2020年1月20日(月)

世田谷一家殺害事件 事件現場を公開 遺族の心の声

桑子
「遺族はなぜ、事件が起きた凄惨な現場を公開しようと決断したのでしょうか。
こちらは、一家4人が殺害された東京・世田谷区の住宅です。
おととい(18日)、一部のメディアに撮影が許されました。」

有馬
「事件は未解決のまま20年目に入りました。
遺族として何ができるのか。
揺れ続いた胸の内です。」

事件現場を初めて公開 揺れる遺族の日々

住宅を公開した入江杏さん。

亡くなった宮沢泰子さんの姉で、事件までは、隣に住んでいました。
遺品が保管されている箱。
しかし、その奥でそのままの状態で残されているホットプレートや冷蔵庫といった家財からは、家族4人の暮らしが浮かび上がってきました。

入江杏さん
「この家に改めて来てみると4人で暮らしていた日々も思い出します。」

事件が明らかになったのは、平成12年の大みそか。
家族のように過ごしてきた入江さんは、妹たちの死を受け入れることはできませんでした。
住宅には犯人の指紋や、服などの遺留品も数多く残されていました。

しかし逮捕にはつながらず、未解決のままことし(2020年)の年末で20年となります。
事件の後、妹たちのことを思い出すのが辛く、家に近づくことができなかった入江さん。
しかし去年(2019年)、“その家”と向き合うことを突きつけられる出来事がありました。
警察から家の取り壊しを打診されたのです。
建物は築30年。
家の中の証拠化がすでに終了していること、老朽化が進み倒壊の危険があることなどが理由でした。
家がなくなると捜査に影響が出るのではないか。
入江さんは不安を募らせていました。

入江杏さん
「素人の考えだとしても、現場が残っているか残っていないかでは違うと思う。
事件が未解決である以上は、今、この時期に壊していいとは言えないと思う。」

考えに整理がつかない中、さらに追い打ちをかけたのが、家に残された遺品の返却でした。
遺品の数はおよそ7,000点。
入江さんは、必要なものと不要なものとを選別することも迫られていました。

入江杏さん
「これだけの生きた軌跡を簡単には、これはいる、いらないって線引きはできない。」

まだ事件が解決していないのに、このような大きな決断を遺族に委ねられるのは、辛い-。
悩み抜いた末、入江さんは世の中に問いかけることにしました。

入江杏さん
「これは壁に貼ってあった、いろんな礼君や、にいなちゃんもそうなんですけど…。」

住宅には一家4人の生活の息づかいが感じられる「生きた証し」が数多く残されています。
2階のリビングの壁には…。

入江杏さん
「子どもたちがこんなに背が伸びたんだなって。
背が高くなった、99年6月、99年12月。」

子どもたちが背丈を比べ合った、たけくらべの記録が残されていました。

事件が起きる1か月前まで記されていました。

入江杏さん
「生きていたらどんな子たちになっていただろう、どれほど心強かっただろう。
本当にそれを考えると残念でならない。」

そして同じリビングには、一家4人が団らんに使っていたダイニングテーブル。

いすが4つ置かれ、長男の礼くんが使っていた子ども用の小さなイスもあります。

入江杏さん
「ここは本当に団らんの場だった。
こんなに狭いところで、4人が本当に仲よくつつましく暮らしていた。」

入江さんは、この家での4人の「生きた証し」を多くの人に知って欲しいと、今回、住宅の公開を決意したと言います。

入江杏さん
「4人が生きていた軌跡を多くの方に知ってもらうことが、とても大切だと思う。
なぜなら、そのことで事件が解決に導かれることがあるのではないか。」

事件を忘れず、悲しみをさまざまな人たちと分かち合いたい。
入江さんは、事件があった毎年12月に追悼集会を開いてきました。

家がなくなるかもしれないことを、どう捉えればいいのか。
この日は、苦しい胸の内を明かしました。

入江杏さん
「現場を残すか壊してしまうか。
線引きをどうすればいいのか。
4人の魂にこたえていく。
私の気持ちとしては、壊していいと言えない。」

入江さんの揺れ動く考えに対しては…。

参加者
「一言ではなかなか、無くなったほうがいいとも思わないし、とても難しいですね。」

「あの映像を見ると、凄惨な場面を思い出して嫌だという市民もいるので、複雑な感情だと思う。」

入江杏さん
「未解決という宙ぶらりんの中で、常に選ばざるを得なくなっている状況を、それが苦しいんだということを、皆さんに伝えられたと思う。」


桑子
「今後、住宅はどうなるのか。
入江さんは、早期には取り壊さないよう求める要請書を警察に提出していて、これからも話し合いをしていきたいとしています。」

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