19年間、警戒にあたってきました。
現場の証拠の保全に関してはすべて行い、住宅がなくなっても捜査に影響はないとして、遺族に打診したとみられます。
しかし、今すぐには家の取り壊しを受け入れられないという遺族もいます。
宮沢泰子さんの姉、入江杏さん。
家がなくなるということは、妹家族が暮らしていた息づかいまで消えてしまうと感じたからです。
宮沢泰子さんの姉 入江杏さん
「仮に、私が分かりましたと言ったら、4人に申し訳ないという気持ちもある。
まだ私の心は『現場を壊しても構わない』と言えないのが、私の正直な本音。」
入江さんは、宮沢さん一家とは二世帯住宅の隣どうしでした。
入江杏さん
「ある意味、一つの家族のように、大家族のような形だった。」
事件後、現場の住宅を訪れた時に込み上げてきた感情。
今も忘れられないといいます。
入江杏さん
「開けたとたん、子どもたちの帽子やプールバックが玄関にかかっていて、礼くんのベッドのそばにきちんと洋服がたたまれていて、生活空間がそのままにあった。
本当に4人が隣にいると、気配を感じられる。
やはり現場があるから、肌で感じられるものがあると思った。」
入江さんは今後、事件が解決するまで現場を残して欲しいと、警視庁に訴えていく考えです。
入江杏さん
「(犯人を)なんとしても捕まえて、どうしてこんな事件を起こしたのか、出来たら4人の魂になぜこんなことをしたか、詫びて欲しい。
なぜこんなひどい事件を起こしたのか、こんなかわいい子どもまで、どうして手にかけたのか聞いてみたい。
そのためにも、4人が一生懸命暮らした場所を(犯人に)見せたい。」
有馬
「今後の捜査に万全の態勢を取っているとはいえ、こうした遺族の気持ちを考えると、現場を取り壊すというのは難しいなと思います。」
桑子
「事件の解決は急いで欲しいですが、何よりご遺族の気持ちに寄り添わないといけないと思います。
遺族の入江さんは事件後、追悼の集いを続けています。
ことしも、事件から19年となる来月(12月)、同じように大切な人を亡くした人たちと語り合うということです。」